山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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加園城③

2018-01-16 19:30:34 | 山城ー野州
北尾根から本丸へ


アジサイ山とあり、引き返そうと思いましたが念のため進みました。

浅い堀切

虎口

北尾根大堀切、ここから本丸に戻ります。

本丸北下曲輪、奥に本丸城壁

本丸

本丸南虎口

「皆川正中録」によると、戦国期、加園城の城主は渡辺右衛門尉であった。大永3年(1523)、宇都宮忠綱は鹿沼地方侵略の野心を抱き、加園城に攻め寄せた。多勢にかなわないと見た渡辺は宇都宮氏に降参した。その後渡辺右衛門は南摩隼人助らとともに、小山勢と戦うために栃木市川原田に出陣した。しかし、小山が優勢と見ると、再び、小山方に寝返ったという。「余湖くんのお城のページ」より

河原田合戦
大永3年(1523年)11月10日、宇都宮忠綱は1800-2500の兵で皆川領に侵攻。皆川宗成は700の兵で出陣し、両軍は下野国皆川領河原田((現・栃木県栃木市))で対峙。合戦は宇都宮勢の大勝で当主の皆川宗成、宗成の弟の平川成明を討ち取るなど皆川氏に壊滅的な被害を与えた。しかしその後、小山氏、結城氏が1800の兵を率いて皆川氏の援軍として来て衝突。宇都宮勢は劣勢となり、退かざるを得なくなったため撤退している[9]。
『皆川正中録』だけでなく、足利高基が猿山合戦後に宇都宮忠綱に送った文書にもこの合戦があったことを示唆する文があり、また、合戦となった場所の跡には、合戦場駅として名が残されてあるため、合戦そのものはあったが、内容はこの通りとは限らない。 ウィキペディアより


次回 ここに出てきた南摩氏の居城、南摩上の城・南摩下の城・滝尾山城を紹介する予定です。

第32回 福井県発掘調査報告会資料最終更新日 2017年7月3日 | ページID 035956

平成28年度に福井県内で発掘調査された遺跡の概要資料です。
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