小倉城は長野県佐久市望月町春日にあります。この山城は見つけにくく、三度目で現地の方に教えていただき発見できました。宮坂氏の著書では春日城の詰め城であろうと推測されています。
小倉城地図
県道482号線から南に市道を進み、入新町・四ツ谷地区を過ぎて二又を左手に進みます。道は細小路川の東の道になります。間違っても細小路川の西の林道には進まないように、車のタイヤをパンクさせるほどの悪路です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ed/dab70b272e26255fe613de4fab9b22d4.jpg)
宮坂氏の著書の「信濃の山城と館」佐久編では一軒家と書かれていますが、現地では二軒屋でした。この畦道から入って害獣柵を越えて、すぐに左手北尾根から登ってください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/5c/e343cd9979bff5fb915d0a55ee38d2a6.jpg)
尾根を登り20分で城壁が見えてきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/10/46c8fd32a455ce5bb386b85f25415f8c.jpg)
武者走りが西
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a9/b59f015dc33ef966bc553b8a23b39cb5.jpg)
東にと走っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/70/86765ce024ce857de5046e8fe3a384db.jpg)
西の武者走りを歩いてゆくと、ここに突き当たります。この先は豊富な水路となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/8b/29156671dd22e331868311e06fd071f2.jpg)
戻って来て武者走りを見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/b2/e48a87c9d116fe10b4174b420ef23edc.jpg)
尾根を登ってゆきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/65/31838d39584cd8303cef963674dee7fe.jpg)
堀切が見えてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/95/d8287cef9487b3ce267a5bacd4ecfefe.jpg)
第一堀切
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/1c/8fce797536d16157fa791d0bf6825e5d.jpg)
登ってきた尾根を見返しています。
次回 本丸へ
伝承
春日城が芦田信守とその子信蕃二代の居城となった。天正十年武田氏の滅亡後、東海地方に転戦し田中城に在城していた信蕃は徳川に属し、やがて佐久へ帰り春日城に入ったが、北条氏の大軍に攻められ、やむなく小倉城に退き、さらに危なくなって山伝いに蓼科山に遁れたという伝承がある。「信濃の山城と館」佐久編 記事より
小倉城地図
県道482号線から南に市道を進み、入新町・四ツ谷地区を過ぎて二又を左手に進みます。道は細小路川の東の道になります。間違っても細小路川の西の林道には進まないように、車のタイヤをパンクさせるほどの悪路です。
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宮坂氏の著書の「信濃の山城と館」佐久編では一軒家と書かれていますが、現地では二軒屋でした。この畦道から入って害獣柵を越えて、すぐに左手北尾根から登ってください。
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尾根を登り20分で城壁が見えてきます。
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武者走りが西
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東にと走っています。
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西の武者走りを歩いてゆくと、ここに突き当たります。この先は豊富な水路となっています。
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戻って来て武者走りを見ています。
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尾根を登ってゆきます。
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堀切が見えてきました。
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第一堀切
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登ってきた尾根を見返しています。
次回 本丸へ
伝承
春日城が芦田信守とその子信蕃二代の居城となった。天正十年武田氏の滅亡後、東海地方に転戦し田中城に在城していた信蕃は徳川に属し、やがて佐久へ帰り春日城に入ったが、北条氏の大軍に攻められ、やむなく小倉城に退き、さらに危なくなって山伝いに蓼科山に遁れたという伝承がある。「信濃の山城と館」佐久編 記事より