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「武相荘」  旧白洲邸(鶴川) 「41歳の決断」

2015年07月19日 | 生活DIY
 白洲次郎は、1943年(昭和18年)鶴川で自給自足の生活を開始した。「41歳」であった。



 白洲次郎・白洲正子、二人が移り住み、形作り、生涯を通して愛した家「武相荘」とは。
http://buaiso.com/



 白洲次郎が畑仕事を楽しんだ鶴川(町田市能ケ谷町)は別邸。赤坂にタウンハウスがあった。
白洲は「素人仕事」と回りには言っていたが、至って本気だったようです。
農作物に対しても研究熱心で、農協にも入っていた。
昨年末12月20日に改装OPENしたレストラン&カフェは、明日1月8日から営業。




 白洲次郎は木工好きで、テーブルやカトラリーをどんどん作った。
建築家、角坂裕は大伯父白洲次郎について、こう語っている。
「けっこう本人は満足しているんですよ。
私自身は建築を学んだので、セオリーから離れられない処があるのですが、次郎は想像もつかない事を気軽にやってのける・・・。」




白洲正子著「自叙伝~鶴川に移る」から
・・・そんな風であったから家の中は荒れ放題だった。茅茸屋根は雨洩りがしていたし、床も腐って踏みぬくという塩梅である。買ってはみたもののそのままでは住めなかったが、さすがに骨組だけはしっかりしており、大黒柱や梁などは見事なもので、それだけで私たちは満足した。
 それは昭和十五年のことで、若者たちはみな召集されて村には年老いた大工が一人残っているだけだったが、戦争がはじまった後でも、すぐ空襲がはじまるわけではなし、ゆっくり修理をすればいいと思っていた・・・


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