カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

自発協同学習で学ぶ(2)

2009年07月15日 | 主要な論文

優越感と劣等感からの解放

 以上、自発協同学習というものに対し、筆者なりのアプローチを試みてきた。が、このようなものを「言葉によって伝達するには限界がある」という気持ちも少なからずあるのが正直なところだ。それはカウンセリングというものを「言葉によって伝達するのは不可能である」という事実と同様だ。ゆえにカウンセリングでは、何よりも体験学習が重要視される。
 以下に「信川教育の本質をズバリ表現している」と思われる友田先生の論文を再録しておく。引用したのは『花は自分でひらく』(日本カウンセリング・センター刊 1979年)からの一部抜粋だ。これらの記述によって“自発協同学習”と仮に名づけられた何かを、そしてまた、“それ”に生涯をかけて取り組んだ信川先生と平野先生両名の“人”を感じ取ってもらえたら……というのが、現在の筆者の切なる願いである。
 老子は言う、「道可道、非常道、名可名、非常名」(道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず)と。孔子もまた言う、「人能弘道、非道弘人也」(人能く道を弘む。道、人を弘むるに非ざるなり)と。仮に“カウンセリング”という言葉を「人間の飛躍・成長・発展を目指して行なわれる何らかの取り組みである」と定義するならば、友田先生にとっての蕉風俳諧も、信川先生や平野先生にとっての自発協同学習も、これらは方法や名称こそ異なれど、それぞれの実践者(=人)において紛れもなく「カウンセリングだった」と、筆者は確信している。

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 今さら申し上げるまでもないとは思うのですが、一般的な言い方をすれば、
  “教育は、意識的教育と無意識的教育とに二大別される”
わけで、“きわめて困難な教育上の諸問題”がほとんど後者、つまり“無意識的教育”に属することは、すでに周知のところでありましょう。“信川先生の教育”が、特にこの映画に現われている限りにおいて言えば、この“無意識的教育”に焦点を合わせていること、自明でありましょう。“自然の中の生活教室”に集まってきている子どもたちは、多かれ少なかれすでに、この“無意識的教育”の領域において、“阻害され傷害されている子どもたち”であります。信川先生は、多くの子どもたちが、というよりも“すべての子どもたちが”と言ってしまっても過言ではないくらいに、“教育”という名のもとに、不知不識のうちに阻害され傷害されている現実について、世のいわゆる“批判的言辞”を弄するようなことを何一つ語っておられません。しかし、それこそ“声無き声”で、
  “不知不識のうちに阻害され傷害されている子どもに、どうかもっともっと心を寄せてください”
と、“祈願をこめて”語りかけてくる信川先生の言葉を耳にするのは、決して私だけではないでしょう。
 “無意識的教育”――それは、現実の世界においては端的に、“優越感および劣等感”となって顕現してまいります。信川先生が、どんなに深く、かつ強く、この“優越感と劣等感の問題”に心を寄せておられるか、そしてまた、ご苦心・ご苦労を重ねておられるか、ということもまた、誠実かつ敏感な視聴者の方々によって、容易に感得されるところでありましょう。誤解されることを恐れず、思い切って単純化して言えば、この映画に関する限り、
  “信川方式の焦点は、不知不識のうちに身につけてしまっている優越感や劣等感から子どもたちを解放するところにある”
と言ってしまってもよいのではないでしょうか?(中略)
 “温故知新”は、決して決して言葉ズラで片づけられてはならないでしょう!! “自然科学”の分野において、西欧の科学者たちが東洋古来の思想に興味を抱き関心を寄せ始めている傾向は、決して表面的な動向ではなく、“物理学の秩序を書き換える必要がある”(ロンドン大学教授 デビッド・ボーム)という見解をさえもたらしているとのこと。門外漢の私には、近代物理学の実相は判りようがありませんけれど、“古い古い東洋思想が最初の科学の基盤になるであろう”動向は、十分に肯けるところであります。“優越感の解消”と、“劣等感からの解放”と、――現実的・方法的に、この問題に焦点を合わせているように思われる“信川先生の教育”は、その真実相においては実は、“意識”とか“無意識”とか、あるいは“優越感”とか“劣等感”とか、というような次元をはるかに超えた次元で展開されている、“きわめて古くて最も新しい教育である”と言ってよいのかもしれません。浅学非才にして怠惰な私には、とうていそこまで立ち入ることができませんけれど、存分に立ち入り検討する価値を秘めていることだけは、心ある人々の感得するところではないでしょうか!?

<引用文献:友田不二男 1979年 「“信川先生の映画”完成に寄せて」『花は自分でひらく』日本カウンセリング・センター P.8-10>


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