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春が来た

「ムッソリーニ奪還作戦」 &「Fi156C・シュトルヒ機」

2011年03月02日 | 乗り物
イタリア・ファシスト政権の創設者 「ベニート・ムッソリーニ」は、第二次世界大戦前後から政権の弱体化が進み、ドイツへの従属を深めていく。 連合軍によるシチリア占領を契機としてムッソリーニ批判が顕在化、解任動議の出された大評議会はこれをを可決し、彼は首相の座を追われ逮捕される。 これに対するナチス・ドイツの対応は素早く、翌日には「アドルフ・ヒトラー」がファシズムの盟友である彼を救出すべく、ドイツ軍きっての特殊工作部隊が結成され、実行隊長に武装親衛隊の「オットー・スコルツエニー」を任命する。

ムッソリーニの身柄を拘束した親米英派のバドリオ政権は、反体制派による奪還を防ぐため、イタリア半島中央背稜を走るアベニン山脈中のグラン・サッソ山(2992m)、山頂にあるホテル「カンポ・インペラトーレ」に幽閉する。 この場所をラジオ放送の暗号解読などで突き止めたスコルツエニーは綿密な作戦計画を練るが、周囲を切り立った断崖に囲まれ、山麓の村からは細く険しい山道とロープウエーがあるだけ。 また兵員をパラシュート降下で狭い範囲に集中降下させるのが困難と判断、コマンド部隊をグライダーで輸送し、救出したムッソリーニは世界初の量産ヘリコプター「Fa223」で運ぶすることを決断する。

1943年9月12日、作戦は決行された。 コマンド部隊は胴体前部に3個の逆推進ロケットを装備し、ユンカース52/3mに曳航された12機の「DFS230・C-1」滑空機に分譲し、8機がホテル前のわずかな空地に神業のごとく舞い降りた。 護衛のイタリア兵は突如の敵奇襲に仰天、逃走し、双方とも1発の銃弾を発砲することなくムッソリーニの身柄を無傷で確保する。 姿を見せたムッソリーニに向い、隊長のスコルツエニーが叫ぶ。 「閣下、ベルリンからお迎えに参りました」。

さて、ムッソリーニを運ぶはずだったFa223は、グラン・サッソへの移動中に破損、急遽「Fi156C・シュトルヒ機」が用意されていた。 1935年ドイツ航空省は数社に対し新型連絡機・偵察機の入札を行う。 フィーゼラー社の提示した機体が短距離離着陸性能(STOL性)に抜きん出ており、離陸には向かい風で50m、着陸には20mで十分であった。 240馬力のレシプロエンジンを装備した機体は、馬力の割には低速で175km/hしか出せなかったが、大馬力は無駄ではなく、高いSTOL性能に生かされていた。

着陸装置の長い脚はオイルとスプリングのショックアブソーバーを内蔵しており、着陸時には46cmほど縮む。 このおかげでほとんどあらゆる場所へ降りることが可能となった。 救出に使われたシュトルフは機は30mで着陸し、重量オーバーにもかかわらず75mで離陸し、ムッソリーニを無事ドイツ軍の支配する安全地帯まで送り届ける。 DFSの着陸からFi156Cの離陸までに要した時間は僅か11分、歴史に残る「要人奪還作戦」となった。


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