gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

工場火災で焼け跡から性別不明の1人の遺体 大阪・貝塚市

2015-03-29 | 事件・ニュース
26日午後、大阪・貝塚市の工場で火事があり、焼け跡から性別不明の1人の遺体が見つかった。

26日午後6時ごろ、貝塚市三ケ山で、綿織物の工場が燃えていると、消防に通報があった。

目撃者は「(火は)初めは向こうだけだったけど、こっちまで広がってきて。音もバリバリと燃えている感じがした」と話した。

火は、工場の広い範囲を燃やし、工場の中から性別不明の遺体が見つかった。

また、工場で研修していた中国人の女性1人が、軽いけがをしている。

従業員の宅田 喜代一さん(57)の行方がわからなくなっていて、警察は、遺体の身元の確認を進めている。

火事も恐いですね。

指令ミスで救急車出動4分44秒遅れ…乳児死亡

2015-03-26 | 事件・ニュース
 東京・多摩地区の119番通報を受ける東京消防庁多摩災害救急情報センター(東京都立川市)で今月17日、男性副士長(27)が機器操作を誤り、救急車の出動指令が約4分44秒遅れていたことが東京消防庁などへの取材でわかった。

 心肺停止だった0歳男児の搬送が遅れ、男児は病院で死亡した。

 同庁や関係者によると、17日午前4時10分頃、家族から「子どもの呼吸と脈が止まっている」との119番があった。副士長は時間や住所を端末に入力し、消防署に救急車の出動を指令したが、ボタン操作を誤ったため、音声が消防署に届かなかった。消防署は、通常は端末に表示された指令に続いて届く音声指令がなかったため、待機。その後「音声が届かない」と問い合わせ、同センターが改めて音声指令を出し直した。

 この4分44秒は大きかったかもしれませんね。

地下鉄サリン事件20年 当時14歳の少女は3児の母になりました。

2015-03-23 | 事件・ニュース
地下鉄サリン事件に巻き込まれ、生死の境をさまよった1人の少女。
あの日から20年がたち、成長した少女は母親となり、事件の記憶を次世代に語り継いでいます。

午前8時、今からちょうど20年前の3月20日、多くの人が利用する、地下鉄築地駅に到着する電車内で、サリンがまかれた。

ただ、当時の事件を思い出させるようなものは、見渡すかぎり何もなく、いつも通りの朝を迎えていた。

事件発生直後、サリンを吸った乗客が地上にあふれ、混乱する築地駅。

そこに、制服姿で倒れ、担架で運ばれる少女の姿があった。

三浦由美さん、当時14歳。

通学途中に事件に巻き込まれ、意識不明になったが、一命を取りとめた。

事件から4年後、三浦さんは大学生になっていた。

事件の真相を知りたいと、松本 智津夫死刑囚の裁判を傍聴した三浦さん。

三浦さんは「(松本 智津夫被告を見た感想は?)わからないです...、言いたくないです」と話していた。

事件を振り返るには、4年という時間は短すぎた。

あの日から20年。

三浦さんは、結婚して中国に移住し、3児の母になっていた。

三浦さんは「当時、本当にここだと思うんです。印象的には、もっと色のない感じだった。印象は変わっている気がしますけど。具合が悪くなってからほとんど記憶がないので」と話した

サリンの影響なのか、失われた記憶。

三浦さんに、当時の映像を見てもらった。

三浦さんは「思い出した。救急車で運ばれる時のこと。『助けられたな』と思いました。安心したんだと思います、子どもだったので。その時の気持ちを思い出したので、帰って(子どもたちに)そんな話をしてあげようと思います。しつこいくらい、親としてやっていこうかなと思います」と話した。

地下鉄サリン事件から20年。

事件の記憶は、次の世代にも語り継がれていく。

もう20年もたつんですね。

ベランダから中学生転落し重体 母親「閉め出した」

2015-03-20 | 事件・ニュース
 マンションの6階から中学生が転落し、意識不明の重体です。

 16日午後1時45分ごろ、東京・板橋区のマンションで、「上から人が落ちてきた」と通行人から通報がありました。警視庁によりますと、14歳の男子中学生が6階の部屋のベランダから転落したとみられ、全身を強く打って意識不明の重体です。仕事で外出していた母親が「家を出る前に息子をベランダに閉め出した」などと話しているということです。警視庁は経緯について詳しく調べています。

 誤って落ちたんでしょうか。

少年実名報道の「今昔」 加害少年の擁護を「人権」と勘違いした愚行 ノンフィクション作家・門田隆将

2015-03-17 | 事件・ニュース
 無念であり、残念である。川崎市の中1殺害事件は、その痛ましさという点で、日本犯罪史に残るものとなった。これほどむごい事件を引き起こした主犯格の18歳少年が、自らの権利擁護には熱心だったことも世間にショックを与えた。最初から弁護士を伴って警察にやってきた少年は、当初、「今は話したくない」と黙秘し、やがて量刑に影響するからか、「いかに計画性がなかったか」を印象づける供述をするようになった。世間がさらに怒りに包まれたのも無理はないだろう。

 同時に、私は新聞の少年犯罪報道に、今昔の感を覚えている。ヒステリックに加害少年の人権擁護を書きたててきた新聞がすっかり影を潜めているのだ。そして、実名報道に対する姿勢にも、大きな変化が生じている。

 少年法第61条には、加害少年の氏名や写真の掲載を禁ずる条項がある。しかし、かつて新聞は、浅沼稲次郎(当時社会党委員長)を刺殺した17歳の山口二矢(おとや)(逮捕後自殺)や、19歳の連続射殺犯・永山則夫(のりお)(元死刑囚)ら少年犯罪者の実名を堂々と報じてきた歴史がある。

 なぜ新聞は実名報道をおこなっていたのか。それは、少年法の総則第1条に根拠がある。そこには、少年法が〈少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して〉定められたものであることが明記されているからだ。つまり、少年法の対象は、あくまで〈非行のある少年〉であり、無残な殺人行為が〈非行〉の範囲であるはずがないと新聞は考えていたのである。それは新聞だけでなく、世間の常識でもあっただろう。

 実際に家庭裁判所に送られた加害少年は検察に逆送され、起訴された段階で、刑事訴訟法に基づき公開法廷で裁かれる。法廷には、手錠腰縄(こしなわ)つきで傍聴者の前に少年が現れるのである。

 だが、いつの頃からか、新聞は非行を越えたこの少年の凶悪犯罪に対しても実名報道を控えるようになった。いや、それどころか、是々非々で実名報道を続ける雑誌に対して、〈ひとりよがりの正義感〉〈売らんかなの姿勢は許されない〉という憎悪に満ちた社説を掲げるようになった。それまでの自分たちの実名報道を棚に上げ、ヒステリックに非難したのである。

 加害少年の利益を過剰に擁護することを「人権」と勘違いした新聞は、思考停止に陥り、それが世の不良たちをのさばらせ、平穏に暮らす少年少女たちの命を危険にさらしていることに気づこうともしなかったのだ。

 だが今回、一部雑誌による少年の実名報道に対して、新聞の感情的な批判記事は皆無だった。うわべだけの正義を論じる「偽善」と「思考停止」から、新聞は抜け出そうとしているのだろうか。守るべき真の人権さえ見据(みす)えることができなかった新聞が今後、どんな論調を掲げていくのか、興味深い。

 同感です。