何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

今日も歩いたぞ。

2015年09月30日 20時18分53秒 | Weblog
市役所に行ってきた。
もちろん、歩行困難な身体に鞭打って。

神社までの距離の3倍だ。以前のように休まず一気には行けない。
でも時間はかかっても、休み休みゆっくりならまだまだ歩ける。


難病の特定医療費受給者証の来年度の申請をする書類が東京都から届いた。
えー!。
治らないとわかっている病気なのに、毎年申請しなきゃいけないってどういう事?。
申請の為の書類をそろえるのに、病人が必要以上に体力を使い、全部の書類をそろえるのに、約一万円ものお金がかかる。
何かおかしい。
身体が動かず、サポートする人もいない人、そして診断書などの簡単に書き込むだけの書類だが五千円以上もかかる、そのお金が無かったら受給者証をもらえ無い事になる。
ひょっとしたら、上記のような状況で難病だけでなく、いろんな分野で助けを求めたくても申請する手段が肉体的にも金銭的にも欠落して、保護されなくて死んでいってる人が結構いるのかも知れない。
ニュースにはならないが沢山いるような気がする。
実際僕も、去年病気がわかって申請する書類をそろえる為に何度も足立区まで出掛ける、その電車賃もきびしい状態で病院で診断書にかかるお金が捻出出来るかどうかわからなかった。
アパートのおやじ会議のメンバーに無理やりCDを買ってもらってギリギリ申請する事ができ、障害者の認定もされた。
わずか、五千円のお金が無かった。
もしおやじ会議のメンバーと出会ってなかったら、その時五千円を用意できていなかったら、今僕は生きていなかったかもしれません。
社会的弱者になってはじめて見えてくるものが沢山あります。
本当に保護しなきゃいけないのは、申請出来る体力もお金も助けてくれる仲間も無い人なんじゃないかな。
どうしたらいいんでしょうね。

もっともっと強くならなくちゃ!。