あまりの体調変化に、ライヴ活動休止宣言したのは、9月1日。
病院が怖い子供みたいな僕の、典子さんに付き添ってもらって脳梗塞を疑っていたので近くの脳外科病院へ出掛けたのが3日。
二軒の病院を回って、脳梗塞では無く、厄介な難病の可能性が高いと、4日、紹介状をもらって近くの総合病院の神経内科へ出かけ、これからどういう治療をしていけばいいのかを探る為に詳しく検査する事になった。
思いもよらない方向に人生の舵がとられてうろたえてばかり。弱気になっちゃいけないと思うだけで、気持ちは消極的な方向にしか向いてなかった。
高橋忠史は今まで、やれる事を着実にこなして来たんじゃなくて、誰もがやろうとしない、出来るわけがないから止めておけと言われるような事をやり遂げて、唄う人生を歩いてきた。何時も自分自身と闘って来た。
24歳でレコードデビューした頃、サイン色紙に書いていた言葉は『挑戦』。いつも挑戦者でありたいと思っていたからだ。
高橋忠史、歩けなくなる事にビビってどうする、どこまで歩けるかはやってみなきゃ分からない。そして、近い未来歩けなくなる事がわかっている今、歩かなきゃどうする。人生に悔いを残して動けなくなるのは情けなさすぎる。
やっぱり東海道を京都から東京まであるきます。人生最後のウォーキングライヴツアーです。
みなさん。途中で倒れるかもしれませんが、最後まで諦めません。助けて下さい。
ライヴ活動休止宣言してからまだ6日しか経っていないのに膨大な時間を過ごしたような気がする。
病院が怖い子供みたいな僕の、典子さんに付き添ってもらって脳梗塞を疑っていたので近くの脳外科病院へ出掛けたのが3日。
二軒の病院を回って、脳梗塞では無く、厄介な難病の可能性が高いと、4日、紹介状をもらって近くの総合病院の神経内科へ出かけ、これからどういう治療をしていけばいいのかを探る為に詳しく検査する事になった。
思いもよらない方向に人生の舵がとられてうろたえてばかり。弱気になっちゃいけないと思うだけで、気持ちは消極的な方向にしか向いてなかった。
高橋忠史は今まで、やれる事を着実にこなして来たんじゃなくて、誰もがやろうとしない、出来るわけがないから止めておけと言われるような事をやり遂げて、唄う人生を歩いてきた。何時も自分自身と闘って来た。
24歳でレコードデビューした頃、サイン色紙に書いていた言葉は『挑戦』。いつも挑戦者でありたいと思っていたからだ。
高橋忠史、歩けなくなる事にビビってどうする、どこまで歩けるかはやってみなきゃ分からない。そして、近い未来歩けなくなる事がわかっている今、歩かなきゃどうする。人生に悔いを残して動けなくなるのは情けなさすぎる。
やっぱり東海道を京都から東京まであるきます。人生最後のウォーキングライヴツアーです。
みなさん。途中で倒れるかもしれませんが、最後まで諦めません。助けて下さい。
ライヴ活動休止宣言してからまだ6日しか経っていないのに膨大な時間を過ごしたような気がする。
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