飛魚的日乗 (現代詩雑感)

詩のことを中心に書いていきます。

チュリンガ

2008-08-10 | Weblog
 この間、渋谷のイタリア料理店で同人の座談会をやったとき、北爪満喜さんとエミリー・ウングワレー展の話になった。すごくよかったという話だったが、アボリジニについて、僕はレヴィ・ストロースのことを話題にした。でも、かなり記憶違いをしていた。サルトルとの論争のときにチュリンガをかざして反論したというの話は、中沢新一さんの「イコノフィア」で読んだ記憶だが、僕の中でチュリンガはチュリンガの図柄の旗になって記憶されていた。なぜか議場への騒然とした乱入と話が結びついてしまっていた。最近、「イコノソフィア」を読み直して、記憶違いというより、むしろ僕の願望が混ざっているのかもしれないと思った。ドリーム・タイムにおいて与えられたものを守り続けて生きていくことがどんなことなのか、ほんとうのところははわからない。チャトウィンのソングラインの話も出たが、僕自身はどう理解するのかわからないでいる。中沢新一さんも、単なるアイデンティティーの問題としてではなく、「彼らは生をいつも前方に謎や問題をはらんだプロブレマティツクなものとして確認していたかったのではないか」と言っている。
いつももっと突き詰めた話がしたいと思っているのに、その場その場で話が過ぎてしまう。そうしないようにするのは、僕自身の問題なのだが。