カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

友田不二男研究(7)

2009年11月22日 | 主要な論文
<考察1>
 “ロジャーズとの決別”をめぐっては、じつに様々な問題点が想起されるが、ここでは“ロジャーズと道を違えていったプロセス”に焦点を合わせて、これをさらに追いかけてみようと思う。
 とその前に、友田とロジャーズとの“関係論の違い”について(これは本稿の主旨とは異なるが)、もう少し明確にしておいたほうがいいかもしれない。以下は、ある座談会の席での友田の発言である。

 ああ、あれが生きてきたなあ――第9巻のハーバート・ブライアンのケース(注:『ロージャズ全集9巻 カウンセリングの技術』岩崎学術出版社 1967年 を指す)をもってきているんだけど、おそらくロジャーズの40歳ごろのケースだろうと思うけど――伊東さんは、カウンセラーはスナイダーじゃないかというけれど――とにかくクライエントのブライアンがヴァキューム(真空)という言葉を使っているんですよ。ヴァキュームというのは、現実離れした世界なんですがね。いわば無菌状態の、現実的な状況でないところ、実際にはあり得ない世界のことなんですけどねえ。
 このハーバート・ブライアンと名づけられたクライエントが、人間が変化するのは、わかりやすくいうと“ひとりぽつんといるとき”である、人間と人間の接触があったり、現実の状況のなかでは、人間は変化しない、といいだすんですよ。カウンセラーはこの意見に反対で“人間関係において人間は変化し成長してゆく”という。このところがわたくしのキイ・ポイントになるので注釈をたくさんつけたんですけれど、わたくしは確かに、クライエントに軍配を上げているんですよ。人間はひとりでぽつんといるときに飛躍したり成長したりしてゆく。その飛躍や成長を確かめてゆくのが人間のつながり、具体の世界、であるけれど、その現実の世界、現実の人間関係において成長が起こるのではない、と思うんです。
 そう考えてみると、これは、禅にもそのままつながるんで、修験者がひとりで山に入って滝に打たれるとか、座禅をひとりで組む意味が、わたくしには非常にリアルになるんです。これをカウンセリングにもってくると、ロジャーズのテクニックが意味をもちうるのは、クライエントがひとりでぽつんと置かれた状態になることにある。
(※28)

 『ロージャズ全集9巻 カウンセリングの技術』に付された友田の訳注を読めばさらに明確になるだろうが、筆者がこの文章を引用したのは、友田の関係論――すなわち“関係のない関係”論――は、「禅思想(東洋思想)を基盤にした考えかたである」ということを示したかったからである。対するロジャーズの関係論――すなわち“関係のある関係”論――は、「西洋思想を基盤にした考えかたである」と言ってよいだろう。(ちなみに、このなかで議論のひとつとなっているブライアンのケースの“カウンセラーの正体”だが、それは“ロジャーズだった”ことが最近の研究で判明している)。
 したがって、友田が“ロジャーズとの決別を宣言した”という事実は、臨床家としての自身の基盤を欧米流の心理学や西洋思想にではなく、「(禅思想を含めた)東洋思想にシフトした」ということを同時に意味するのである。
 もっとも、ロジャーズも晩年は「スピリチュアリティの方向へシフトしていった」と伝え聞いているので、ひょっとすると晩年のロジャーズだったら友田の“関係のない関係論”に対して、大きく肯いたかもしれない――という可能性はあるが。余談になるが、ロジャーズの“スピリチュアルなケース”(注:『カール・ロジャーズ入門 自分が“自分”になるということ』諸富祥彦著 コスモス・ライブラリー 1997年 P.265 に掲載されているジャンのケース)を検討していた講座の席上で、友田が発した「ロジャーズがようやく私に追い付いてきた」というセリフを、筆者は忘れることができない。

 さて、ということになると、“ロジャーズと決別していったプロセス”は、イコール“友田が東洋思想へとシフトしていったプロセス”だと見なすことができるだろう。となると、そもそも友田が“友田自身の道”を歩むようになっていった原点はどこにあったのだろうか? このあたりの問題について、友田本人の表現によると、

 端的に申し上げて“老子の説く道(タオ)”に少しでも沿う方向を志す時、私は、ロジャーズからスタートした歩みが自然とそのまま東洋、就中“中国”の古典へと続いてしまったことを、ハッキリと自認し自覚しているのであります。もちろん、“お前の場合、中国の古典が先かロジャーズが先か?”と問われますと、これは鶏と卵の先後を論ずるようなものですけれど……。(※29)

となるわけで、「原点は何か?」と問うたところでこれは、“本当のところ”となると本人にも答えられない性質の問いなのであろう。ということを十分踏まえたうえで、「友田と東洋思想との関連」について、現在の筆者にわかる範囲でより明確にしていこうと思う。

 東洋思想との最初の出会いは、旧制中学時代にまでさかのぼることができる。すでに述べたが、『論語』、『孟子』等の漢文(中国の古典)に強い興味と関心を持ったという。それから夏目漱石の『吾輩は猫である』にも関心と疑問を抱いた。無論、それらの関心や疑問が“カウンセリングと結びついて”のものではなかったのは間違いない。この当時の友田には“カウンセリング”はおろか、“心理学”という言葉すら頭になかっただろうと想像するのは、むしろ当然だと思うからだ。
 青年時代には、人並みに“宗教”にも関心を持ったという。道元の『正法眼蔵』はとくに愛読したらしく、「戦時中に読破した」という話も伝え聞いている。その中の一節、「自己をはこびて万法を修証するは迷いなり。万法きたりて自己を修証するは悟りなり」は、友田の座右の銘のひとつになっているほどだ。ただし、友田にとっての禅仏教は、「“宗教”というよりははるかに“哲学”だった」と述べている。(※30)
 教育相談時代には、“天の声を聞く”という神秘的な体験があった。この体験は上述の“道元の言葉”にぴったり符合しているものと筆者は考えるが、それはともかく、その後の友田の人間観や宇宙観、そして信念が形成されていく過程において、「きわめて重大な意味を持つ体験だったに違いない」と筆者は想像している。
 カウンセリング(すなわちロジャーズ)と出会った後は、とくにこれといったエピソードは思い当たらないが、大甕ワークショップのときの体験を『老子』第一章の「玄之又玄、衆妙之門」と結びつけてのちに語っているのは興味深い(※31)。また、米国留学する前のロジャーズとの手紙のやり取りのなかで、「鈴木大拙の著書を読むようにロジャーズに薦めていた」のは、上掲した論文中に示されている通りだ。これなどは、「ロジャーズのカウンセリングと禅思想との関連を友田が観じていた」からだろうと筆者は想像する。

 「友田と東洋思想との関連」に限って言えば、概ねこのようなプロセスを経ながら、1967年に『ロージャズ全集9巻 カウンセリングの技術』を編集・翻訳した際、クライエントのブライアン氏が発した“ヴァキューム(真空)”という言葉と出会ったのである。友田はブライアン氏の“ヴァキューム(真空)”という言葉を禅における“無”や“空”と同一視しているが、友田を開眼させると同時に飛躍・成長・発展させたのもこの言葉――というより、この言葉を発したブライアン氏――だったのである。友田はこのときの経験を、

 第三のことは、この翻訳を遂行する過程において、だれよりも私自身が“はじめて気づかせられた”問題であります。もっと正確にいえば、“そこに重大な問題がある”ことは前々から感じていながら、しかもどうにも明確にならずにいたことが、ブライアン氏の表明をとおしてきわめて明確な問題意識となった、その“問題”であります。それについては、かなり入念に“訳注”をしたためておきましたので、ひとりでも多くの読者のご検討とご批判とを仰ぎたいのでありますが、それは、ブライアン氏によってまず提出され(ク452――215ページ)、やがてカウンセラーによっても取りあげられるようになった(カ515――250ページ)“真空(vacuum)”の問題であります。(※32)

 と述べている。この文章は『ロージャズ全集9巻 カウンセリングの技術』の「編者あとがき」からの抜粋だが、これに続けてまさに“友田不二男の真骨頂”とも評すべき持論を展開している。少し長くなるが、ついでにその部分を転載しておこう。

 今ここに、訳注以上に書きそえる必要を感じませんので、たんに問題の所在を示唆するだけにとどめますが、もしも今の私の仮説的な問題設定が支持されるとすれば、たんに私が経験している“カウンセリング”がいっそう明確になるばかりでなく、今日一般に“教育”とか“指導”とか“訓練”とかいう言葉にもとに遂行されている人間のいとなみは、基本的に独断であり、錯誤であり、迷妄である、ということになるでしょう。果たしてそうであるかどうか? 現在のいわゆる科学的方法では、おそらくとうていたしかめ得ない問題でしょうが、少なくとも“人間の基本的なあり方”に密着する“哲学”として、思考し究明すべき絶大な課題である、と私は思っております。
 さらにいえば、これは、一般的・社会的に把握され、もしくは理解され、さらにしばしば信じられているとさえ思われる、東洋文化と西洋文化との有力な“かけ橋”ともなりうる手がかりを提出しているように思われます。現に、本書に登場しているカウンセラーに関する限り、この“真空(vacuum)”という言葉で呼ばれている何かに関しては明らかに否定的なのであります。そしてそのような認識は、たしかに、アメリカ社会における一般的・通念的な理解のしかたなのでしょう。もしもそうであるとすれば、今、アメリカ社会における文化形式がとうとうとして流れ込み、かつ、まんえんしている半面において、これと真っ向うから対立するかの様相を呈している東洋文化的な思考形式が入り乱れている日本の状況は、東西両洋の基本的な文化形式を総合しうる可能性をきわめて豊富に保有しているという意味において、まことに重大な意味を含んでいる、といえるでありましょう。
(※32)

 なにかしら筆者には、この文章が「現在の日本人に宛てた“遺言”であり“警告”でもある」かのように読めてしまうのだが、それはともかく、もしも読者がこの友田の持論を真に理解するならば、その後の友田の歩みについても“おのずから”理解できるだろう――と筆者は確信している。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 友田不二男研究(8) | トップ | 友田不二男研究(6) »

コメントを投稿

主要な論文」カテゴリの最新記事