飛魚的日乗 (現代詩雑感)

詩のことを中心に書いていきます。

新しい浮子古い浮子

2010-12-20 | Weblog
 先日の忘年会のあと、いきなりご行啓の話がもちあがって、忙殺されていた。
ようやく落ち着きそうなので、年内にやらなければならないことを少しづつ片付け始める。
読みたい本もベット脇に山になってしまっている。読んだら少しづつ感想が書けるといいなと思っている。
画像の詩集は、先日の忘年会でいただいた佐々木安美さんの新しい詩集で、不思議な魅力の詩がならんでいる。
僕も昔はよく釣りに出かけていた。いろんな活動から身を引いたあと閉じこもっていた時期で、大船に住んでいた頃だ。
まだ幼かった長男を連れて江ノ島の磯を歩いていた。浮子を見ていると気持ちが落ち着く。揺れ動いているのは浮子ではなくまわりの世界の方だと思える。でも、釣りは何を釣ってしまうかわからないのが恐怖で、とんでもないものが上がってくるかもしれない。そういえば昔、佐渡の外海府の離れ島で釣っているとき、そう思えて恐ろしかった。
 知り合いの絵描きと毎週のように三浦半島に出かけていたときもあった。蟹の絵が凄い絵描きさんだった。蟹の絵は、朝日ジャーナルの表紙絵になった。みんな、むかしの思い出だ。

火事だ火事だ

2010-12-14 | Weblog
火事だ
火事だ

黄ばんだ太陽が海を昇る
こめかみの裏で独語する
なにもかもが狂いたつ
なにもかもが終わらない

地球と同じ悲観論だ
幾億光年のアミノ酸の悲喜劇だ
おれとおまえが
からすの顔と声で迎える夜に
あらゆるものが松明をかざして行進する
ごらんよどこもかしこも燃えている
燃えているものが
おれとおまえの括れた回廊をぐるぐると廻る
からっぽの星が通っていった時間を返せ
入り組んだその襞に穿たれた
呼吸しない空だ

窓は埋まったままだ
なにもかも燃えろ燃えろ

冷たい瑪瑙の時間も橋に似た悔恨も
泣き叫ぶ鼠たちも

細い管に呼び入れる
突起する咽喉を鳴らす
おれとおまえの胎内を運ぶ
一頭の驢馬を葬る

焔とともに狂乱する朝だ
線状に延びる
ひたすら内側へだけ雪崩れる
心情という薄い
いちばん淵のところによろけ
狭いこめかみに傷のように地平線を引く
くるくると円状に振られる旗の描く夥しい曲線に
俺とおまえの
聞きとれない呼称に挟む
固有名からこぼれる
凍えるちょっと前の時間を流れる

そうして
そんなにも
内臓を炙る焔が
だんだん激しさを増す
みんな燃えろ
火事だ
火事だ

 本棚の奥にあった古い走り書きを載せてみた。
捨てられるものは全て捨てて、新しい本を造ろうか。
古いものはこうして記号を打ち込んでみても、直しようもない。
直しようもないものは捨てるしかないのかもしれない。
一昨日の忘年会で清水哲男さんが詩には賞味期限があると話していた。
捨て切れない性分の僕は尾っぽが長くなっている。
それも、電車ややかんやため息や犬やら猫やらが一本の尾っぽになってずらずらと引きずっている。
NHKのピタゴラススイッチの尾っぽの歌でも歌いたいところだ。
リスの尻尾なら、「えっへん!」なんだが。
捨てられないのは捨てると痛いからで、すてられることばはまちがいなく僕の一部だろう。
僕とはことばなのだから。

10篇くらいで本をつくろうかなと話したら、松下育男さんから「15編!」といわれた。
まどさんのステッキが降ってきたみたいで面白かった。
「サンキュー!」  
15編にします。

でも、半年くらいはかかるかもしれない。





清水哲男さん

2010-12-13 | Weblog
今帰ってきました。

清水哲男さんと話しをさせてもらいました。
60年代から今までのことを話しました。
話をしているうちに
ぼろぼろ涙が出てきて仕方がありませんでした。

大野新さんのことも話させていただきました。
大野さんが今年逝去されたのは知りませんでした。
どんなに大野さんが好きだったか
清水さんに話しました。
それでまた涙がぼろぼろ流れました。

きっと
僕らの世代でしかわからないと思いました。
でも、
清水さんと話せて幸せでした。
松下さん、ありがとうございました。
こころから感謝します。


ペンギン

2010-12-09 | Weblog
小鳥たちが騒いでいる
つぐみやせきれいの
つぐみやせきれいの
翳のようなものに横切られる(すばやく)
木の間から射し込んでくる
(やわらかな)光の帯を潜る

きっと
(あなめ あなめ)もうさっきから身体は
むらさき色に消えかかる
(ひと息ごとの足もとの暗がりがゆらと)
すこし先を(ツツと)
班猫が飛ぶ

すすき おみなえし
 すすき おみなえし

(さみしい)夢につづく胎道を抜ける
くさはらの青らむ奥のところに育つ
空の端で消えかかる
ひたすら震える
声の奥に密生する
尖った耳のような羊歯群が
(うなぶかし 哭かさかまく)

枯れ枝がコツコツと鳴る
そこここに
(あなめ あなめ)
夢のようなものが横たわる
死のようなものがころがる


だいぶ前に書いた作品だ
ここから出られないでいるような気がする
回廊のなかを踏み迷いながら現世の時間ばかりが過ぎ去る
松下育男さんから刺激をもらってまた内部の時間が動き出すかもしれない
遠い昔にあった出来事も
僕の死者
そういってよければだが 僕の死者は
暗い繭状であり
後ろ向きの速度であり
半狂乱の歌であり
無言だ

ペンギン
ペンギン

ねえねえ 
ほんとうはね
ぼくのおとうさんって
ほんとうは

ペンギンなんだよ

遠い昔のある日
欝で倒れた友人に手を引かれた幼い子が打ち明けてくれた
ことば
外套に身を包んでとぼとぼと歩いていく友人の姿が思い起こされる
ステッキは落ちてくるだけではない
振り下ろされることもあるのだ
誰が誰に向かってから可能な限り離れても
そういえばアルトーの杖もあった
こんなふうで水平な面を
僕の死者たちは小声でざわめきながら走り回る
死者ではないのかもしれない
僕のなかで育たなかったもの
育とうとしなかったもの

いまも
かっても
これからも
道も方向も意味も裂ける




みみぱぁまぁ

2010-12-07 | Weblog

 毛利珠江さんから詩集「みみぱぁまぁ」をいただいた。書肆山田からの上梓。書肆山田は内容も装丁も良質な本を作る出版社で、毛利さんの本もいずまいのしっかりした美しい本にしあがっている。収められている21編の詩のすべて、題名が花の名前になっている。ハイビスカス(越冬)、クリスマスローズ(剣弁咲き)、紫露草、パンジー、デルフィニューム、ゼラニュウム、ラナンキュラス、ふたたびハイビスカスで(盛夏)、バラ、れんげそう、ひまわり、水仙、さくら、ハイビスカス(晩秋)、カラー、薔薇、ミミ・パーマー、蘭、寒椿、デンマークカクタス、くちなし。 こんなに、精神も肉体も花に添うように、まるで花と同化して生きているということ、そのことがいきいきとしたことばになっている。遠くから飛来したり、植えられたり、そうやって育っては朽ち、また暗いところに帰っていく花たちに連れ添って、毛利さんも生きているのだと思った。こんなに良く書かれた詩集を読んでしまったあとでは、僕のような無粋な人間でも、なにげなく花を見るとき、ふと毛利さんの作品のことばを思い浮かべてしまうような気がする。