飛魚的日乗 (現代詩雑感)

詩のことを中心に書いていきます。

ものぐるほし

2013-02-26 | Weblog
寛政十二年秋、宣長は、三百首あまりの桜の歌を詠んでいる。朝の寝覚めの床のなかで桜を詠んだそうで、実際の桜を前にして詠んだ句ではない。謂わば、宣長の溢れ出る心象風景だ。小林は、その歌集の後記を長々引用している。そして、その引用から「あなものぐるほし」という形容詞を取り出し、宣長の桜への想いが見えるのではないかと自問する。
宣長は、「をしへ子ども」への戒めの中で、ゆめゆめ真似をしてはいけないという主旨で、自戒を籠めて「あなものぐるほし」と記しているのだが、小林はこのことばを「をしへ子ども」の前から「さくら」の前に運び出し、いささか強引に宣長の心象に繋げようとする。「ものぐるほし」は、周知のとおり、徒然草の一節である。つまりは、「無常」ということなのだ。
小林は、狂おしく桜に惹かれる宣長を夢想することで、宣長と自分を重ね合せていたのだと思う。であれば、桜の咲いているはずもない晩秋に、ふと宣長の墓を訪ねたのは合点がいく。小林は、無住という佇まいの松坂の妙楽寺の墓所は「簡明、清潔で、美しい」と記しながら、桜については触れていない。触れるひつようなどなかったのだ。さくらは、宣長と小林の心のなかに狂おしく咲きつづけているのだから。

小林秀雄「本居宣長」

2013-02-24 | Weblog
 小林秀雄は、十一年に及ぶ「本居宣長」の連載を、宣長が残した遺言の解説と、松坂の山室にある宣長の墓を訪ねるところから始めている。謂わば、死を起点に書き始めたということで、それがなぜなのかが気になっていた。
 宣長の遺言は周到だ。自分の死後の扱いや親族・弟子のことなど細々と書き残している。山室に塚を築いて山桜を植えること、菩提寺である樹敬寺での葬儀は空送にし、深夜に山室の妙楽寺裏山の塚へ遺骸を搬送すること、葬列の組み方や命日の歌会などを指示している。当時の葬儀としてはそうとう奇妙な点もあったのだと思う。小林は、そこに、宣長の遺言に死生観を見たのだろうか。それとも、死者の「持続する個性」を見たのだろうか。
 小林は、「本居宣長」を書くにあたって、「やってみなくては成功するかしないか見当のつき兼ねる企て」としたうえで、「自分はこう考える」という宣長の声に添って進むとしている。声に添って進むとは、「宣長の思想の一貫性を保証していたものは、個性の持続性にあった。」ということを唯一の確信として進むということだ。だとすれば、小林は、遺言の中に凝縮された宣長の「個性」を掴もうとしていたのかもしれない。
「声に添って」とは、宣長が源氏読みの中から掴んだ方法だった。宣長は、源氏の作者の声に添って、もののあわれを追い求めた。まず、「自分はこう考える」と語ることから始めて、周囲に波紋を起こしながら、手探りで紫式部の声を追うことが、たかだか数千年のことごとしい漢才を越えて、この国の数万年に及ぶ言霊に連なる道、もののあわれに連なる道を進むことになる。小林には自分の方法もそれに倣うという覚悟だったと思う。それは、宣長論冒頭の折口信夫の「宣長さんはね、やはり源氏ですよ。」という示唆に応えることでもあったと思う。小林は、若き宣長が「葦別小舟」で国学へ漕ぎ出すように、たった一人の漕ぎ手だけの小舟で、もののあわれと言霊の道へ漕ぎ進んだのだと思う。

 遺言にもあるように、宣長は桜、それも山桜に憑かれていた。桜に憑かれることが、どのような心象を生み出しているかは人により様々だが、ものぐるおしく次々と数百首の桜の歌を詠んだ宣長の意識に添って進むのであれば、桜こそがその案内役に相応しいと考えて不思議はない。小林は、ふいに晩秋に松坂へ出かけている。衝動的に山室の桜の下に立ちたいと思ったのかもしれない。もともと小林自体が桜の奴であった。小林は、毎年のように日本全国の桜を追いかけている。そこに宣長に対する深い共感があったと思う。

すこし宣長の桜の歌を挙げておく。

桜花 ふかきいろとも 見えなくに ちしほにそめる わがこころかな

我心 やすむまもなく つかれはて 春はさくらの 奴なりけり

しき嶋の やまとごゝろを 人問はゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花

小島きみ子著「人への愛のあるところに」(洪水企画)

2013-02-21 | Weblog
本書は、小島きみ子さんが詩誌「Eumenides」に書き継いで来た論考をまとめたものだ。
「詩的意識の構造についての断章」「詩への通路」「知恵を愛する事と、詩情へ向かって」「松尾真由美と野村喜和夫におけるエロスのエチカ」「(エス)」「秋のリルケ」「ポーとルドンの暗黒のファンタジー」「萩原朔太郎詩集『青猫』について」「中世マニエリスムの美と思想の言葉」「原初なるものの場所」の10章により構成されているが、小島さんが詩と人をいかに愛しみながら、生きていることの秘密に挑んできた軌跡に思える。小刀で丹念に丹念に切り出された思考の欠片を見せられている思いだ。実は、章名を並べたのは、僕個人と関心が重なるところが多いことの確認もあった。小島さんが挙げている詩人や作家や哲学者は、僕もいつも気になり続けている人たちなのだ。ただし、僕は小島さんのような地道な求道はして来なかったので、感歎して見上げている状態だ。
 例えば、リルケは、十代からいまだに読み続けている詩人だ。今は亡き辻邦生さんに今でも道案内してもらっている。ルドンは、二十代の頃、「樹木の人」の前で立ち尽くした。不遜にも、ああここにもう独りの僕がいると思った。僕も小島さんに倣って、自分の思いを切り出していけるといいと考えている。その時はもう少しちゃんとした本書の紹介が出来るかもしれない。

フロル

2013-02-21 | Weblog
川口晴美さんと紺野ともさんの「Furoru」第2号が届いた。紺野さんは「妖精年代記」「ブラッシュブロッサム」川口さんは「人工」という作品を載せている。それと、別刷りで紺野さんのエッセイが付いているが、これが抱腹絶倒で、うちの女性職員もこんな感じかなと思えるところが可笑しかった。屋形船は海の幸のてんぷらが出るのだが、エビアレルギーの友人が最後まで乗船するかどうか悶々としていたのを思い出した。彼も決死の覚悟で東京湾上の人となり、奇跡の生還を果たしている。
 詩は二人とも巧みだ。川口晴美さんの周到なのは以前から承知していたが、女性にしか書けない書き方も意識的だと思う。最後にベクトルが交差する書き方も、詩を初行へと引き戻す力を計算していると感じた。いつも、川口さんの作品を読むと、ああ川口さんにしか書けないなと感じる。詩の主題が自在なのだ。
 紺野さんの散文詩は構成的で巧み。同世代の共感は大きいと思う。でも、あえて言わせて頂ければ、オヤジとしては、赤提灯の焼酎と煮込みの生活なので、新鮮スイートの名辞に横っ面を引っ叩かれている思いがする。キハチってなんだそれって、もうそこから置き去りにされる。実は個人的にキハチには上さんとのおぞましい格闘の記憶が染み付いているのだ。屋形船のカラオケとは違っている。女子会を覗いているような妙なドキドキがあるのはうれしいが、所詮世界が違うのよといわれている思いで痛快だ。僕ももう、飲み屋で後輩の女子職員を男並みに「きばれ」とか言って激励するのは止そうと思った。でもこれは詩の批評ではなく、新橋黒文字系のオヤジの感想です。

小林秀雄のこと

2013-02-09 | Weblog
小林秀雄について調べ出して思ったのだが、これは誰もが抱える問題でもあるということだ。
何かに激突したことで、ぎりぎりの処を潜り抜け、もがき苦しみ、全てを失ったあと、まだ
生き続けるのだとすれば、どのように「いま」にかかわるのか。何を手に生きていけるか。
誰もが直面する問だと思う。江藤が整理して見せる図式は、他者の喪失→死の所有→肉体の
否定→自意識→意思=苦痛に敬礼する歓喜という流れだ。いかにも江藤らしい整理なのだと思
う。いったい、生きながら死を所有するなどあるのか。肉体を否定して手に入れる自意識など
あるのか。きれいに引き裂かれた自己など、幻想ではないのか。もっと溶けあってしまうので
はないか。