摂受(しょうじゅ)とは、折伏に対する反対語。
正しくは摂引容受(しょういんようじゅ)といい、その略語である。
心を寛大にして相手やその間違いを即座に否定せず反発せず受け入れ、穏やかに説得することをいう。
法華経には、「生命尊厳」と「万人尊敬」という仏法の人間主義の思想が現れている。
だが、万人成仏を軽んじる思想との闘争があった。
民衆を蔑視する権威・権力の魔性との闘争が日連の実践の神髄でった。
自らと異なる考えを尊重する姿勢と、相手の誤解や偏見を正していく姿勢も、どりらも重んじる。
摂受(しょうじゅ)とは、折伏に対する反対語。
正しくは摂引容受(しょういんようじゅ)といい、その略語である。
心を寛大にして相手やその間違いを即座に否定せず反発せず受け入れ、穏やかに説得することをいう。
法華経には、「生命尊厳」と「万人尊敬」という仏法の人間主義の思想が現れている。
だが、万人成仏を軽んじる思想との闘争があった。
民衆を蔑視する権威・権力の魔性との闘争が日連の実践の神髄でった。
自らと異なる考えを尊重する姿勢と、相手の誤解や偏見を正していく姿勢も、どりらも重んじる。
人間の生命自体が尊貴な存在である。
誰一人として無益な存在はおらず、「その人にしか果たせない使命がある」との哲学が、どれほど人々に生きる活力をもたらすか―それが地涌の菩薩としての自覚である。
地涌の菩薩とは、上行菩薩を初めとする法華経に登場する娑婆世界に常住する無数の大菩薩のこと。
法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち。
日蓮仏法は、一人の人間が秘める無限の可能性を説いている。
その内発を引き出し、自他共に幸福を追求していく、思想こそ、混迷の時代を照らす希望の光源となる。
日蓮の言葉、理念には人々を覚醒させる響きがある。
不屈の闘志も湧き上がる。
いかなる試練に微動だにしなかった日蓮の生涯に呼応するのである。
仏法は現実に即した教えである。
ゆえに「知識」として得るにとどまらず、いかに具体的な「行動」に移していけいかが重要である。
学んだことを実証として示していくのである。
分断が社会に影を落とし、一定数の若者が無力感を抱えている。
そこで生命尊厳の思想で、社会の闇を晴らす役割が期待されている。
「平和の文化」は、日常生活の中で一人一人が平和と非暴力を自分の生き方にすることだ。
また、宗教が「平和の文化」を育む土壌の役割を果たすうえで不可欠なもの―それが「教育」の力だ。
いかなる宗教であれ、排他的や独善に陥らず、その包括性や受容性を維持していくには、良識の知性の力こそが必要なのだ。
「宗教」と「教育」は<両輪>の役割を果たし、互いに善き啓発を与えながら人類をさらなる高みに導いてこそ、社会は健全なる発展を遂げ、新たな「平和の文化」を創造していくことができる。
仏法の人間主義を基調とした平和・文化・教育を展開する意義もそこにある。
一貫して市民社会に足場を置き、広く教育活動を通し、平和に貢献する。
近年、国連においても、意識啓発を促す「教育活動」の価値が見直されるようになった。
人類の存続に関わる喫緊の課題が山積する中にあって、政府の代表だけでは各国の利害が衝突し合い、議論が前に進みにくい。
そこで、国際的な視野と見識を備えた市民・民間団体NGO(非政府組織)の代表が国連の会議に招かれ、発言の機会が設けられるようになった。
また、国連の構内で開かれる行事でも、展示やワークショップ、パネルディスカッションなどを主催し、各国政府の意志・行動決定にも影響を与えるよにもなってきている。
議場の内外で、市民団体の存在感が増す中で、長年にわたり、教育活動を続け、人々の意識を啓発してきた団体の主張や活動が耳目を集めるようになってきた。
なかでも、注目を浴びているのは「FBO]である。
「FBO]とはフェイス(信仰)・ベイスト・オーガニゼーション」の名が示すとおり、「宗教的信念」や「信仰」を基盤とする組織を示す。
一般的に「宗教団体」は草の根レベルで、市井(しせい)の隅々まで分け入って、人々に声を届け、影響を及ぼせる組織である。
信仰者が、宗教上の教義に則り、信仰の一部として、倫理的・人道的なメッセージを届ける。
それを受け取った人が「私も社会貢献の行動を起こしたい」と一歩踏み出す。
その連動がやがて大きな波となり、大きな改革へとつながっていく。
また、宗教団体には、商業的利害はないから、社会変革のための意欲を保ち、困難に屈せず、実践を繰り返していける特性もある。
基本的に「生命尊厳の思想」が期待される。
その理念の基に、平和へ向けた連帯を呼びかけ、その輪を広げるのである。
人々の意識を変え、行動の変容を促すには、一過性ではない不断の取り組みと、より広い規模の草の根の対話へとつなげるイニシアチブ(主導・率先)が欠かせない。
期待されるのは、未来世代のために、人類が直面する難題に果敢に挑戦し、より公平で持続可能な世界を構築していく人材の育成である。
人類は今、核使用のリスクや切迫する気候危機に直面し、未来への<正念場>を迎えている。
私たちはとても難しい時代に生きている。
世界は「恐怖」に支配されている。
ローマクラブのカルロス・アルバレス事務局長
それは突き詰めれば「他者への恐怖」であり、<私たち>と<彼ら>を隔てる精神構造に基づくものです。
<彼ら>は信頼できないのではないか。
<私たち>を攻撃するのではないかー恐怖に駆られた人間が起こす行動は、破壊的なものであることを私たちは知っていいます。
しかし、技術が高度に洗練された時代にあって<彼ら>破壊しようとすることは、<私たち>野生存も脅かす自殺行為を意味します。
文明が進んだ結果、恐怖に支配された人類は、とても文明的とは言えない暴力行為を繰り返しています。
しかし、ドイツnの詩人ヘルダーリンが<危機のあるところ、救う力もた生まれる>と言ったように、難局に立ち向かう私たちの前には、希望への道をまた開かれるます。
困難な時代にあるからこそ、希望のメッセージを発信していく責務があると―そう強く感じています。
核兵器の問題も、気候危機も、解決の一歩は一人一人の人間革命から始まると私自身も確信しています。
人間革命の哲学は、新たな枠組みや思考へと目を開かせ、世界を見つめる新たな視点を提供してくえるものです。
そうすることで、私たちの周りで追いこることに、新たな意味を見いだされていくのです。
今日の地球的課題は、私たち自身が生み出したものです。
そのことを深く学び、自分自身の意識を変え、具体的に対応しようとすり中にこそ希望がある。
地球的課題に取り組むために、世代を超えて一緒ににつくり上げていく。
それは対話であり、相互学習のプロセッサでもあります。
「一人一人の人間には、これまで眠ったまま放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用するこtpのできる資質や能力が、本然的に備わっているのであす」ローマクラブの創設者アウレリオ・ペッチェイ博士
私は、このペッチェイ博士の言葉それ自体に、大きな希望を感じるのです。
一人一人の人間性に信頼を置いていまいた。
それが、今なお私たちの心を打つのでづ。
人々の可能性に懸けていく。ローマクラブに、それが活動の根底にあります。
人間革命とは、世界中の誰もが実践しうるこのなのです。
それが人間革命の<魔法>です。
「限界なき学習」から「限界なき希望」が生まれるのです。
悲惨な出来事が続くこの世界にあってもなお、私たちは、誰もが周囲を思いやることがでいましす。
人間の可能性を信じ抜き、決して手放さない。
それは、大きな希望の源となっていくはずです。
究極の自己肯定が、あるとすれば、それは東洋思想であるだろう。
釈迦の「法華経」では、万人成仏を説いた。
それは、人間そのものに<無限の可能性>があることを意味する。
仏教が説く「仏」とは、どのような存在なのか。
「仏」の語源には諸説あるが、「目覚めた者」を意味する古代インドの言葉、サンスクリットの「Buddha」に由来しているとされている。
仏教では、「仏」とは、真実に目覚めた者、すなわち、<覚りを得た存在>を意味する。
一般的な仏教は、何度も生まれ変わって修行を続けた末に覚りを開き、仏になれると説いている。
これに対して法華経では、この一生で「仏の境涯」を顕すことができるという「一生成仏」を説く。
つまり、人は死んで「仏」になるのではない。
また、多くの経典が、<仏とは特別な存在である>とする一方、法華経は、すべての人が仏になれるという<万人成仏>を初めて説いた。
そのため法華経は、「諸経の王」とたたえられている。
「仏」とは自分の外の世界にある神秘的なものではなく、自分の内にある最高の生命のことであると説いた。
組織心理学の研究が明らかにしていることは、地位やそれに伴う権力を手にした人の多くが、
・他人をコントロールする権力を失わないように努める
・部下が利己的に動くのは嫌うが、自分自身は、地位を揺るがされるような事態に敏感で、自己利益に走る
という傾向にあることです。
また、人が権力を持つと、もともとのパーソナリティに沿ってその権力を用いようとすると言われています。
慈悲深い性格の人であれば自分の権力を利他的な対応に使いますが、権力への欲求が強い人は権力を利己的に使います。
例えば、「パワー動機」が強い上司は、自分と同じようにパワー動機が強そうな部下を冷たくあしらう傾向にあります。
パワー動機とは、「地位や能力の面で他の人よりも優れていたい」とか「価値あるものを誰よりも先に手にしたい」と思う欲求のことです。
このような人は、部下のアイデアに耳を傾けてそれを真剣に受け止めることもなく、せっかく自ら課題に取り組もうとしている部下がいても、その彼/彼女を育てようともしません。[1]
あなたの上司は、どんなふるまいをしていますか。上司が強いプレッシャーを受けているとき、どんな仕事ぶり、采配ぶりですか。部下に何と言いますか。
それが、あなたの上司の本性です。
このような上司という権力を持った人間の心理を踏まえたならば、正論が忌み嫌われることも理解できるでしょう。
自分で何もかも把握してコントロールしたがる上司に対して、あなたが上司を説き伏せるに十分な資料を持って、話をしに訪れたとしましょう。
このパワー動機の強いタイプの上司は、あなたが自分のことをコントロールしたがっている(パワー動機の強い部下だ)と錯誤してしまうでしょう。
そうなると、たとえ正論を伝えたとしても(あるいは正論であるがゆえに)、パワー動機の強いタイプの上司からは煙たがられてしまう可能性があるのです。
権力の行使に夢中になってしまうリーダーの習性を脳科学で検証した研究があります。
権力が自分の手中にあると感じているリーダーは、優秀なサブリーダーに対して、頻繁に指示を出し、難しい課題を与え、圧力をかけることで権力を行使し、成果に対する貢献度を低く評価することが明らかになっています。[2]
社会心理学者のデービッド・キプニスたちは、この現象に「権力の腐敗(power corrupt)」と名づけ、権力者たちが堕落していく姿だとしました。
人の行動は、脳の中にある以下の2つの神経システム(神経系)によって制御されていると考えられています。
・「行動抑制システム(Behavioral Inhibition System:BIS)」には、悪いことを避けようとしたり、進行中の行動を抑制したりする働きがあります。
・「行動接近システム(Behavioral Approach System:BAS)」には、報酬や目標に向かって行動を促進させる働きがあります。
通常、2つの神経システムは均衡しているのですが、「権力の腐敗」が起きている際には、バランスが崩れているようです。
「権力の腐敗」が起こっているときには、「行動接近システム」が優位になるため、通常よりも報酬や目標に向かって行動すると考えられています。
そして、ここで言うリーダーの報酬や目標とは、権力を行使し続けることなのです。
(1), 33. 以下も参照。渕上克義.(1988). 勢力保持者の勢力維持傾向と知覚された類似性の関係. 心理学研究, 58(6), 392-396.
(本稿は、『武器としての組織心理学』から抜粋・編集したものです。)
心理学から脳科学、集団力学まで、科学的エビデンスに基づく「リーダーシップの新しい教科書」。人間の本性を暴くユニークな分析で、マネジメントの通念をひっくり返す。「厄介だけど放置できない人間関係」を乗り越える最高の知恵が凝縮された1冊。マネジャー・経営者・監督・コーチなど、全てのリーダー必読!
作家 あさの あつこ さん
―いきづらさを抱えている若者は多いと思います。
それって、大人の決めつけだと思うんです。
経済格差や少子高齢化など課題が山積する昨今を、確かな未来の見えない「閉塞の時代」「絶望の時代」などと形容しがちです。
でもそれは、実は大人が勝手に描いたものに過ぎなくて、若い人たちをはめこんで「君たちはこういう構図の中で生きている、生きづらい今を生きているんだ」と簡単に言ってしまうのは、すごく無責任だし、間違っていると思うんです。
生きずらい、未来に希望がないと感じるのであれば、その正体が何なのか、それに立ち向かう答えを、一人一人が自分で出していかなけばいけないし、それができるから生きていけると思う。
でも、それを潰してしまうことがやっぱり多い、
若い人たちが希望を語ったときに、私たち大人がどう受け止めるか。
結局、大人側の問題だと思うんです。
だから、それにのみ込まれない。
みんなが信じ込まない、みんな信じ込まされない枠組みを揺らすような物語を書きたかった。
10代の少年が本気で語った言葉、真実の言葉に対して、社会がちゃんと反応できるというのは、私の希望なんです。
人は誠心誠意の言葉に心動かされるし、気付かされもする。
それを信じられないんだったら、物書きの資格はありません。
この世の中は捨てたもんじゃないということを、信じたいのです。
―あさのさんにとって、小説を書く原動力は何でしょうか。
まだまだ書きたいことが山ほどあって、自分が納得できていないんです。
こういう仕事に巡り合い、機会を頂けるというのは、とても幸せなことです。
自分が何を頑張りたいのか、10代だけじゃなく、20代、30代・・・・いくつになっても自問し続けること、すごく大事だと思うです。
他人の語る希望に引きずられると、自分に問うことがなくなってしまいます。
ささやかなことでもいい。
春に咲く一本の花を楽しみ生きることだって、すてきな希望です。
自分で出した答えでなければ、やっぱり納得できないと思う。
絶望の時代とか、こう生きればいいとか、全て他人の言葉ですよね。
それを振りまいた人が誰かも分からない。
正体不明のあやふやなものに巻き込まれないためにも、自問し続けること。
答えを出そうとあがき続けること。
それが、その人の根っこを強く大きくさせるんだと思います。
「アーセナルにおいでよ」あさの あつこ 著
1930年(昭和5年)11月18日は、牧口常三郎先生の教育学説を収めた「創価教育体系」第一巻が発刊された日である。
その出版は師弟の語らいから始まった。
冬のある夜、牧口と戸田は、戸田の家で火鉢を挟み、深夜まで語らいを続けていた。
その席で、教育学説を残したという牧口の考えを、戸田は聞いたのだ。
戸田は、力を込めて答えた。
「先生、私がやります!」「しかし、戸田君、金がかかるよう」
「私は、体一つで、裸一貫で北海道から出て来ました。そして、先生にお会いしたことで、今日の私があるのです。また裸一貫になるのは、なんでもないことです」
牧口は、じっと戸田を見て頷いた。
「よし、君が、そこまで決心してくれるなら、ひとつやろうじゃないか!」
牧口の目は、生き生きと輝いていた。
そして、つぶやくように言葉をついだ。
「さて、私の教育学説にどんな名前をつけるべきか・・・・」
すると、戸田が訪ねた。
「先生の教育学は、何が目的ですか」
「一言すれば、価値を創造することだ」
「そうですよね。・・・・でも、価値創造哲学や、価値創造教育というのも変だな」
「確かに、それではすっきりしない・・・・」
戸田は、頬を紅潮させて言った。
「先生、いっそうのこと創造の「創」と、価値の「価」をとって、「創価教育学」としたらどうでしょうか」
「うん、いい名前じゃないか!」
「では、「創価教育学」に決めましょう」
時計の針は、既に午前零時を回っていた。
師弟の語らいのなかから、「創価」の言葉は紡ぎだされたのである。
独りよがりの生き方が変わった。
苦難と戦う人々の体験を通して社会問題への意識啓発を目指す。
イギリスSGI クリシュナン・パテルさん
それまでの僕は、イギリスのプロサッカーチームに所属していた。
一流の選手たちと肩を並べてプレーしていたけれど、度重なるケガに、いつしたチームから必要とされなくなった。
アメリカの大学からオファーは、そんな時に舞い込んできた。
宝くじにでも、当たった気分だった。
だが、邸宅の住まいも期待はずれで、しかも、奨学金の話はウソだった。
その後、SGIに入会する。
信心の確信をつかむこことなる。
アメリカSGIの同志は、本当の幸せとはなにかを教えてくれた。
入会から1年がたった頃。
僕は別の大学に合格し、アラバマ州へ引っ越した。
そこでは、多くの友人をSGIの会合に招待し、仏法対話に挑戦。
その頃からだ。
友達や大学の先生、さらに初対面の人からも、悩みを相談されるようになった。
それまでは人から相談を受けたことなんて一度もない。
きっと、僕の中で何かが変わったからだと思った。
卒業後、僕はもっと多くの人のために生きたいと思うようになった。
題目をあげていると、ひらめいたことがあった。
唐突だけど、チャリティーマラソンの挑戦だ。
四つのマラソンを走りきり、集めた資金で、アフリカ・ウガンダでボランティアを行う。
SNSで発信すると、多くの人が応援してくれた。
トレーニングを重ね、2017年、僕は宣言通り、完走。
そして、ウガンダへ行き、障がいのある子や孤児院で暮らす子どもたちに、無償でサッカーを教えたんだ。
150人が学べる校舎の建設にも携わった。
イギリスの戻ったのは6年前。
200以上の仕事に応募するも、全て不採用。
さすがに途方に暮れたけれど、信心だけは疑わなかった。
転機は突然、訪れた。
ある日、こんなことを思いついたんだ。
SGIでは、皆が自らの体験を通して、誰かを励ます。
同じように、現実を生きる僕たちのストーリーで、社会に希望を送れないか―
僕は試しに、「励まし物語」と題してウェブサイトを作り、5年間のホームレス生活から脱却した知り合いの体験談を掲載した。
すると、一人の若い女性から便りが届いた。
<命を絶とうとしていましたが、体験を読み、踏みとどまりました>
以来、「励まし物語」は150以上の体験を掲載。
2万5000以上のアクセスがあり、数千ものうれしい感想が寄せられている。
また2020年には、NPO法人「励まし物語」を創設し、企業や団体、学校からの依頼に応え、ワークショップも開催。
難民やホームレスなど、困難を乗り越えた人にも体験を語ってもらうことで、社会問題への意識啓発も目指している。
僕は今、本気で一国の宿命転換を実現したいと決意している。
独りよがりであった過去を思うと、こんな未来が開けるなんて思いもしなかった。
どの瞬間も、僕を信じてくれた同志、そして池田先生―。
振り返るほど、もらった真心に、胸が熱くなる。
報恩の思いが、僕を突き動かすんだ。
僕の戦いは、まだ始まったばかり。
栄光の未来へ、きょうも走りつづけるんだ。
▼より良い社会建設へ、行動する。
一生のすべての体験は生きてくるのだ。
何ひとつ、塵も残さず、無駄はなかってことを実感するのである。
▼社会的な使命を果たすことには、意味がある。
人のために歩き、心を砕く。
悔いなく戦い抜いた人は強い。
その人には感傷も愚痴もない。
▼自身の壁を破り、挑戦を続ける、そのものが勝利なのだ。
何ものにも負けない<不屈の勇気>。
共にねぎらい、ほがらかに前進していくのである。
▼<音楽の可能性>
人々が生み出した歌や音楽が、社会を変える力となった事例もある。
「芸術は、波濤(はとう)を乗り越えて平和へ進んでゆく、生命の勝利の舞である」
▼文化は、地味かもしれない。
しかし、人間の心の奥深くまで照らし、一人一人の智慧を触発しながら、平和の方向へと、歴史変革の確かな底流を形づくっていくのが、文化の力である。
分断や紛争が絶えない現代だからこそ、文化を通じた相互理解を理念に掲げる文化運動は、一段と重要性を増している。
▼ギリシア語の「高貴な者」には「正直な」といったニュアンスがあるとし、それに相反する者たちを「自分自身に対する誠実さも素直さももたない。彼の魂は横目を使う。彼の精神は隠れ場を、抜け道を、裏口を好む」ニーチェ
司馬遼太郎は、儒教の徳目「仁義礼智信」の「信」を「正直」と解した。
正直であることは近代以降、格が大いに上がり、立憲国家の基礎となった。
ゆえに「国家機関や政治家が不正直であれば、(国は)手のにもった薄いガラス器具を落とすよういにこわれる」と喝破している。
▼正直、公明正大でることが政治家・政党に求められている。
法華経の万人成仏に基づき、人々の尊厳性・尊極性・平等性を開花する思想である。
その主役を担うのは、人間から離れた超越者ではなく、現実の世界の中で、社会の中で、地域の中で実践を繰り広げる師弟である。
弟子も、師と同じ実践を共有し、目覚めた民衆を一人でも多く誕生させていく。それが「民衆仏法」である。
使命を自覚した民衆自身が主役となり、民衆の勝利を開いていく「人間の宗教」なのだ。
一人一人が主体者となって「人間革命」に挑み、世界の各地に「仏法の思想」を広げていくことなのである。
▼逆境であるほど、燃え立つ魂。
庶民の底力を社会に示すのである。
▼物事を本質から捉える力。
民主主義のベースとなる合意形成の力を養う。
それは、自己理解も深める。
▼哲学対話である「本質観取」には、さまざまな教育上の効果がある。
子どもたちの思考力や言語力を育む。
互いに納得できる本質的な答え(共通了解)を見出して合っていく哲学対話は、人々をつなぐ希望の場となる。
▼自他共の幸福を目指す。
その第一歩は、眼前の一人と心を通わせことである
▼青年世代の頑張りに期待される。
青年は堂々と信念を語っていくのだ。
▼広島で被爆し、12歳で亡くなるまで鶴を折り続けた佐々木貞子さんの兄で、被爆者の雅弘さん(83歳)は「貞子がノーベル平和賞を一番喜んでいる」と受けとめていたそうだ。
貞子さんは、1955年10月に白血病で亡くなるまで、回復を願い鶴を折りづづけた。
雅弘さんは、その貞子さんの生涯を伝え、貞子さんが残した鶴を平和の象徴として国内外に送ってきた・
貞子さんがモデルとなている広島・平和記念公園の「原爆の子の像」には、年間1千羽の折り鶴が献納される。