喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

久々にタコ釣りに行きました。

2019-07-19 09:21:10 | 日記
 ここ数年前から この季節になると明石へ
タコ釣りに出かけています。
一週間前の木曜日にも予約を入れましたが
海が時化て出船できず 一週間後に予約を
入れていました。

 家を5時に出て 向かうは播磨町本庄
草部渡船。
 実は草部渡船の船長が昨年暮れだったか
今年初めだったか?急に亡くなられている
のを噂に聞いていました。
HPを開いてみると しばらく休みますとの
メッセージが書かれていたのですが、
 最近また神鋼ケーソン渡し、タコ釣りを
再開すると聞きました。

 奥さんに出会い 早速お悔やみの言葉を
かけますと奥さんは「本当に急で信じられ
ない事でした。死んだ本人が一番あの世で
信じられない気持ちでいるのでは・・・
 私は船舶1級の資格を持っているのですが
実践しない事には この仕事できないので
今は主人の先輩にあたる方に指導をして
貰っています。 息子も父親の跡を継ぐと
言ってくれていますけど会社側の都合も
有り、急に辞められないので、今日はたま
たま会社の休みが取れたので一緒に乗船
します。」。との話。
私が「主人はおいくつだったのですか?」
と尋ねると「丁度還暦を迎えたところ、
増田さんも身体に気を付けてくださいね」。
と言われる。
私も根ほり葉ほり聞くのも嫌なので
「頑張ってください。ところで来週辺り
で空いた日は有りませんか?」と聞くと
「御免なさい。実は再開すると聞いて
もう8月まで予約が一杯なのです」。と
言われる。
まぁ ここは渡船が専門で、空いた
時間帯7時から10時半まで釣らせてくれ
時間が短いので普通の釣り船が7500円
必要とされるところ、3500円と安いので
人気を呼んでいるのでしょう。
近年 餌木の進化でタコ釣り愛好者も
増えているのが現実です。
まぁ タコは昨年秋に釣れたマダコが
冷凍庫に沢山残っているしタコが欲しい
訳でない。秋を待つとしましょう。

 7時に出船、15分ほど沖へ走り、船長の
合図で仕掛けを投入、すぐに1匹がきました。
また2匹目が釣れるとすかさず奥さんが
やってきて「写真を撮らせて」との注文。

2匹目が釣れたところでハイポーズ。(草部渡船HPから拝借)

 結局、10時半ころまでに15匹と
サイズには満足しませんでしたが今年は
昨年に比べ数が上がっているようでした。

私の釣果写真。(草部渡船HPから拝借)曇り後雨

11時に帰港、早速車に乗り、帰途に
着きました。
何時もながら国道清水の信号手前で
車が渋滞。何とか抜けると今度は
加古川バイパス乗り口付近まで渋滞。
ここを抜ければ厄神までが また
狭い道。
小野市の市場まで帰り 175号線に
乗るとヤレヤレと言ったところ。

この歳になり もう一度やってみたいこと その2

2019-07-12 10:49:59 | 日記
 さて、昭和50年代前半は オキアミと言いう
画期的な釣り餌が出てきたため、それまで釣れ
なかったヒラマサが磯で数釣れるようになった。
1代ヒラマサブームが沸き起こりました。

 あの通称オオタボと呼んでいた柴山港の裏の
山裾に夜中に出て夜中の3時頃に着く。
背負子にオキアミのブロック3枚、仕掛け類を
入れたリュックを担ぎ 中本数人で山を登り
地磯を目指します。 頂上に着き釣り場を
見下ろすと 崖地、ロープが吊り下げて有り
ますが、急峻なので足元も悪く怖い。
 真っすぐ下りれば通称チョボと言う地磯に
着く。 高場と言っていた地磯場所へ行く
には、太い針金(番線)が岩に並行に取り
付けてある。
その針金を両手で持って、恐る恐る足元を
確認しながら横切って高場を目指すのだが、
眼下は磯に当たっては飛沫を上げている海。

 高所恐怖症でもある私は恐る恐る高場を
目指すのですが、”漁師山を見ず”の諺通り
怖さを超える釣りたい一心が恐怖を乗り越え
何度も通ったものです。
当時の様子はデジタルカメラがない時代。
フィルムを装填するカメラだったので効果だし
塩水が掛かればダメになると思い、カメラに
納める事はしませんでしたが、休日の日など
山の頂上に上り 眼下を見下ろすと竿が
ギッシリと並んでいたのを思い出します。
それは竹藪のようでした。
猫も杓子もと言いますが、このブームは
4~5年続いたと思います。

 柴山のオオタボから浜坂方面が私たちの
ホームコースでした。
浜坂の兵庫県では最北端にある伊笹岬の
灯台下、高場でした。高場の手前には
ヨイチベイと呼んでいた 昔石を切り出して
いた場所が有り そこも絶好の釣り場
でした。
 ここへ辿りつくには今でこそ道が整備
されていますが、昔の平家の落人が
有り、車が通れる道でなく、余部鉄橋の
辺りから徒歩で釣り場を目指したものです。
背負子を担ぎ 灯台まで辿り着くには
1時間ほど掛かりました。
落人の家は十数件ありました。
墓地を横ぎり 住民が切り開いた段々畑
が有り、人が一人歩ける道が有りました。

 ヨイチベイは岩にカスガイが打ち付けて
有り、トラ縄が付けてある。だが、その
カスガイの根元は長年の塩水に根元が
侵食され細くなっている。
ヒヤヒヤものでしたが、幾度となく通い
ました。
高場は灯台下で これまた釣り場に下りる
にはロープが必要。高さは十数メートル
でしたが、何せ切り立っているのでロープ
をしっかり握り、足元を確認しながら
下りなければならない。 もう2mと
言う高さになると足が掛からない場所。
膝を擦りむきながら釣り座に向かった
ものです。
ここへも数年通いました。

 このヒラマサの引きの強さは海の
ダンプカーと言われるくらい、強引に
引きます。
当時は籠釣り主体、道糸に浮き留めを
作り、深さは5ヒロ6ヒロ(1ヒロは
両手を広げた長さ、自分の背丈)取り
移動ウキを付け、そしてハリスは1.5
ヒロ程度とり、道糸とハリスをつなぐ
サルカン(より戻し)に籠を付け
籠にオキアミを詰める。
 刺餌もオキアミで、2匹抱き合わせる
ようにして付け、そして籠のオキアミの
重さを利用して 思いっきり遠投する
のです。
 ヒラマサはいつ来るか分からない。
潮に乗せてウキが海面を流れる。
そのウキがスッと消えると思うや
アブのスプールから道糸が出ていく。
ストップをかけると そこからヒラマサ
とのやり取り、ヒラマサはハマチや
ブリと違い、根に持って入る習性が
ある。根に入られると万事休す。
だから強引に取り込まなければならない。
何度 痛恨のバラしをした事か
70センチまでのヒラマサは獲れても
80センチオーバーになると海面に
頭を上げ、空気を吸わせるまで油断
出来ない。
 油断すると足元に来てから強引に
足元の根に潜るからだ。
だからこちらも強引に竿が折れても・・・
との思いで緩めない。
連れがタモに掬ってくれた初めて
獲れる。

 そんなヒラマサブームも数年後
岩手沖かの地震が起きた昭和60年
頃から釣れなくなっていく。

 しかし平成に入ってからまた浜坂
や佐須、香住方面で釣れ始めたのが
平成に入り、私が宅建業にトラバーユ
して しばらく経ったころ、確か
平成12年頃だろう。
佐須の赤磐へ上がり ヒラマサを
釣り上げた。それも3匹。

釣り上げた75センチのヒラマサ

 久々のヒラマサ、この頃、デジタル
カメラが普及していたので赤磐の
磯の上で 釣り友に写してもらい
ました。

 磯は本当に気持ちいい。船釣り
では味わえない醍醐味が磯には
ある。
この秋には もう一度行きたい。
しかし、渡船名簿に年齢を書く
箇所が有るのだが、75歳と書くと
乗せてくれるのか?心配。

しばし休憩の間に釣り友を撮影。


 佐須の赤磐から見た柴山方面
 

この歳になり もう一度やってみたい事。その1。

2019-07-11 10:24:19 | 日記
 私は 遊び事大好き人間、釣りもすれば
ゴルフも行う。
カラオケも機会があれば謡にも行く。

 釣りは色々な釣りを行ってきました。
過去には渓流釣りはアユの友釣り始め
ヤマメ釣りに没頭、 この時期、近場は
神崎郡(今は神河町)の落谷川、山崎郡の
揖保川、そして佐用町の千種川と3ケ所の
年券を平成の5年頃まで買っていました。
昔は5000円前後だった年券が年々
値上がりして、最終的には12000円
程度に値上がりしていました。

 釣り人口も増え、そして釣り具も好くなり
当初硝子ロッドが、カーボンロッドになりま
した。
 私が教わったのは18歳頃だったと
思います。
解禁日は当時6月の終わりか7月の始め
でした。

それまでの期間は、当時 禁漁期間のなかった
ヤマメ釣りに行っていました。
ホームコースは村岡町の矢田川水系上流。
あのイヌワシで有名な 小代渓谷辺りでした。
当時、山田地区とか言ったか?
全但バスの最終停留所が山田と言ったと
記憶していますが、渓流を遡って わき道を
それて枝になっている細い渓流を辿っていく
と、廃村になった村が有った事を思い出し
ます。
 十数年後には木が生い茂り、建物は
朽ち果て、今では面影も無くなっていますが

 当時、私に渓流釣りを教えてくれた
お師匠さんは、繊維加工場の上司で工場長
だった森脇さん。
歳は一回りは違いましたが、毎週のように
一緒にさせていただきました。


 深山幽谷に分け入り、堰堤の滝の下で
自然に同化したかのように無心で釣って
いました。
不思議と そうすると殺気が無くなっている
のか、面白いようにヤマメが釣れたことを
思い出します。
3桁釣りもしました。魚籠が重くなり、一旦
車を停めている場所へ戻り、魚籠を軽くして
再度釣りを再開したものです。

 あれは昭和45年頃、私が26歳頃でした。
まだ独身で親父も健在だったのでした。が、
翌年に親父は持病が元で亡くなりました。
ヤマメは当時から幻の魚と言われていましたが
私は川魚が苦手で、釣った魚は他人に上げたり
家の飼い猫の餌にしていました。
親父が亡くなった翌年に 今の妻と結婚した
のですが、妻もまた、食べなれないヤマメは
余り口にしなかったことを思い出します。

その内、それを知った、染色の工場長をして
いた藤井氏が「まっさん。ヤマメは塩焼き
だけでない。3枚に開いて天婦羅にしたり
ムニエルにすると美味しく頂ける」。と
聞き、妻に伝え、その後は 美味しく頂く
事にしましたが、
 アユも一緒で 釣ってきたアユは他人に
やるばかりでした。

 そして 昭和50年後半に 磯釣りは
初めてではなかったのですが、遠ざかって
居たころ、蒲江の笹倉吉男氏がササクラ
釣具店を開業し始めました。
あれは昭和53年頃だったか?店に行くと
「まっさん。日本海でヒラマサが釣れた」。
と言います。
「ヒラマサって?」と言うと、「ハマチや
ブリに似ているが、とても引きの強い魚で
以前は餌に川エビなどを1升ほど持って行って
撒きえさをして、年に数匹しか釣れない魚だ」。
と説明を受け、そしてその頃 オキアミが
出始めたのですが、捕鯨が難しくなり、捕鯨船が
クジラの代わりにたんぱく質の多いオキアミを
持ち帰ったのが、日本人の口に合わず釣り
餌に代わったのだとか?
 それを持って西脇の日野団地に住んでいる
3人が 柴山のオオタボと言う地磯に行き
数匹釣って持ち帰り、ササクラ釣り具に
立ち寄り 見せたとの事。
 吉男氏は一目見て「これはヒラマサに
違いない」。と言ったそう。
ヒラマサは見た目はハマチやブリと変わらない
が、味が違う。美味しいという。

 早速、その年からヤマメやアユを辞め、
ヒラマサ釣りに没頭しました。
竿はヒラソと言うオリンピックとか言う
メーカーが出していた固めの5.4m竿。
リールはアブと言う スェーデン製の
両軸リール。
一式 導入するのに20万円は使った
でしょう。
毎週のように通いました。

 その後も渓流釣りも行きましたが回数は
少なくなり、と、言うのも アクセスが
よくなり、遠坂峠は曲がりくねった
山道が その下のトンネルを掘ったのが
その頃。街から釣り雑誌等を見て行くものが
増えてきた渓流釣りの妙味がなくなって
来たからです。

 その後は海釣りに没頭していくことに
なります。


今年のジュンサイ祭りは取りやめに・・・

2019-07-08 11:13:05 | 日記
  先日 朝のウオーキング中に 逆池の
幟が取り外され、タライ船も撤去されて
いました。
 ”さて、今年は取りやめになったか?”と
思いながら歩いていると前方から曽我井の
T区長が、犬の散歩をさせているのに出会い
ました。
 聞けば やはり取りやめになったとの事。

 1週間延期するとなれば、それなりに関係
各位に再度お願いせねばならない。
やむを得ない措置だったのでしょう。

 さて7月に入り 天気が悪いと言いな
がら、しかし九州や近畿の南では豪雨に
なったものの、西脇近辺は比較的穏やかな
日和に恵まれました。
 畑の作物も順調に育ち、毎日トマトや
茄子、トウモロコシ、ピーマン、ズッキーニ
キュウリ、オクラなど次から次にと収穫
するのですが、1日毎大きくなり、毎日
ズッキーニ―やスイカ、プリンスメロンなど
受粉させる為に畑へ行きますが、その都度
収穫し、老夫婦二人では食べきれません。
子供たちに送ってやりたいが クール
宅急便で関東まで送るとなると高くつくし
子供も魚ならともかく喜ばないし・・・

大きく育った小玉スイカやプリンスメロン

 ツル物は旺盛にツルを伸ばしてくるので
スイカなど、子ツル15枚以上に実を
付けた雌蕊に受粉させるのですが、1本に
3つ 子ツルを伸ばしているのですが
孫ツルも 出始めて どれが子ツルか
分からなくなります。

 スイカは3本植え、プリンスメロンは
2本、 どちらも地植えは場所をとる
ので空中栽培しているのですが、毎日の
世話が大変。

 そんな中、土曜日は久々にアナゴ釣り
に播磨町本庄赤灯へ行きました。
こちらを4時に出て、175号線を
南下、小野の市場を右折して狭い道路を
通っていきます。
着いたのが5時半。土曜日なので家族
連れが大勢来ていました。
 温度は28度ほど有ったと思いますが
この日は北風が強く 体感温度は20度
くらいに感じ、肌寒く、長袖シャツ1枚
では寒いと感じましたが、家族連れで
来ている小学生くらいの男の子や女の子
は薄い半ズボンに半そで姿で 父親の
傍で タコ釣りをやっていました。

 私もタコ釣り用の餌木を持っていたので
アナゴ釣りまで時間が有るのでタコ釣り
仕掛けを装着し、夕方 薄暗くなるまで
していましたが、釣れたのは1匹、
それも小さな イイダコのようなミニ
サイズ、”やはり大きいのを狙うのは
船釣りか?”と思いながらリリース。

 8時前になり やっと夕日が沈み
薄暗くなるころ、 少し人が減り、
私はアナゴ釣り仕掛けの竿を3本
出しました。
 直ぐに当たりがでたのであげると
そこそこのサイズのガシラ、
8時過ぎにまた当たりがあったので
上げると 本命のアナゴでしたが
小指サイズ、まぁ これくらいの
サイズでも開けば何とかなると思い
クーラーに放り込みましたが、
その後 来たのはガシラと割りばし
のような細い 子供のアナゴ
リリースしようと思いましたが
ハリスに身体を巻き付けて半死に
状態。仕方ないので一応持ち帰る
事にしました。
9時になっても当たりは出ない。

 今までの経験からして9時を
過ぎてからも来るが、数は期待
出来ない。
僅か3時間程度居ただけですが
竿を終い、帰途に就きました。


足腰の衰えを痛感。

2019-07-01 10:54:54 | 日記
 さて毎日の愚図ついた日和にも負けず
午前中は家から離れた場所で栽培している
野菜物の見回り、ズッキーニ―の収穫の際
受粉もさせますが、2~3日後には大きく
なります。
 スイカも小玉スイカをネット栽培して
いますが、妻が”支える袋に水切りネット
を使用したら・・・”と言うので水切り
ネットを使用したのが悪かった。
小玉スイカと言っても 赤ちゃんの頭位
大きくなり、重量が有るので 水切り
ネットでは支えきれず、破けています。
慌てて 収穫ネットに切り替えましたが
4個のうち、1個が 自らの重量に耐え
きれず、根元から千切れました。

 仕方がない ”もう少し経たないと
甘味が薄いのでは?”と 家へ持ち帰り
割ってみましたが 案の定 10日ほど
早く、甘みが足りない。

自宅で採れた野菜類。

 日曜日は 月例B組をエントリーして
居たのですが、天気予報では大雨との事。
この日は隣保のクリーンリバーとかの
作業奉仕が8時から有るのですが、妻に
私の代わりに出てもらうことにして
いるのですが、余り堂々と遊びに行く
のも気が引け、早めに自宅を出ました。
ゴルフ場に着いた頃、シビシビと小雨が
降っていましたが、プレーを始める頃
には雨が上がりました。
 フェアウェイは所々ぬかるんでおり
決して好条件とは言えませんが 雨が
止んでヤレヤレ、
同伴者は 福崎のT氏、それに加西市の
K氏、T氏は 元刑事で体格もよく、
私よりは15歳下。 よく飛ばします。
飛距離はあたれば300ヤード近く
飛ぶでしょう。
 私との差は50~100ヤードと
格段の差が有ります。

 一方のK氏は 今回初めて一緒に
廻るのですが、お歳を聞くと81歳。
私より6歳年上、 だがやはりお歳
だけに歩くのも辛そうで、ティグラウ
ンドが高い場所に有る箇所は登るのも
辛そう。
ですが回数はかなりこなしておられる
ようで、ある程度スコアは お歳に
しては まとめて居られました。
アウトをホールアウトする頃に少し
雨が降りだし 食事中も外を見ると
かなり雨足が強く降りだしましたが
インのスタート時間には雨が上がり
ラッキーでした。
ですが、フェアウェイ各所に水が
溜まり、ウオータハザード宣言を
してボールを移動させなければ
ならない状態、それに靴の中は水が
入り、歩くたびに気持ちが悪い。
 そして やはり私も75歳と
高齢、K氏同様 歩くのも疲れる
ようになりました。
つくづく足腰の衰えを感じた次第。
果たして K氏のように80歳を
超えてもプレーできるのか?
考えさせられる日でした。