寛政十二年秋、宣長は、三百首あまりの桜の歌を詠んでいる。朝の寝覚めの床のなかで桜を詠んだそうで、実際の桜を前にして詠んだ句ではない。謂わば、宣長の溢れ出る心象風景だ。小林は、その歌集の後記を長々引用している。そして、その引用から「あなものぐるほし」という形容詞を取り出し、宣長の桜への想いが見えるのではないかと自問する。
宣長は、「をしへ子ども」への戒めの中で、ゆめゆめ真似をしてはいけないという主旨で、自戒を籠めて「あなものぐるほし」と記しているのだが、小林はこのことばを「をしへ子ども」の前から「さくら」の前に運び出し、いささか強引に宣長の心象に繋げようとする。「ものぐるほし」は、周知のとおり、徒然草の一節である。つまりは、「無常」ということなのだ。
小林は、狂おしく桜に惹かれる宣長を夢想することで、宣長と自分を重ね合せていたのだと思う。であれば、桜の咲いているはずもない晩秋に、ふと宣長の墓を訪ねたのは合点がいく。小林は、無住という佇まいの松坂の妙楽寺の墓所は「簡明、清潔で、美しい」と記しながら、桜については触れていない。触れるひつようなどなかったのだ。さくらは、宣長と小林の心のなかに狂おしく咲きつづけているのだから。
宣長は、「をしへ子ども」への戒めの中で、ゆめゆめ真似をしてはいけないという主旨で、自戒を籠めて「あなものぐるほし」と記しているのだが、小林はこのことばを「をしへ子ども」の前から「さくら」の前に運び出し、いささか強引に宣長の心象に繋げようとする。「ものぐるほし」は、周知のとおり、徒然草の一節である。つまりは、「無常」ということなのだ。
小林は、狂おしく桜に惹かれる宣長を夢想することで、宣長と自分を重ね合せていたのだと思う。であれば、桜の咲いているはずもない晩秋に、ふと宣長の墓を訪ねたのは合点がいく。小林は、無住という佇まいの松坂の妙楽寺の墓所は「簡明、清潔で、美しい」と記しながら、桜については触れていない。触れるひつようなどなかったのだ。さくらは、宣長と小林の心のなかに狂おしく咲きつづけているのだから。