何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

872日目 終戦記念前夜ライブ

2006年08月15日 14時42分29秒 | Weblog
8月14日

昨夜の午後10時に、大阪の実家に到着した。12日の鹿児島県霧島市の前田市長の自宅ライブを終え、はやと創造舞台の仲間達に先導され鹿児島空港インターに乗ったのは夕方7時だった。

10日11日と暑い鹿児島で車中泊。そして、12日も、高速道路のパーキングで車中泊。「壊れかけたギター」の歌の世界にはまり込んだような毎日が続く。

13日のライブは決まっていない。車を走らせながら考えた。高校時代にラジオ局に出演していた頃のディレクターだった中川さんが岡山県美作市に住んでいる。そこに押し掛けるしかない。電話をしたら、13日は家に居るという。ただ遊びに行くと言って、詳しい説明は抜きにして、とりあえず明日のライブを作って、ひたすら走った。

九州を脱出する直前に疲れ果て眠気に勝てず、パーキングで眠った。すでに日付は13日に変わっていた。
猛烈な暑さの中、全身びしょ濡れになって目を覚ました。すでに陽は高く、時計は7時半を指していた。陽が登って1時間以上たっているだろう。それでも眠って居られるほど疲れ切っているのだ。

重い身体を持て余しながらも、お昼過ぎに約束した岡山県美作市を目指した。
一気に走りきるつもりだったが、無理だった。途中仮眠をとって、中川さんのお宅に3時到着。
静かな別荘地にある中川さんの家の前で車を切り返していると、その音を聞いて中川さんが僕を迎えに出てきてくれた。

ギターを車から取り出した僕を訝しげにみる中川さんに、「歌を聞いてもらいに来ました。」と説明して、案内されるまま、家に上がらせてもらった。
近況報告をして、アルバム「勝坂」から、5曲聞いてもらった。
中川さんから「やっと元にもどったな、安心した。」と言ってもらえた。誉めてはくれない。が、安心したと言う言葉は、人生の、そして考え方の師匠である中川さんが僕にくれた喜ぶべき言葉だ。

中川さんは、高校生の頃の僕が一番良かったと思っている。僕は、一番良かった頃に戻るのに、37年もの年月を掛けた事になる。途方も無い遠回りの人生だ。
だが、後悔することは何もないし、満足の人生だ。全国の沢山の人達が、僕が原点に戻る37年間もの人生を支え続けてて来てくれた。しあわせな男だ。

中川さんのお宅を6時に出で大阪の実家に10時到着。体中が、鉛のように重い。腰から背中にかけて鈍痛が走っていた。

おふくろと妹と語って2時に部屋に入ったとたん、布団に倒れこんだそのまま眠ってしまった。

朝11時過ぎに起こされた。取引先の病院に荷物を運ぶ日だ。疲れは増していたが、妹を手伝う為に、頑張って起きだし、荷物を積んで病院へ。その後買い物を付き合って、気温35度の暑い中家に戻った。身体のだるさ痛さはますます激しくなっていた。
家にもどって部屋に着いたとたんまた布団に倒れこみ6時まで眠った。疲れはとれるどころか、ますますひどくなっていた。

今夜のライブはこの実家で、終戦記念日前夜と言う事もあって、「さとうきび畑」を唄った。おふくろもいっしょに唄っていてくれた。そして今夜も倒れこむように布団に潜り込んだ。

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