いちばん記憶が多い遊び場は大川である。疎開が夏の暑い一時期であったから毎日水辺へ水遊びに出かけたからである。また、近所の腕白どもの遊び場が川原やその周辺を主としていたからであろうか。
大川へ行く途中、踏切を越えてしばらく行くとお寺であろうか、長い塀の続く地道があり、塀の中から張り出した大きな白い木蓮の花びらが落ちていて、都会育ちの自分には珍しく、白い柔らかなしゃもじが落ちているように思ったものだった。この記憶からみれば、亀岡への疎開は真夏から始まったのではなく、もう少し早く5月頃だったのかもしれない。
線路に沿った街道の途中に石材屋でもあったのであろう。墓地用の墓石としておいてあったのか、切り出したばかりの大きな石がごろごろと積んであった。その石さえも子供達にとっては格好の遊びの舞台であった。石山の上に上って「お山の大将」を気取ったり、陣地の奪い合いをしたりしたものだ。大将は山の上で次ぎのように叫んだものである。
お山の大将
ぼく一人
後から来るもの
突き落とせ
大川は勿論、主流は大きな川であったが、平行して水がとうとうと流れる人工の側流があった。その流れの一つに丸太を渡しただけの一本橋があった。丸太の下は大変深く、急流が白波をたてて流れていた。田舎の腕白どもは、この一本橋を平気の平座、目をつぶってでも渡れるようであった。自分は恐くてとても立っては歩けなかった。自分が渡ろうとすると、腕白どもは面白がって一本橋を揺すった。背丈の何倍もある下の急流を見るだけでも足がすくむのに、自分ひとりが橋の中央まで進んだ辺りで揺さぶられると四つん這いになって橋にしがみ付かざるを得なかった。きっと大変に不細工な格好であっただろう。人が怖がれば怖がるほど腕白どもは橋を大きく揺さぶり続けて大声で笑うのである。
これは耐え難い屈辱であった。土地の腕白連中のように立って歩く勇気はないが、かといって、多数の腕白相手に反撃することもできない。都会から迷い込んできたよそ者をいじめるのは、田舎の子どもにとって大いなる快感ではあろうが、弱者にとっては成す術もなくただじっと歯を食い縛って我慢をするだけであった。
後年、多分、数年後、小学生になってからと思う、まだ泳げなかったときのこと、この大川まで遊びに来て裸になって水遊びを楽しんだことがあった。腕白坊主の漕ぎだした一本櫨の小舟の縁に掴まって川の真ん中まで出た。そこは流れが早いだけでなく足も立たないところであった。この時の腕白も多分、数年前の腕白と同じような心理状態になって、見知らぬ弱そうなよそ者にイタズラをしたい気持ちになった。突然、この自分に船の櫂(かい)に掴まれと言う。自分は何一つ疑わず、きっと、船の縁にいる自分の体が邪魔になって漕ぎにくいのではないかと気を使って言われる通りにした。自分が櫂に掴まるやいなや、その腕白はいきなり、その櫂を川底めがけて突き立てた。掴まっている自分は、深みに押し込まれ、息が出来なくなってこらえきれずに手を離した。泳げなかった自分は、浮きつ沈みつ川の流れに流されはじめた。2、30秒くらいはばちゃばちゃともがいていたであろう。ここで死ぬ、もう完全にだめかと観念したら、突然だれかの体に触れたので、必死になってしがみついた。助けてくれたのは、3歳ほど年上の岡田家の従姉の一人。後年、大学生のころ出会ったときには大変な美人に見えたが、その後の付き合いがないので、今では命の恩人であるに関わらず名前すら思い出せない。
人間は土佐衛門になる直前、体が流されている間は、案外、記憶が確かなものである。必死にもがきながら流されていると、きれいな白い水の泡と明るい空の色が交互々々に見えたり見えなくなったりする。何かに体が触れたときには、一緒に溺れるかも知れないなどと考える余裕もなく、ただがむしゃらにしがみつくだけであった。
「溺れるものは藁をも掴む」というが、実際に溺れることを体験すると、本当にその通りだと思う。溺れるものは前後の見境がない。藁どころか何かあれば人であろうと何であろうとしがみつく。下手に近づくと道連れにされるのが落ちだから、泳ぎに自信のない者は溺れる者に近づかぬ方が賢明である。
もう一つ思い出がある。
岡田家のトイレの話は前に記したが、当時、トイレットペーパーは大抵、古新聞を四角に切ったものと相場が決まっていた。ある時、トイレで用を足した後、紙箱を覗くと不幸なことに空っぽであった。そのような緊急の時はその場所から大きな声で叫ぶしかない。トイレは母屋から離れた所にあったので、声は届かない。いくら「紙い」「紙い」と大声で叫んでもこだまが帰るばかりであった。
そこで、持久作戦に出て歌を歌い続けることにした。この時の適当な歌はこれしかない。「もしもし亀よ、亀さんよ」の歌詞の「亀」の部分を、「紙」に変えて、
もしもし紙よ紙さんよ
世界のうちでお前ほど
頼りになるべき物はない
どうしてここに居ないのか
歌い続けること十数分。房江ちゃんがやっと持ってきてくれたのは、大きさが1センチ四方くらいの小さな小さな紙片一つ。それでお尻がふけるものか。小さい女の子の可愛いイタズラではあるが、結局、その場はそれで何とかせざるを得なかった。


大川へ行く途中、踏切を越えてしばらく行くとお寺であろうか、長い塀の続く地道があり、塀の中から張り出した大きな白い木蓮の花びらが落ちていて、都会育ちの自分には珍しく、白い柔らかなしゃもじが落ちているように思ったものだった。この記憶からみれば、亀岡への疎開は真夏から始まったのではなく、もう少し早く5月頃だったのかもしれない。
線路に沿った街道の途中に石材屋でもあったのであろう。墓地用の墓石としておいてあったのか、切り出したばかりの大きな石がごろごろと積んであった。その石さえも子供達にとっては格好の遊びの舞台であった。石山の上に上って「お山の大将」を気取ったり、陣地の奪い合いをしたりしたものだ。大将は山の上で次ぎのように叫んだものである。
お山の大将
ぼく一人
後から来るもの
突き落とせ
大川は勿論、主流は大きな川であったが、平行して水がとうとうと流れる人工の側流があった。その流れの一つに丸太を渡しただけの一本橋があった。丸太の下は大変深く、急流が白波をたてて流れていた。田舎の腕白どもは、この一本橋を平気の平座、目をつぶってでも渡れるようであった。自分は恐くてとても立っては歩けなかった。自分が渡ろうとすると、腕白どもは面白がって一本橋を揺すった。背丈の何倍もある下の急流を見るだけでも足がすくむのに、自分ひとりが橋の中央まで進んだ辺りで揺さぶられると四つん這いになって橋にしがみ付かざるを得なかった。きっと大変に不細工な格好であっただろう。人が怖がれば怖がるほど腕白どもは橋を大きく揺さぶり続けて大声で笑うのである。
これは耐え難い屈辱であった。土地の腕白連中のように立って歩く勇気はないが、かといって、多数の腕白相手に反撃することもできない。都会から迷い込んできたよそ者をいじめるのは、田舎の子どもにとって大いなる快感ではあろうが、弱者にとっては成す術もなくただじっと歯を食い縛って我慢をするだけであった。
後年、多分、数年後、小学生になってからと思う、まだ泳げなかったときのこと、この大川まで遊びに来て裸になって水遊びを楽しんだことがあった。腕白坊主の漕ぎだした一本櫨の小舟の縁に掴まって川の真ん中まで出た。そこは流れが早いだけでなく足も立たないところであった。この時の腕白も多分、数年前の腕白と同じような心理状態になって、見知らぬ弱そうなよそ者にイタズラをしたい気持ちになった。突然、この自分に船の櫂(かい)に掴まれと言う。自分は何一つ疑わず、きっと、船の縁にいる自分の体が邪魔になって漕ぎにくいのではないかと気を使って言われる通りにした。自分が櫂に掴まるやいなや、その腕白はいきなり、その櫂を川底めがけて突き立てた。掴まっている自分は、深みに押し込まれ、息が出来なくなってこらえきれずに手を離した。泳げなかった自分は、浮きつ沈みつ川の流れに流されはじめた。2、30秒くらいはばちゃばちゃともがいていたであろう。ここで死ぬ、もう完全にだめかと観念したら、突然だれかの体に触れたので、必死になってしがみついた。助けてくれたのは、3歳ほど年上の岡田家の従姉の一人。後年、大学生のころ出会ったときには大変な美人に見えたが、その後の付き合いがないので、今では命の恩人であるに関わらず名前すら思い出せない。
人間は土佐衛門になる直前、体が流されている間は、案外、記憶が確かなものである。必死にもがきながら流されていると、きれいな白い水の泡と明るい空の色が交互々々に見えたり見えなくなったりする。何かに体が触れたときには、一緒に溺れるかも知れないなどと考える余裕もなく、ただがむしゃらにしがみつくだけであった。
「溺れるものは藁をも掴む」というが、実際に溺れることを体験すると、本当にその通りだと思う。溺れるものは前後の見境がない。藁どころか何かあれば人であろうと何であろうとしがみつく。下手に近づくと道連れにされるのが落ちだから、泳ぎに自信のない者は溺れる者に近づかぬ方が賢明である。
もう一つ思い出がある。
岡田家のトイレの話は前に記したが、当時、トイレットペーパーは大抵、古新聞を四角に切ったものと相場が決まっていた。ある時、トイレで用を足した後、紙箱を覗くと不幸なことに空っぽであった。そのような緊急の時はその場所から大きな声で叫ぶしかない。トイレは母屋から離れた所にあったので、声は届かない。いくら「紙い」「紙い」と大声で叫んでもこだまが帰るばかりであった。
そこで、持久作戦に出て歌を歌い続けることにした。この時の適当な歌はこれしかない。「もしもし亀よ、亀さんよ」の歌詞の「亀」の部分を、「紙」に変えて、
もしもし紙よ紙さんよ
世界のうちでお前ほど
頼りになるべき物はない
どうしてここに居ないのか
歌い続けること十数分。房江ちゃんがやっと持ってきてくれたのは、大きさが1センチ四方くらいの小さな小さな紙片一つ。それでお尻がふけるものか。小さい女の子の可愛いイタズラではあるが、結局、その場はそれで何とかせざるを得なかった。


