喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

勤労感謝の祝日は青物釣り!”

2018-11-26 11:26:56 | 日記
 さて学校での仕事は 仕事に入ってから運動場を一巡り、菓子袋やペットボトルを
捨てているのを回収。学校の授業を受けるのに菓子やジュースなどを持ってくる
子供は居ないと思うので、放課後 一旦 帰宅して遊びに来る子供が捨てているよう
です。
 その後は、銀杏の枯れ葉などが運動場に落ちて散らばっているのをガンジキで
搔き集め、生ごみ袋に 毎回2袋、ある時は先生から「廊下の床板に穴を開けて
いるので治して欲しい、また隣の遊ばせている教室、プレールームして使っている
が、鍵が効かないので ツッカイ棒で開けないようにしているが治して欲しい」。
などの相談、物置小屋でベニヤを探すが 古い淵が傷んでいるようなベニヤなら
あるが まともな物はない。
 小坂のジュンテンドーへ行ってベニヤを1枚と、木ネジを買った帰ったが
下地を見ると 薄い鉄板のチャンネルがある。
まぁ 学校などは火災が起きないよう、耐火ボードなどの不燃材料が使ってある
ので当然と言えば当然。
 もう一度 タッピング釘を買いに行くが、薄いブリキ用のタッピング釘でないと
厚めの鉄も通すようなタッピング釘は高い。 仕方がない、薄てのブリキ用の
達ピン釘を購入して帰りました。
 あくる日、子供たちが下校するのを待ってベニヤの取り付け、ところがどこに
鉄チャンネルが有るのか外部からは分からない。 拳でトントンと叩き、明らかに
芯があるような箇所を探してドリルで先に穴を開けるのだが これが芯に行きあた
らず難しい。 まぁようやく取り付けはしたものの一人で作業するので重いし
 取り付けるのに一苦労。やっとのことで張り終わったが、目立つのでペンキでも
後日塗って胡麻化すことに・・・
 また北の出口の物置場には厚い数本の紙芯や 鉄パイプ椅子の腰を掛ける部分が
捨ててある。先日も2台捨てた有りましたが、どうも治すのは難しいので解体
したのですが・・・

張り終えたベニヤ板。


物置小屋での鉄パイプ椅子や紙芯の処理。

 23日金曜日、朝3時に目覚ましを掛け、飛び起きて播磨町本庄へ”釣り船かどの”
を目指し、3時半頃 出発、着いたのが4時半、すでに駐車場には14台の車が停まって
おり、15番目。5時になり奥さんが受付小屋に灯をつけ、駐車場にやってきて
早く着いた順番から席を決めていく。 私は5番で舳先で右舷の前から3番目、右
隣に居た方と話をしました。 「私は神戸の灘から来たのだが お宅は何処から?」と
聞かれて「西脇から来た」。と言うと、「わぁ懐かしいなぁ~ 私も実は西脇出身なの
ですよ。高校を出て 神戸に縁あって住み着いたのですが」と言われる。
「西脇は何処ですか?」と聞くと「津万地区です」との事。
しばらくして出航 船長が「生き餌のアジを釣るのに近場で釣れないので 今日は淡路の
岩屋港を目指す」。と言うのでキャビンに入り現地へ 何とかアジを調達し
明石海峡大橋の近くで 仕掛けを投じましたが、地合いの9時ころになっても釣れない。
今日の満潮は9時半頃、上げ潮で釣れなければチャンスは少ないと思い、一生懸命
 仕掛けを投じましたが、あたりも何もない。 船内では2~3人程度しか釣れていない
よう、 まぁこの釣りは腕に関係ない。
隣の神戸の方と「今日は坊主かも・・・あぁ1匹でも顔を拝みたいなぁ~」と言いながら
諦めモードが漂います。 この船は1時には切り上げます。
11時ころに潮が停まり、12時ころに 潮が引き潮で動き出しました。その時でした
私の竿が 曲がります。 結構引きが強い、上げると72センチのメジロ、
今回も坊主は免れました。
隣の神戸の方は 残念ながら釣れずじまい。 1時かっきり、船長の「申し訳ない。時間に
なったので終います」。と言い、帰港。
港へ上がれば 船長の奥さんが「増田さん写真撮らせて」と言うので ブログに掲載
するのは分かっているのだが、商売に協力。

最後に釣り上げたメジロ。

今年最後のタコ釣りに行ってきました。

2018-11-20 17:51:27 | 日記
 日曜日の夜は 東播染工㈱時代の 営業部の上司であった上月氏の通夜に
参りました。
18時との事で 5時半ころに会場へ 行くと昔の営業仲間たちや上月氏と
親しかった面々、皆 歳をとっていました。
家族葬との事でしたが 何とか会場に入れてもらい、読経が始まり、焼香を
させていただきました。
 喪主は長男の修氏、彼は教師をしていましたが、加古川東中学校だったか?
を最後に 定年を迎えたとの事。 ”もうそんな歳になっていたのか”
 
 さて1週間まえから播磨町本庄の”釣り船かどの”に予約を入れていたので
目覚まし時計を3時に設定、就寝しましたが、目が覚めると4時15分、
”しまった。寝過ごした。こんなこと無かったのに・・・”顔を洗い 準備
していた荷物を軽トラに積み込み、家を出たのが4時半。
受付は5時からだし、出船は5時半。とてもじゃないが間に合わないと思い
つつも 目的地へ向かってまっしぐら、途中電話を入れましたが繋がらない。
”まぁ行くだけ行って誠意を示せば・・・”と思いつつ、走らせました。
ついたのが5時15分、船の船長が居たので「寝過ごしてしまった。間に
あうか?」と尋ねると、「あぁ待っていますので受付を済ませてください」。
と 快い返事。

 早速 受付小屋へ行って料金を支払い 船に道具を積み込みました。
直ぐに出船、タコ釣りは 青物釣りと違って生き餌を釣る必要がない。
また釣り場も 10分ほど沖合にでたところで釣りました。
周りは タコつぼを入れているのかロープだらけ 船長が「下にロープが
あるので引っかかるので ひっかれば無理に上げずに竿を上下させて外し
てほしい」と注意。
 幸先よろしく 私が一番先に良型のタコを釣りました。早速船長がカメラを
持ってきて撮影。

釣り上げた型の良いタコ

 そして その後も 潮上へ移動しては仕掛けをおろしの繰り返しで
釣っていきます。 まぁタコ釣りは7月が最盛期、それに今年はタコが
不漁と言います。
 まぁそれもそのはずで、タコ釣りシーズンになれば数十隻ものタコ釣り
船が明石海峡に出てくる。その人数たるや1船に20人乗ったとして
10隻でれば200人、 その乗ってる釣り人が平均10匹釣ったとして
2000匹、 それが毎日毎日となると・・・ そりゃタコが減っても
当然と言えば当然かも これだけタコ釣りブームが続けば プロの漁師さん
も嘆くはずです。 まぁ何はともあれ、帰港して奥さんが「増田さん
写真を撮らせて」と言うので まぁ客寄せに協力をしようと思い タコを
ネットから出し、ついでに寒いのに顔まで写すことになるました。

釣り上げたタコ



 

またまた訃報が・・・

2018-11-18 14:39:38 | 日記
 先週の学校内での仕事は専ら草引きに落ち葉搔き、銀杏の葉っぱは
色づいて綺麗ですが、散り始めると始末が悪い。
それはさておき、土曜日の夕方 電話が掛かってくる。妻が受話器を
取り、「はい 増田ですが・・・吉仲さん?」と言って電話を替わって
欲しいという。

 吉仲と言えば中区安楽田の吉仲正明君しか思い出さない。
変わると「ご無沙汰しています。吉仲です」。と言う だが私の知って
いる吉仲君の声ではなく 明らかに別人の声 「吉仲君?東播染工㈱で
一緒だった???」と問うと「そうやろ 声が変わっているやろ 吉仲や」と
言う。 要件は「実は上月さんが亡くなったと 竹内会長から電話が
有った。 遺族は家族葬で行うとの意向だが、世話になった人なので云々」
明日日曜日夕方6時に通夜、月曜日が告別式と言う。
 ”顔だけでも見せてもらおうか”との話になる。
野村町緑風台に住まわれていた上月邦夫氏は 私たち営業部の上司だった。
一昨年だったか?「一度 出会いたい」。との電話を受け、野村の喫茶
明日香へ 私たち 東播染工㈱OBが寄った事が有るが あれが最後だった。

左から同僚の竹中氏、上司の上月氏、私、吉仲氏

 古いアルバムを出して見ていると 1984年3月、今から34年前の台湾へ
視察旅行に行った写真が出てきた。
34年前と言うことは私は丁度40歳。油が乗り切った頃だった。昭和59年
この頃 西脇の繊維産業は最高潮であった。
しかし この頃から 大手商社や紡績は韓国、台湾、中国に大きなロットを
発注していたようである。
だが、この頃から織屋は古い力織機から革新織機を導入。生産数量も後染めを
入れると3000万ヤードと言われていた。(後にこれらの莫大な織屋の投資が
仕事が減り、致命的な悲劇を生むことになるのだが・・・)
市内の加工場は東播染工㈱をはじめ播州織物協業組合、東洋染工㈱、第一染工㈱と
大手4社にオリエンタル織物、中町協業組足、野間織協業組合、徳岡商店と
7社あった。
 お互い商売敵だが よく儲かっていたこともあって 我々加工場は20会と言う
仲良しクラブのようなものを作り、毎週のように当時と豊川町に有った商工会議所で
会合を持ったものだ。
春と秋にはゴルフのコンペ、近場でなく、滋賀県の信楽CCへ行ったり、湯郷の
作州武蔵CCや日本原CC、湯郷石橋CCと遠方へ泊りで行ったものだった。
そして昭和59年、未曽有の儲けを出したと言うことで海外視察との名目で
台湾旅行に行ったのだった。
 台湾の蒋介石総統の像を見て 局長の岡本氏が涙を流して感謝をしていた事を
思い出す。 実は岡本氏は戦時中 憲兵か何かで、当時志那人と呼んでいた
大勢の中国人を斬首したようで、(その斬首した写真を見せて貰った事が有る)
 敗戦を知り、絶対生きて帰れないと覚悟をしたようだが、当時 国民党を
率いる 蒋介石は政治上 日本の援助を乞うべく、見逃してくれたようだ。
これが毛沢東率いる共産党だと 間違いなく絞首刑となっていただろう。

当時の加工場営業の面々。前列左から座っている二人目が岡本氏
右端 上月氏

 4日間台湾旅行をしたので 隅々まで見ることが出来た。
台北や花連等々 巡ってきた。 日本でもアイヌ人が居るように
台湾にも 戦前から居た 先住民族が居る。
 村々で それらの人の踊りなども見せてもらった。 フーバーとか
言う レストランと言っていいのか?ショーを見ながら食事もしたり
それはそれは豪勢な旅行だった。
 この頃の上月部長は私より15歳上だったので、55歳と言う事か?
一緒に写真の納まっている 第一染工の笹倉氏も3年ほど前に亡く
なられた。
 先日の丹波市常楽の足立氏と言い、昔 お世話になった方々が
亡くなっていくことに 寂しさを感じます。

左から上月邦夫氏、竹中氏、第一染工の笹倉氏、私、吉仲氏

歳をとると 身体の隅々が痛みます。

2018-11-15 11:03:10 | 日記
 日和さえよければ 毎朝 ラジオ体操にWiiでの筋トレ・ヨガ でも先日
三木医院へ行って診察の際「最近変わりはないですか?」と先生が尋ねるので
「まぁ変わりはないのですが、以前から背中や腰が痛み、整形外科も行ったが
リュウマチ性多発筋痛症とやらの病名を付けられ、ステロイド剤なでの治療を
受けたが、副作用も怖いので服用を止めた経緯がある。筋肉痛は治らないの
でしょうか?」と尋ねると、先月の血液検査の数値を見て「そういえば筋肉痛の
原因となる数値が高いなぁ~ ウオーキングは良いとして筋トレを しばらく
止めたら・・・」と言われる。

 Wiiでの筋トレと言っても 身体に負荷をかけるのは腕立て伏せ10回程度の
もので後は スクワットとか片足ウオーキング程度、しかし一応分かりました。と
答えておく。
 診察が終わる際 「先生 軟膏とか痛み止めの薬を出して貰えないだろうか?」と
言うと、「あぁ出します」。と言ってもらい隣の人丸ファマシーで貰った。
風呂上がりにでも塗ってみようと塗ってみたが 一向に効かない。
仕方ないので アルカ小坂店でサロンパスの痛み止めを買ったが これはよく効く。

 整形で言われているのだが、以前レントゲンを撮ると背骨の付近がぼやけるように
映っていた。聞くと「これは背骨周りが骨化している。これが痛みの原因と思われる
が、治しようがない。加齢に伴うもの」と言われた。
いわく痛み止めの注射を打つしか対処のしようがないと言うのだった。

 まぁ歳をとれば あちらこちらガタが出てくる。三木先生の言われるように
”筋肉を使うようなことをするな”と言われても 動かしていないと余計に痛みが
酷くなるのではと忠告は無視して その後も柔軟体操に軽い筋トレ・ヨガは
続けることにした。

 さて学校での作業は 毎日 午後学校へ入ると運動場の周りを一周し、ゴミが
ないか?見て回ります。菓子袋やペットボトルが捨ててあるのを拾ってゴミ袋へ
 その後は、校舎西側の側溝の掃除や運動場西の排水溝の掃除、それに
体育館裏の桜の枯れ葉が散っているので搔き集めて生ごみ袋に収集
側溝の中は 子供が沢山 石を入れていて危ないと思い、集めて1輪車で
運動場の隅へ 
 桜の枯れ葉もほとんど散り、今度は銀杏の葉っぱが落葉し、地面にへばるように
落ちているので掃除がし難い。
これが一段落をすれば 今度は楠の葉っぱが散り始める。
木々が多いのは見ているだけの人にとっては結構な事だが、掃除をする身は大変。

体育館裏の桜の枯れ葉集め


側溝に捨てられた石。

期待していた青物飲ませ釣りは不調に・・・

2018-11-12 17:36:18 | 日記
 先週末土曜日 夜中の2時半に目覚まし時計に目を覚まし起床
昨晩用意していた竿や仕掛け類を車に積み込み、一人 加古郡播磨町の
本庄、目指すは”釣り船かどの”です。
 先月だったか?初めて この釣り船を利用して”青物釣り”をしたとき
釣果は7匹とまずまず納得行くものでした。

 そして2回目は確か先月末だったと思いますが、釣り場へ行くまでに
生餌の小鯵をサビキで釣るのですが、餌の小鯵は3匹程度しか釣れず、
船長に伝えると”その横のイケスに入っている小鯵を使って・・・”と言う。
誰のか知らない人が釣った小鯵だし、遠慮が有って少し貰いはしたが その
性でもないだろうが気合が入らず、そのうえ電動リールのハンドルのネジが
外れてと言うトラブル 何とか1匹確保したもののフラストレーションが
溜まった1日でした。

 何とか納得いく釣りをしたいと 直ぐに10日を予約したのですが
3時に家を出て着いたのが4時、すでに4台車が停まっている。
私は5番目、その後数分してゾロゾロ車が入ってくる。半時間程度の
間に15台もの車が入ってくる。
確か青物釣りは仕掛け同士が絡む、いわゆるお祭りになるので人数を
20人と制限しているはずだが???

 5時に奥さんがやってきて受付小屋に灯りを灯し、船の席を指定するため
駐車場にやってくる。私は左側艫の後ろから3番目、早くやってきても
遅くやってきても期待する端にはなかなか乗れそうにない。
5時半に出船、波止場周りで餌の小鯵を釣るのだが 今回も餌の確保に
苦戦。何とか6匹確保したが 船長は”アジ釣りはこれくらいにして
行こうか”などと言う。 これじゃ足りないと腹の中で思う。横に居る人も
同じようにブツブツ すると船は一旦 港へ帰港し、前日にでも確保して
いたのかアジを大きなイケスに入れ始めた。最初から そうしてくれて
いれば釣る手間が省けるのに・・・と腹の中でブツブツ

 それから釣り場へ向かい、仕掛けを投じたのが7時ころ、1投目で
隣の若い男性に当たりが、そしてその右の連れと思われる男性にもハマチが
釣れる。 ”まだまだ今から”と思っていたが、隣に居る初心者らしい
若い男性にまたまた2匹目が釣れる。青物は前に後ろに横にと暴れまわる
ので きっちりお祭りになる。
こちらは巻き添えを食って 仕掛けを変えたりするのに時間が掛かり
チャンスが巡ってこない。悪いパターンにハマってしまった。
まぁ慌てずとも 今日は釣れるだろうと思い、他人が釣っているさまを
写真におさめました。

隣の人が釣るのをパチリ

地合いは9時半ころまでと思われたが 両脇の人が釣れるのに私には
釣れない。ふと悪い予感が・・・
10時過ぎになってやっと1匹釣れたが 小さいツバス級だ。
11時ころになると潮が変わり 結局12時に納竿。
またまたフラストレーションがたまる釣行でした。