飛魚的日乗 (現代詩雑感)

詩のことを中心に書いていきます。

洗足池公園

2006-03-28 | Weblog
 今日、洗足池公園へ行ってきた。桜山の近辺は満開の桜で、公園全体では今度の土日あたりがピークになるだろう。
 100店舗くらいを束ねている屋台の元締めと話をした。実にいい笑顔の老人なのだ。好々爺というのはこういう表情だなと思った。同席した○暴の刑事の方が険悪な表情だったのでおかしかった。人はいつもいろいろだ。表からは判らない部分を抱えながら暮らしているのだと思う。
 桜前線を追いかけて屋台を出しながら旅をしている人もいると、その元締めが話していた。まるで寅さんだが、そういう生き方もいいかもしれないと思った。
 

神奈川県立近代美術館 葉山館

2006-03-21 | Weblog
 ようやく、パウラ・モーダーゾーン・ベッカーの展覧会に行ってきました。気分的にめげていたので、絵を見ていると、少しづつ気持ちが持ち直していくのがわかるようでした。特に、この、共同制作の作品「自然の中の愛と生活」を見ているときは、気分が明るくなりました。ヴォルプスベーデは時代の浪に飲み込まれて悲劇的な結末を迎えるのですが、この絵のような、確かな共同、人と人との繋がりがあったのだと思いました。。
 展示室の一室では、プロジェクターを使って、リルケの「ある女ともだちのための鎮魂歌」が白い壁に大きく映し出されていました。数行をゆっくりフェードインさせては、またゆっくりとフェードアウトさせ、それを繰り返していました。ずいぶん長い間、その前に立っていました。

癒し

2006-03-21 | Weblog
 疲れて帰ってきて、駅を降りて、今日始めて気が付いた。バス停へ向かう途中、絵の中の少女がぼんやりとこちらを見ている。葉山美術館でやっているパウラ・モーダーゾーン・ベッカーのポスターの中の少女だ。しばらく絵の前に立ち止まって、眺めていた。不思議な絵だ。愛らしい少女の絵だが、つかみどころのない表情をしている。それでも、どこか安心させてくれる絵だ。今日は電車の中で、アルトーの「ロデースからの手紙」を読んでいたせいか、かなりめいった気分になっていたから、モーダーゾーンの絵を見て、「癒し」という言葉がうかんだ。でも、それは僕の気分がそうだということだ。毎日通っている場所なのに、今日になって始めてポスターに気が付くというのは、僕に余裕がないということなのだろう。明日は休みだから、ゆっくり美術館に行ってみようと思う。

明日は朗読会です。

2006-03-18 | Weblog
 明日、18日は朗読会です。テーマはあるのですが、ぼくは全然書けていません。しかたがないので、即興でやるしかありません。

 ゲストが決まりました。
 川上亜紀さん 早稲田文学で活躍している方だそうです。
 北爪万喜さん 詩学の投稿欄選者。ネットでの活動も旺盛です。
           最新詩集の「青い影 緑の光」(ふらんす堂)は
           高く評価されています。
 泥Cさん     泥どろどろCさんと言うそうです。「モーアシビ」に
           作品を書いている方です。
 五十嵐倫子さん  どんな作品を書かれている方か楽しみです。

 なぜか、ゲストのみなさんは女性です。僕はあんまり詩を書く知り合いはいません。みなさん、白鳥さんの誘いで来て頂けけるとのことです。にぎやかな会になると思います。

 よるのひるね HP http://members.jcom.home.ne.jp/yoruhiru/index.html

フットスタンプ12号 発行

2006-03-16 | Weblog
 
 12号が出来上がりました。発送は来週になりそうです。

 目次
 
 作品  血はダンスしている       白鳥信也
      青い時代にぼくが投げたもの 小島浩二
      叫ぼうか歌おうか        田辺 武

 特集「場所」  ここでないよそへ      小島浩二
          ブローティガンの空白    白鳥信也
          <革命>を叫ぶ場所    田辺 武
          追い遣られる         遠藤 誠
          侘びテすめ          池田俊晴

 作品  匂橋             遠藤 誠
      ハンマー          池田俊晴
      夢の海坂(うなさか)   池田俊晴

 座談会「銀座の中心で<革命>を叫ぶ」
 後記(リングアウト)
 表紙写真「路地の向こうへ」より 遠藤誠



ハンマー

2006-03-12 | Weblog
「フットスタンプ」12号に「ハンマー」という作品を出しました。珍しく一気に書き上げた作品ですが、先日、オスカーの授賞式の映像を見ていたら、「芸術はハンマーだ。」とブレヒトが言ったという趣旨の発言が出たので、「ハンマー」を書いたばかりの僕としては、いささか不思議な気分でした。ハリウッドでブレヒトの名前が出るのは別に不思議ではないが、「ハンマー」=「破壊」、「革命」のイメージが強いのかなと思いました。
 「ハンマー」については、ハイデガーも取り上げています。ハイデガーの「ハンマー」は、用具としてですが、「ハンマー」は叩いたり割ったりするだけでなく、振り子でもあり、シャベルでもあり、楽器でもあります。用具とは、関係性のなかで、つまり、コンテクストによって相貌をあらわにするということです。そして、「向くこと」(Bewenden)からどんどんずらしていくとき、「ハンマー」は単独でありえなくなるのではないか。そこでは、新たな「呼び込み」が、新しい稜線が必要になるのではないかと思いました。新たな対象というのは違う気がしますが、相互が互いの逃走線ということもありえます。それから、ちょっと作品の解題めくのですが、作品のなかで「華氏」ということばを使いました。「華氏」はそもそも「生存可能性」を基準にしています。そういう読みで書いたつもりですが、でも、できあがった作品はまったく別ものなのかもしれません。
おまけですが、ドゥルーズの「差異と反復」を読んでいると、「スフィンクスの問いに結着をつけないオイディプスと、彼のやり方の場合」という記述に出会います。スフィンクスにはエッセイの方で触れました。

 「(その)問いは、問われる者にも問う者にも還元されず、むしろ、その両者をおのれ自身の「差異」の分節のなかで結びつける。」

 今日は、映像がないので、本棚の整理をしていて出てきたアルトーをアップしておきます。そのうち、アルトーの杖について書きたいと思っています。