★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

11年を前にして

2015年01月29日 | 家族の気持ち&行動
先日、お母ちゃんもお世話になっていた税理士事務所の先生に、
『お母さんのブログ最近書かないの?』
とご指摘を受け、苦笑した私です。

2015年になって始めての投稿です。

お母ちゃんは相変わらず元気です。
毎度
『シンドイ~死んだらどうしてくれるん?』
『母ちゃんはしぶといけん、死なんしなん。大丈夫!』
と言うと
『しんだら化けてついとくけんね。』
と世にもおそろしいコトをおっしゃられるので
『生きてついとってね。』
『ほんまに?』

というくだりを毎回繰り返すような元気ぶりです。
つい先日も
『私、100まで生きるわ。』
というので
『元気で100まで生きてください。お、お願いよ。』
と言っておきました。

2014年は振り返ると資格取得、インプットの年でした。
コーヒー検定2級(試験前夜に息子が骨折というアクシデントもあり)ギリギリ合格。
そして資格ではないけれど
お母ちゃんも私もリコネクションというヒーリングを受けてみました。
なぜ病気になってしまったの?という永遠のテーマというか課題に
少し答えがわかりかけているところです。
一言で言うと全ては愛情で解決できると感じています。
お母ちゃんの今生のミッションをクリアにするお手伝いは
近くにいて励ましてあげることかなとも感じています。
かなり癒しが深まった年でした。

思いがけず、義理の姉も数年前に同じサロンで受けていたらしく
それ以後、心が通うようになってきて、実はそれがいちばん嬉しかったりしています。

仕事面では、息子の教育同様、人材育成ってやっぱ愛だね。ということに
気づかされ、自分から愛情を出していくには
自分自身がゆとりと幸福感がないとダメなことに気づきました。

思いは通じる、ピンチはチャンス、など
最近8歳になった息子がとてもセンスのある言動を見せ始めてくれています。
そうもう8歳なんですよ。子どもを育てるって仕事がこの世で最も尊い仕事ではないかしら?
と感じる日々です。私の場合、プロラクチノーマという訳あり出産ですけども
叶うことなら、二人目を産んで育ててみたいなと思っています。

『お母ちゃん、私がまた子ども産んだら、面倒みてくれる?』
『ええよ。そりゃみたげるわいね。』
と即答で言われました。(*^^*) ← 要介護5の方です。

こうゆうのは授かりものですから
あせらず、日々今を大切にトライして
あとは神様にお任せしようと思っています。

遅くなりましたが、2015年も良い一年となりますように。

今日でお母ちゃんは69才になりました。

2014年08月25日 | お母ちゃん★日々の様子
今日、8月25日は
お母ちゃんがクモ膜下出血で倒れてからベッドの上で迎える
10回目のお誕生日でした。

今日まで生きて私のお母さんでいてくれたことに感謝です。

10年前の今日、生きるか死ぬかの状態から
誕生日を迎えられる喜びを綴っていたなぁと思い出して
自分のブログを検索してみました。

http://blog.goo.ne.jp/tomoe-mama/e/8d84aa8afc0914fc957dd719a2206ed4

そうそう。あの時はバッグをプレゼントしました。
毎年買ってあげるけん、100まで生きてとも言いました!

さすがにバッグばかりあげても・・・なので
今年は、肌触りの良い服を色違いで2枚プレゼントしました。

生きていてくれるだけでありがたい、家族のぬくもり。
最近では、もう大好きとカワイイをひたすら伝えてます。
すると、鏡のように同じコトバを伝えてくれます。

介護が報われる瞬間です。
ただただ、ありがたく、幸せな気持ちになります。


PS
同じ広島県の広島市の安佐北区と安佐南区では
テレビ報道のとおり、甚大な土砂災害が起こりました。
同じ県民として他人事ではなく、そして悲しみを感じます。

私にできることはないかとHPを調べましたが
明日、郵便局へいって 広島市の災害に寄付する ことにしました。
私ができる額は些細ですが、少しでも被災者の方の気持ちに寄り添い、
一番力になってくれるだろう広島市へ送金したいと思いました。

セブンイレブンでも微々、募金をしました。

一日も早い復旧と、被災者の方々の心が癒えますようにお祈り致します。




最近気づいたコト。

2014年07月08日 | 家族の気持ち&行動
今日は、書きたくなって長文です。

小さい頃。喫茶店を経営する忙しい両親に育てられた私。忙しくも楽しそうに仕事する父が好きだった。母は父について一生懸命仕事していた。でも、元々が好きでやってるわけじゃない仕事だから、グチが多かった気がする。 ( グチが大きくなりすぎて、年をとってからそれが自分にストレスとなって返ってきて病気になってしまった母は可哀想。でもカワイくもあり介護な日々。)

子どもながら、タイヘンそうな親を手伝おうと思った。両親が喜ぶ顔が見たかったから。
小学生も高学年になり、モノを売って儲けるコトの意味がわかりかけた頃、銀行って、何も作らないのになんであんなに沢山人がいるのかぜんぜんわからなかった。お金を貸して、キンリで儲けるんだよと教えられてもぜんぜんピンとこなかった。私が小さかった頃は町に昔ながらの商店街があって、祭りともなると出店が賑わい、こんなにも人がいたのかと驚いた記憶がある。
でも、私が中学生ぐらいだったか高校生だったか、町の新開発とかで商店街は隣町へと続くバイパス工事で新ビルにほとんどが移転させられてしまった。
時は経て、今はその元、新ビルすらシャッターがおりて、テナント募集の張り紙が目に付く廃れた駅前のビルとなってしまった。
その代わりに、町のはずれに、大きなショッピングセンターができた。お年寄りは、買い物が遠くなったと嘆く人が多い。

話は変わるけども、昔ながらの喫茶店から変身したカフェや、カフェレストランを経営することになった現在の私。できるだけ手作りでかんじの良い店を志している。でも、カンタンで便利なものは、添加物がたくさんはいっているいわゆるデキアイの商材をつかえばイージーにできる。でも、手作りするには人件費がかかる。最近のゆとり世代と仕事をするストレスとジレンマ。。。今でも、できるだけ自分の子どもに食べさせられるかを基準に試行錯誤の日々。

10年以上前、レストランを開く前にヨーロッパをまわり、イタリアのレストランやパン屋さん、ピザ屋さん、でホームステイしながら働かせていただいたことがある。その時、牛乳以外に賞味期限なんてほとんど目にしなかったし。買ったらすぐ食べるし、よく洗ったのにもかかわらずサラダに思いがけずついた虫で騒ぐお客もいなかった。おいしい野菜は虫も大好きなんだと言っていた。私の訪れたイタリアの町はほぼ、町の中心に教会があって、放射状に道が広がり、そこかしこに歴史のある小さくて良い店がたくさんあった。もちろん、郊外には大きなショッピングセンターもあったけども、イタリアのママはほとんど自分の町で毎日買い物をしてその日の料理を賄っていた。
家族が食卓を囲むふつうのしあわせがあり、日曜にはほぼ全ての店が休みになるけども、みんな公園にピクニックに行ったりして不便だけども充実した家族団欒を楽しんでいるように見えた。
一番驚いたのは、ウィンドウショッピングをせずに、ベルトを買いにいくなら、その日はベルトだけを狙い定め、とことんこだわって選んで良いものを修理しながら大切に使う文化なのだともわかった。そして、若い世代もパパママ世代もそれぞれの友達と毎週のようにカフェやレストランで会うのを楽しみにしていた。人生楽しそうでいいなと思った。

そして今のニホン。時の政権は憲法の解釈を変えようとしている。たぶん経済を守る為に、大きな企業を守って経済を守ろうとしている。例え戦争になっても?!あちらにはあちらの正義と言い分があるのでしょう。(私はイヤだなー。)

でもね、今のニホンって、パパママさんが目が行き届く手作りの店が少なくなって、大きな巨大なスーパーやモールが品揃え豊かで楽しくて安全で安くて。。でもその安全を確保する為にたくさんのデキアイな添加剤を使うしかなくて。。はるか遠い国から輸入したりなんかして。休みなく家族がバラバラに食事したりしていて。。もしかすると、昔はなかったような病気や心のバランスまでも崩しているとしたら。。。

なんかとってもアホみたい。

私最近、外食してもおいしくなくてホットできないことが多くて。
結局売ってないものは自分で作るしかないなと思ってしまう。

まずは自分ができることから始めよう。自分が心からしたいこと、食べたいものを。そしたらまず自分の周りが健康でしあわせになる。今を大切にみんなが、個々ができることを楽しんでいけばいいんじゃないかな?
(うちの病気のお母ちゃんから学んだコト。元気なうちに人生をもっと楽しまなくちゃ。そして守る時はまもらなきゃ。自分でね。)

本当に大切なものは自分の目で選んで作るのがイイ。手間も面倒も楽しんじゃえ。

というわけでイササカ強引ですが、戦争は反対だし集団的じえいけンは反対です。





10年も生きてくれた母にありがとう。

2014年02月17日 | 家族の気持ち&行動
10年前の今日、お母ちゃんはクモ膜下出血で倒れました。
あれから10年も経ちました。
いろんな事がありました。

でも、お母ちゃんは今日も生きてくれています。
守り助けてくださった方々、ご先祖様や、神様に感謝の気持ちを伝えたいです。
本当にありがとうございます。一緒に生きて過ごせて幸せです。

プライベートと仕事では、日々ちょっとしたタイヘンはありますが
お母ちゃんが倒れたあの日からのタイヘンを思えば
何てことない小さな悩みばかりです。笑い飛ばせるレベルです。

ちょうど先週の今日、お母ちゃんとお父ちゃんが何十年もが作り育んんできた喫茶店を
リニューアルオープンさせる事ができました。
昔ながらのお客様にお会いすると(私を見て)

あなたお母さんそっくりになったね。

と言われます。。喫茶店を復活させるにあたって考えに考えたコンセプトは

地域のコミュニティカフェとしてこれから先何年も 地元の皆様に愛されるように続けていく

ことでした。すると不思議と協力してくださる方々が現れてくださいました。
今もまさにそんなかんじです。

これからも気負いすぎず、ぼちぼちやっていこうと思っています。



2014年おめでとうございます♪

2014年01月05日 | 家族の気持ち&行動
2014年もあけましたね。
私も、お母ちゃんも、息子も家族も元気です。

年末年始は主人の実家がある東京へ帰省していました。
年末はカフェの仕事を早め早めに片付けて、
いろんな対策をして、東京へ移動して
お墓参りをして、大晦日に一日だけ池袋で息子が満足するほど遊びました。

かいけつゾロリの映画>仮面ライダーショー>水族館>プラネタリウム


新年を迎えて、親戚や兄弟とご馳走を食べて
遠く離れているから普段はなかなか会えないけども
地震の時などの緊急連絡の方法や、何かあった時には助け合って
仲良くしていこうと誓い合ったのでした。

そして、広島に戻ってきて。。。

お母ちゃんに今年は

希望を持ってもらう。
本当の意味でお母ちゃんのハートを助けたいと決意しました。

今までもお風呂やトイレ、掃除や洗濯、リハビリなど
リアルな現実でも精一杯助けてきました。
でも、もう丸10年で、お母ちゃんがもしこのまま
旅立つとしたらまだ、やり残していることがあるなぁと。

お母ちゃんが生きていて良かった。
どんな状況でも幸せだと感じられて
最期には、いい人生だったと旅立たせてあげたい。

そして、まだまだ生きていてほしいし、
そもそもヤル気をそろそろ出して欲しいなぁと娘は思っています。


私の介護10年はそれは大変でした。
でもその経験で得られた知識や気づきはとても貴重な宝物です。

これからの10年は、
何があっても受け入れて、自分の思うままに行動し
周りに感謝して、困っておられる方を少しだけ勇気付けられたり
ほっとできる存在になれるようにさりげなく楽しく生きていきたいと思います。

ps デザインテンプレートを緑のgooの新しいものに変更してみました。
違うブログに来た感じになった方いらしたらごめんなさい。これもいいかなぁと思っています。