何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

証明…あかし・曲紹介

2012年07月23日 14時10分56秒 | Weblog
7月23日

昨日はとんでもない日だった。この後いつ警察署から呼び出しが来るかわからないが、気付かずと言えど法を犯した事には間違いないので、それなりの処分が出るだろう。
銃刀法違反、なんだか凄い事をやったように思われそうだが、車上生活で野菜不足を補う為(おもにキャベツを千切りしてコールスローを作る為)に買った、安物のペラペラのペティーナイフが法にふれる物だった。
法律っていったい何だろうって思ってしまう。
警察官から聞いた話だが、銃刀法違反の基準が厳しくなったのは、ナイフを使っての無差別殺傷事件が起きたからだと言う。それ以外にもナイフを使った事件が増えているからだそうだが、刃渡り8センチを越えるとまさしく人殺しの為に作られた刀や拳銃と同じものと見なされるって、どう考えても不自然だ。
家に置いてあるものは20センチ、30センチを越えても大丈夫で車に置くと8センチを越えると銃刀法違反、実際にナイフを使って起きている事件のほとんどが家の中で起こっていると思うのだが違うだろうか?。
法律を作っている人達は、現実をしっかり把握してるんだろうか。殺傷能力の高いナイフで無差別大量殺傷事件が起きたのは衝撃的でマスコミが喜んで大きく取り上げていたから、法律の基準を上げたのだろうが、あんな事件は滅多に起こるものでは無い。法律を作ると言う事は、多数の人間が罪を犯す可能性が高いと思われる時に、やったら罪に問われるぞと脅して犯罪を未然に防ぐと言うものだろう。
と言う事は、この法律は刃渡り8センチのナイフを持つと日本人は誰もが殺傷事件を犯す可能性があると考えて作られたものだろう、そうだとしたら、日本人のモラルは今や壊滅状態であると断言しているようなものだ。
モラルに欠ける人間はどの時代にも居る。でもその数は知れたものだ。社会ルールやマナーを守って生きている人達かほとんどだ。その人達まで犯罪予備軍と考えてもいる人達は、子供が悪いことをした時に言い逃れで、「みんなもやってるもん。」、いつの時代でも聞く言葉だ。じぁ、みんなって誰と誰と誰って聞くと一人の名前ぐらいしか出てこない。そんな子供の考えとまるで変わらない。
こんなつまらない法律を作り変える事よりもっと大切な事が沢山あると思うのだが、自分なりの哲学も持たない人達が事務仕事で法律を作っているんじゃないかと疑ってしまう。もしそうでないとしたら御免なさい。

一言だけ、ナイフで人殺しをする事は重大な事件だが、電力会社が起こした原発破壊でこれから相当数の人達がガンなどに犯されて亡くなって行くだろう。これは大量殺人にならないのか。何かが起こった時、制御出来ない事は最初からわかっていた事だし、チェルノブイリで原発が破壊してから何十年が過ぎたのだろう。いまだに放射性物質を出し続けている事実があるのにクリーンで安全と言い続けてきた事に責任は無いのかなあ、原発が破壊したら確実に長期に渡ってガンや白血病に犯されて亡くなる人も多数になる。まさしく無差別大量殺人だ、僕はそう思うが間違っているだろうか。
想定外と言う言葉をよく聞かされたが、原発を推進し始めた頃から、事故が起きたら核融合を止める手段が無い事はわかっていた事で、事故が起きたら大変な事になると想定していた人達は原発開発チームから外され、事故は起きないと想定していた人達で原発は推進されてきた。だから想定外の事故として処理しようとしている。なんかずるいよね。全うな科学者は排除され、利権に群がる金と地位と名誉を欲しがる亡者達がのさばってこの国は動かされているんだね。
しゃぁーないか。
今回の事が起こるまでほとんどの国民は快適な生活をおくる為に無駄なエネルギーを浪費して、原発に頼って生きてきたんだから。こんな生意気な事書いてる僕だって、その恩恵を受けて来たんです。
いったい誰が悪いんだと問われたら、30年以上前から原発の事はライブでも言い続けてきましたが、ほとんどの人に理解してもらえなかった、理解してもらえる程の知識と力と影響力を持てなかった非力な自分が悪いんだとしか言えない。

一言のつもりが長くなりました。最後にもう一言。

ここまで書いて来たら、僕の事、反原発論者だと思われてしまうから言わせて下さい。
今現状の原発を動かす事には反対ですが、やっぱ原子力発電はエネルギー効率の高い素晴らしい発明だとおもってます。
ただ、まだ完成されていないんです。
核融合を一瞬にして止める事が出来て初めて完成と呼べるんじゃないでしょうか。今も心ある科学者や一攫千金を狙う科学者が核融合を止める方法を模索しながら考えている事でしょう。僕は科学力を信じます。原子力発電の未来を信じます。

今はもう亡くなった方ですが、アメリカの絵本作家にターシャ・デューダという女性がいました。ガーデニングをこよなく愛し93歳で亡くなるまで独り暮らしを続けた素敵な女性です。何年か前にたまたまテレビを見ていたら、彼女のドキュメンタリーとして2日間に渡って放送され、その自由な生き方と人柄に感銘を受けて見続けてしまったのですが、彼女が料理をするシーンでインタビュアーが「どうしたらこんなに美味しい料理がつくれるんですか。」と尋ねた時、彼女が答えた一言が今も耳を離れません。そしてその言葉は僕の人生訓になっています。ターシャ・デューダのこの言葉をいつも思い出して詩を書き曲をつくり唄います。アルバム「証明…あかし」の中の「忘れないで欲しい」という楽曲はターシャ・デューダに出会う前に作った楽曲ですがターシャ・デューダの言葉につながる思いで書いています、そしてこのブログに書いた事があるミヒャエル・エンデの「モモ」のストーリーに刺激を受けて書いたメッセージロックです。

ターシャ・デューダの言葉です。

「近道を探さない事よ。

もう一度

「近道を探さない事よ。」
明日こそ「大きな愛」について書きます。

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