喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

久々の渓流釣り。

2018-09-30 17:24:48 | 日記
  先週は日曜日 運動会、月曜日 敬老の日、火曜日は日曜日の代休とあって
学校での仕事は水曜日から、 何時も通り、午後からの出勤。 運動会前には
かなりの範囲で草刈りをしましたが、北、西側のフエンス周りは手付かずのまま、
作業にかかるまでに 物置で草刈り歯をディスクグラインダーに研磨ディスクを
取付け、研ぎ作業。
 歯を研ぐのと研がないのとでは 作業に大きな差が出ます。切れない歯だと、
燃費は悪いし、力もかなり加えなければはかどりません。
 水曜日はプール南、木曜日はプール西、金曜日は北側フエンス外側、しかし
台風24号が接近中なので 刈った草が民家へ飛ぶのを警戒、フェンス脇だけ刈り、
西側フエンス外を刈りました。
金曜日は 午後から日差しが厳しく、風もなく、ひところの暑さに比べればマシ
ですが、しかい暑い。

草刈り後の西側フエンス周り。


草刈り後のプール西側。

 土曜日は朝から曇り空とあって、昨夕 ミミズを捕っていたのを持って朝早く
家を出て 青垣町へ 着いたのが朝6時、渓谷へはいる箇所には獣が田畑に
入らないように柵が設けてありますが、そこを開けて入ります。
水量は 平常より少し多め、渓流釣りは時期的にシーズンオフなので誰も出会い
ません。
 沢を登りながらポイント、ポイントを探っていきますが、釣れるのはゴトンボ
(学名アブラハヤ)ばかり、食すれば美味しいと言いますが、ヌメッとしていて
グロテスク、釣ってもリリース。
 そうして探りながら釣りあがっていくと神社があるのですが、その横に渕が
あり、水深が深いところがあり、そこで粘ってみると 目印がクルと廻る。
合わせるとアマゴの引き、ここで3匹確保、 それから上流へ上がること30分。
4匹追加して山道へ上がり、車の場所まで到達したのが9時。
直ぐに車に乗り込み、帰宅。

アマゴ釣りの釣果。


 帰宅したのが10時半とまだ早かったので、ドライバーと5番アイアン、9番アイ
アンの3本を持って、比延の岡の山打ちっ放し場へと行き、3000円の券を購入。
 外は雨が降っているし、客は多くないだろうと思っていましたが結構多い。 
8番打席が空いていたので陣取りました。
 まず9番アイアンで打ち始めたものの 100ヤードしか飛ばない。
5番アイアンで振ったも140ヤード、ドライバーに至っては150ヤードを超えた
ところしか飛ばない。
 雨もシトシト降っているし 余計飛ばないのかもしれないが、先日のゴルフと
言い、やはり飛ばないことにショックを受けました。
 私はどちらかと言えばフェードヒッター、 しかし こうなればドローボールを
打たなければと思い、早めに手を返して打つと多少距離は延びたかのように思い
ましたが、60発ほど打って腰や腕が痛くなり、練習を断念。
 歳も歳だしとは思うのですが、来月6日にはラウンドする予定、少しでも好スコアを
だそうと思い、それには練習と思いながら帰宅しました。

 帰宅すると、チャイムが・・・出ると 妻の兄、すなわち義兄、「栗捥いで来た」。
と言うので沢山の栗を頂きました。
毎年こうして栗を沢山いただくのですが、妻が渋皮煮や、蒸して饅頭を作ったり
しています。

頂いた沢山の栗。

 さて、日曜日は台風の影響で さぞかし・・・と思いましたが、嵐の前の静けさ
なのか? 4時ころまでは穏やか、5時ころになり雨が降り出しましたが・・・
大きな台風が来ないことを祈るばかりです。



ゴルフの飛距離が極端に???

2018-09-26 10:00:16 | 日記
 昨日 朝早く携帯に電話が 多井君からで「今日は1日雨が降りそうだから
止めよう。」との事。 私が「いや夕べの天気予報を見たが、この辺や目的地の
市川は大丈夫だと思う」。と言うが、「いや 今日は1日雨が降る。また今度
行けばよい。」と もう行かないことを前提で話をしてくるので、電話を切り
天気予報図を見ると私が言うように 局地的ににわか雨がふるかもしれないが
大丈夫と判断。
朝食を摂り、テレビを見ていると釣友の戸田君がやってくる。事情を話すと
彼は もう行く気になっていて”二人でも廻ろう」と言うので、急遽 メンバー
コースの妙見へ電話、9時20分のスタートとなる。
 家を出るころには すっかり良い天気となり、日差しも出てくる。
暑くもなし 寒くもなし 絶好のゴルフ日和。 インからスタート、ドライバーで
ティショットを行うが、200ヤード先にある 木の根元まで飛んでいたのに 30ヤード
手前にしか飛んでいない。 そこから5番クリークで打つと今度はトップしてチョロ
上がればトリプル、次いでロングはボギー、そんな調子で ドライバーが200ヤードも
飛ばなくなっていることにショックを受け、9番アイアンなら120ヤードは飛んでいた
のが90ヤードしか飛ばない。
5番アイアンでは140ヤードしか飛ばないことに気が付き 大大ショック。
 戸田君は5歳ほど 年下とあってあたれば飛ぶ。 今まで彼とも何度も行って
いるが こんなスコアは初めて、思わず”なんでこんなに飛距離が出なくなったのか?”
とボヤキ節。
 やはり歳なのだろうか? 身体が回らなくなった? 瞬発力が落ちてきた?それと
練習不足? そういえば私の知り合いで 西脇タクシーの浅井氏、毎日のように
高松プラザに来ておられるが、御年78歳と言うのにドライバーを振れば200ヤードは
遥か超えていくショットをしておられる。 まぁ浅井氏はエージシューティングを
取ったくらいの人だから当然 コツを得て居られているのだろう。
 私も教授願ったが、アンコックが遅い、すなわちタメが出来ているのだろう。
私も若い頃は このタメが出来、どのクラブを持っても 狙ったところへショット
していたものだが、東播を辞め、宅建業にトラバーユしてから、ゴルフを封印して
10年のブランクがある。
 それでも復帰した頃、まだ若かったせいか80台では廻っていたのだが・・・
まぁ のんびりとした1日を過ごせたがショックは拭えない。

 今朝は涼しく、久々に自宅から曽我井に向け 杉原川の堤防沿いに歩きました。
距離にして約7キロm 不動産屋の計算だと徒歩で1分80mだから6キロmとなりますが
速足で歩くので 車でも確認したが7キロmでした。
 秋風が爽やかに吹いていますが、それでも速足で歩くと背中や額から汗が流れ
てきます。
 堤防沿いには彼岸花が咲き、田んぼの稲は たわわに実っています。
北播磨の この辺では秋祭りが有る10日前後が稲刈りの季節。 今後上陸する
台風の被害に遭わなければよいのですが・・・

いつもの散歩コース杉原川沿い


暑さも和らぎ秋の訪れが・・・

2018-09-24 20:45:12 | 日記
 やっと暑さも和らぎ 過ごしやすくなってきました。
畑仕事をしていると堤防の土手には彼岸花が咲いています。
この花を見ると”やっと秋が来た”と実感します。でも不思議な花で
花が咲くころに葉はなくて地面から茎がニョッキリ出てきて花をつける。
そして花が枯れる頃に 葉が出てくるという誠に不思議な花です。

彼岸花

 運動会が始まるまでに運動場周りの草刈りなどで 畑を見に行く間も
無かったので今日24日は どんよりとした曇り空でしたが 大きくなった
白菜の苗を植えようと畑へ行きました。
先月末に種を撒いた大根や蕪は 大分大きくなって もうすぐ間引かなけ
ればならないようです。
他にも菊芋、下仁田ネギ、京ネギ、サトイモなど沢山 作っているのですが
家は二人、余り沢山作っても 離れた子供に送ってやるか?近所周りに
あげるか? 
ねぎなど昨年150本植え、収穫して野中の山すそに持っている建物の庇の
下にぶら下げていますが、通気性が悪いと腐っていき、先日も釣友に”中に
腐っているのが混じっているかもしれないと断ってあげました。
何でも程ほどが良いようです。

畑の様子。


やっと秋の訪れが・・・

2018-09-24 20:13:13 | 日記
 当初予定していた 22日の小学校の運動会でしたが あいにくの天気で順延
あくる日 日曜日23日に無事行われました。
秋雨が降り続いていたので、さぞ先生方も大変苦労されたことでしょう。
 私も8時前に出勤し、8時過ぎから車の誘導、9時半ころには終い、運動場へ
野中町のテントに行くと、PTAの役員をしている村上君や山口君が居て、話は
釣りの話に・・・この二人大変釣りが好きで昨年から船釣りを一緒に行っている
のですが、29日の土曜日に津居山へ船釣りに行く約束が出来ました。

 そうしているうち、電話が鳴るので出ると 富吉南の多井君、”何処に
居るのか?”と聞くと、本部のテントの後ろに居る”と言うので向かいに行くと
背後から”ご苦労様です。”と声が掛かるので 振り向くと笹倉教育委員長。
こちらも”ご苦労様です。”と挨拶を交し、多井君を野中町のテントへ招き
しばし雑談。 そうしているとリレーが始まり お孫さんが走ったそうで
1着だったと喜んでいましたが、彼とは25日にゴルフを約束しているので
”足はどうする”と聞くので”下戸田のT君に乗せてもらうよう頼んでいるので
家まで来てほしい。”と打ち合わせをし、今度は富吉南のテントへ移動。

 奥さんと娘さんとが応援に来ていて そこでお茶をご馳走になりながら観戦。
綱引きが始まり 午前中が最後とあって本部テントの方へ帰っていくと
今度は前島のテントに川根君が居て、また しばし釣りの話。
「この運動会が終わってから 息子と網野へイカ釣りに行く」との事でした。

午後の部が始まり そして終わったのが3時過ぎ、片づけをして終わったのが
4時半、汗を掻いているので一旦家へ帰り シャワーを浴びて、三菱ダイヤモンド
ゴルフカップをビデオで撮っていたので見ていて気が付くと5時半、”しまった
5時半に反省会に出席することになっている”と妻に言って、上野の飲食店まで
送ってもらいました。
7時半頃に終わり、妻に電話して迎えに来てもらい、帰宅。長い一日が終わり
ヤレヤレ、

 日和が悪く しばらく畑へ行っていなかったので 植えている蕪や大根の
様子を見に行き、白菜の苗も大きくなっていたので定植し、ニンニクも
畝にマルチを張って植えました。
ニンニク45本、大根30本、コカブ30本、白菜30本、それに下仁田ネギや
京ネギも沢山植えているのですが、二人暮らしなので沢山収穫しても食べ
きれない、子供に送るにも送料が高くつくし、余り沢山植えるのも考えもの

そっそっかしさは相変わらず

2018-09-18 08:53:36 | 日記
 先日 投稿する際、一旦プレビューを行ってから”投稿する”を確定して
アップロードするのだが、 ポンポンとワープロを打つようにして プレビューして
確認もせずに 投稿ボタンを押してしまってから ”ひょっとして???”と気になり
ブログを見ると やはり間違っていた。 優良従業員が(有料)となっていた(笑)
 自分で思うに、私は若い頃から そそっかしい所が有る。
例えばの話だが、探している物が見つからない 妻に「ここに置いていた物 
知らないか?」と尋ねるのだ。
 妻は 私の事を知り尽くしているので「もう一度 よく探して・・・」と言う。
しかし一度探したところを もう一度 確認することはなく やはり”無い”と
言い切るのだ。
 妻は もう一度 私が捜したところを 丁寧に探していき「ほら 有った。よく
探しもしないで 人に八つ当たりして・・・」。大概 このような事が多い。
 私は半分照れ、「お前 探すの上手だなぁ~」と言うのだが、 若い頃から この
ような事がよくあった。

 さて篠原縫工所㈱時代は4年と短かったが、どうしても大阪の扇町にある電機
学校に通いたくて 社長の恩を裏切る形で 大阪へ行くことになった。
父は心配して 私にとって伯母である豊中の姉に相談し、”一度は 安定した
会社に籍を置き、その後 考えればどうか?”との提案で 伯母の娘 すなわち
私の従姉だが 従姉と言っても私より15歳も年上、すでに結婚していた。
 一人娘で育ったせいか 父親が教育者と言うこともあったのか?ツンツンして
お高く留まっている女性だった。
その主人の友人が会社を設立していたのが西淀川御幣島に有る”福島工業㈱”であった。
今まで 繊維のような柔らかいものばかりを扱っていたのが 今度は逆に固いもの
ばかりを扱う会社だった。
以前にも投稿していたが、この会社は営業用の機械を扱っていた。 当時 広島の
松田自動車から15000人分のコメが炊ける炊飯器を受注していて、入社早々
広島へ出張させてもらった。 仕事はそれ以外にも 今では珍しくないが店頭に
置く冷凍ボックス。薬局などにリポビタンなどを入れていた小さな冷蔵庫。
 またベルトコンベヤならぬロールコンベヤ、これは今では普及しているが流れ
作業には不可欠なもので 当時はリミットとかセンサーを使って 商品が完成する
まで 各種産業ん合わせて自動に運ぶ装置を作っていた。
 父の体調が悪く、母から”帰ってきてほしい”との事がなく、この会社で働いて
居れば?と考えることがある。
 伯母とも このことが原因で疎遠になった。 ただ その後 昭和46年に父が
亡くなるのだが、その時の葬儀には顔を出していたが・・・
伯父や伯母が亡くなった時、従姉から何ら連絡がなかった。
 大阪での生活、仕事は僅か2年足らずだったが、慰安旅行にも行き、冬になれば
スキーにも行き、充実した時間を過ごしたことを覚えている。 

福島工業㈱の慰安旅行での写真。白浜温泉。

 大阪では友人もできて 滋賀のスキー場へも この年 2回行った。
しかし スキーは その後も 神鍋へ行ったり 鉢伏へも行ったが、リフトを待つ
のが嫌で 小屋で酒を飲んでいたので さっぱり上達はしなかった。

スキー場で 会社の事務員と(昭和40年頃)