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「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

病める日本(Ⅲ)─ナチス中国の対日侵攻戦第一段階としてのメディア支配─

2009年02月03日 | 市民のメディアリテラシーのために
1.進行するナチス中国の対日侵略準備計画
 ナチス中国が来るべき第三次大戦に備えて戦争準備を進めているという想定可能なシナリオを考えたとき、その準備段階で侵攻予定地域に各種の謀略工作を行うことは当然予想される。今のところ第一列島線がその侵攻予定地域であり、フィリピン、台湾、日本そして、朝鮮半島がその最危険地域である。
 中国は孫子の兵法を軍事戦略のグランドデザイン(戦術戦略ドクトリン)に使っていると見られるため(注:参照ナチス中国人民解放軍の研究Ⅱ─中国人民解放軍の基本戦術─)、まず、直接武力を使う前に謀略で相手を倒すか衰弱させるように努力している形跡がある。謀略の典型は、呉越の戦いで有名な范蠡などの策が手本と見られる(注:結局、伍子胥・孫武らの補佐を受けて強勢を誇っていた呉王闔閭を倒したのは范蠡であり、最終的に呉を滅ぼしたのも范蠡だった。戦略の全体的デザインにおいては孫子より一枚上手だったと言える)。
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范蠡 
越の謀臣
范蠡がどこで生まれたか、どういう経緯で越に仕えるようになったのか、どちらも良く分からない。
隣国の呉王闔閭は伍子胥・孫武らの補佐を受けて強勢を誇っていた。越王勾践は范蠡の補佐で国力を伸ばしていたが、闔閭は出る杭を先んじて叩いてしまおうと越に攻め込んできた。范蠡はこれに対して奇計を持って迎えた。その奇計と言うのは決死隊(左伝では罪人。こちらが正確か)を集めて敵の目の前まで行かせてそこで自ら首をはねさせると言う物で、呉軍が仰天している隙を付いて越軍は呉軍を撃破した。この時の傷が元で闔閭は死に、子の夫差が立った。
夫差は伍子胥の補佐を受け、越への復讐(臥薪)を狙い、それを知った勾践は今のうちにと呉を叩こうと出兵しようとしたが、范蠡はこれを諌めた。しかし勾践は聴かずに出兵し、大敗してしまった。勾践は夫差に対し平身低頭で命乞いをし、更に家臣の中の文種は夫差の側近伯嚭(嚭は喜否)に賄賂を贈って夫差に勾践を助けるように吹き込んだ。この時に伍子胥は勾践を殺す事を強弁したが、夫差はこれを取り上げず、勾践を解放し夫差の馬役人にさせた(嘗胆)。
呉を滅ぼす
国に戻った勾践は国政を范蠡に任せようとするが、范蠡は「軍事なら種(文種)は臣に及びませんが、政治にかけては臣は種に及びません。」と応え、文種を推薦した。勾践は范蠡・文種の補佐を受け、復讐を狙っていたが、表面的には夫差に対し従順な姿勢を見せて、夫差を油断させた。更に范蠡は伯嚭に賄賂を送り、伍子胥の悪口を夫差に吹き込ませて離間を狙った。思惑通り、伍子胥は夫差に誅殺され、夫差を止める者はいなくなった。夫差は調子に乗って北へ出兵して天下の事を争おうとし、越の事など気に止めなくなった。
夫差は呉軍の大半を率いて北の会盟に出かけて、国許を守るのは太子・友とごく僅かの兵になった。勾践はその隙を衝こうとして、范蠡に訊ねた。范蠡は 「よいでしょう」 とこたえた。そこで越は大軍を発し、一気に呉を襲い、太子を殺して呉を占領した。夫差は慌てて引き返してきた。勾践は、 「まだ呉の全土を占領するには力が不足している」 と判断し、一旦和睦した。その後も夫差は無理に北へ出兵して国力を消耗した。四年後、越は呉に決戦を挑み、遂に夫差を姑蘇山に追い詰め、夫差は自殺した。
引退
悲願が達成されて有頂天になる勾践を見て、范蠡は密かに越を脱出した。范蠡は文種への手紙の中で「私は『飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる』(飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われ、狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまう)と聞いています。越王の容貌は長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)です。こういう人相の人は苦難を共にできても、歓楽はともにできないのです。どうして貴方は越から逃げ出さないのですか。」と述べた。そこで文種は災いを避けるため病と称して出仕しなくなったが、文種に謀反の疑いありと讒言する者が現われた。勾践は文種に剣を贈り、「先生は私に呉を倒す7つの秘策があると教えて下さいました。私はそのうちの3つを使って呉を滅ぼしました。残り4つは先生のところにあります。私のために先生は亡くなった父王のもとでその秘策をお試し下さい。」と伝えた。文種は遂に自殺した。
伝説
范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。 斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている。
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 以上の一般に知られている記述を読んでみると范蠡はまず非常に情報収集と分析に優れた人物だったようだ。それは強精な呉との戦いを終始有利に進めたことから分かる。
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范蠡はこれに対して奇計を持って迎えた。その奇計と言うのは決死隊(左伝では罪人。こちらが正確か)を集めて敵の目の前まで行かせてそこで自ら首をはねさせると言う物で、呉軍が仰天している隙を付いて越軍は呉軍を撃破した。この時の傷が元で闔閭は死に、子の夫差が立った。
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 まず、精強な呉軍に勝つために「奇計」を用いたと言うが、孫子などの軍略や軍の様子を十分知った上でその裏を掻いて、戦場の耳目を「决死隊」に集めさて呉軍にすきを作らせた。相手の実力をよく知っていたからこそそうした作戦ができたわけである。そして闔閭が死にいたる傷を負っているように、主目標は全軍殲滅ではなく、敵の本隊を奇襲したようである。日本で言えば、信長の桶狹間の戦いであろう。現代の言い方をすれば、主目的を敵の目から隠した陽動奇襲作戦と言えよう。
「敵を知り己を知らば」の孫子の戦略を忠実に守っている。次の場合も同じである。
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夫差は調子に乗って北へ出兵して天下の事を争おうとし、越の事など気に止めなくなった。
夫差は呉軍の大半を率いて北の会盟に出かけて、国許を守るのは太子・友とごく僅かの兵になった。勾践はその隙を衝こうとして、范蠡に訊ねた。范蠡は 「よいでしょう」 とこたえた。そこで越は大軍を発し、一気に呉を襲い、太子を殺して呉を占領した。夫差は慌てて引き返してきた。勾践は、 「まだ呉の全土を占領するには力が不足している」 と判断し、一旦和睦した。その後も夫差は無理に北へ出兵して国力を消耗した。四年後、越は呉に決戦を挑み、遂に夫差を姑蘇山に追い詰め、夫差は自殺した。
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 夫差の関心を北方に集めておいて、勢力を消耗させ本国を叩くというのも同じ発想と言えよう。情報文化工作も巧みである。
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范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。
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 ナチス中国の場合は、『NHK』のシルクロードなどの中国系ドキュメンタリー番組や『朝日』『日経』の「発展する中国」経済ニュースなどが、さしずめ「絶世の美女施夷光(西施(せいし))」であろう(注:本ブログの記事を参照いただきたい)。もちろん死んだ橋本の愛人の公安女スパイなども同じであり、日本の外交官や自衛隊員がいとも容易にはまってしまう「ハニートラップ」の発明者でもあった。孔子学園や留学生斡旋など日本の大学への浸透工作も同じである。
 しかし、最も恐ろしいのは、権力者への贈賄と離間策である。
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范蠡は伯嚭に賄賂を送り、伍子胥の悪口を夫差に吹き込ませて離間を狙った。思惑通り、伍子胥は夫差に誅殺され、夫差を止める者はいなくなった。
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 小泉内閣から麻生内閣までナチス中国と密接な関係にある『朝日』『NHK』などがずっと行っている反政府キャンペーンは「伍子胥の悪口を夫差に吹き込ませて」いるのと同じである(注:平成中野学校さん:【麻生支持率】マスメディアの偏向調査との差 )。傍観者にはお分かりにはならないだろうが、伯嚭は『朝日』『NHK』などのメディアあるいは本多勝一などの工作員や田中真紀子などの中国系国会議員であり、伍子胥は小泉元首相を始めとする自民党民主党の改革派・対米協調派である。そして最終的に范蠡の謀略を見抜けず国を滅ぼした夫差は、実は日本国民なのだ。今の日本国民の多くは、「范蠡は伯嚭に賄賂を送り、伍子胥の悪口を夫差に吹き込ませて離間を狙った」ナチス中国の対日謀略戦略にまったく気が付いていない。こうした謀略でナチス中国は天下の覇者として会稽の恥をそそぎ「日本国民」を滅ぼそうとしているのである。
 ナチス中国がこうした戦略デザインによって、さまざまな対日謀略活動を行っている形跡は明かである。
 まず昨年のオリンピックの聖火リレーで起こった中国の対日工作の一部はこのブログでもご紹介した。
 【臨時開館】怒張する中国国粋主義(2)─腐臭を放つ反日愛国主義の怒濤─
 長野での聖火リレーから浮かぶ在日中華人民共和国人は在日工作員と日本人シンパによって組織化され、地下武装組織として機能しうるレベルにまで連絡網が作られている様子が窺える。中国は長野での反中デモを、「在日中国人」への武装攻撃だと宣伝して、いわば”対日十字軍”結成の名目にしようとしていた疑いが濃厚である。しかし、警備を徹底した日本政府の的確な対応で、日本人抗議人士と中国人武装工作員との武力衝突は起こらなかった。また、いわば「和」の思想を前提にした日本の本当に人権意識の高い(中国人・韓国人などにのみ人権を認める似権派とは異なる)市民は本質的に平和的であり、ナチス中国の品性下劣な挑発を巧みに避けることができたと言える。
 また、日本にあるナチス中国系の組織やメディアの支社が対日諜報の基地になっていると推測される様子について
  中国・朝鮮化される日本(前篇)─中国在日工作機関が疑われる機関─
  中国・朝鮮化される日本(前篇)─補足:中国系新聞社の位置と疑わしい組織─
  中国・朝鮮化される日本(中篇)─中国在日工作機関が疑われる中国関係経済団体1─
  中国・朝鮮化される日本(中篇)─中国在日工作機関が疑われる中国関係経済団体2─
 でお伝えしたことがある。入手した資料は10年前のものなので今はさらに工作拠点が拡大していると見た方がよい。

2.中国が狙う次の工作目標は?
 さて、2008年12月に自民党・山崎派の野田毅の手引きにより、日本にとうとう中国情報機関『人民日報』社が設立されることになった。
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人民网走出跨越“国门”第一步
人民網東京12月16日電 人民網日本株式會社日前在日本東京正式成立,成為中國國家重點網站中第一個走出國門的網路公司。
 人民網日本株式會社旗下運營人民網日文網站(http://j.people.com.cn/)及人民網日本頻道(http://japan.people.com.cn/)。日文網站致力於通過日文向日本公眾報導中國發生的新聞,將在日本完全實現本土化,新聞採編中心及技術中心都將從中國北京逐步遷移到日本東京。日本頻道致力於向中國公眾介紹日本、報導日本,是中國國內目前唯一專門以日本和中日關係為報導物件的新聞網站。
 未來幾年內,人民網日本株式會社將在手機網站、廣告、經貿文化交流活動、會展和出版發行等方面廣泛開展合作,充分發揮互聯網媒體大容量、交互性、速度快等特點,突出高端性、評論性、國際化、服務性四個亮點,建成一個網上網下及手機等多種媒體互為補充、權威介紹中日關係和兩國經濟文化、推動中日兩國友好交流與互利合作的綜合性平臺。
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 記事の本文はカムフラージュに過ぎない。本当の目的は何であろうか?
(1)対日文化工作の強化(夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。)
 会社設立の形で、ナチス中国の公安職員や軍諜報員を大量に日本へ派遣し、情報文化工作を「新聞記者」と称して公然と行う道が開かれたことになる。「日本頻道致力於向中國公眾介紹日本、報導日本,是中國國內目前唯一專門以日本和中日關係為報導物件的新聞網站。(日本チャンネルは中国の大衆に日本を紹介し、日本を報道することに務める、中国国内では唯一の日本と中日関係を報道物の中心にしたニュースサイトである)」というのは、聞こえはよいが、中国共産党中央委員会機関誌という性格上、日本関係の情報を統制してコントロールする役割を負っていることは明かである。当然、日本に入る中国情報にも目を光らせることになるだろう。
 『人民日報』はこんな報道をしている。
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日本の大リストラ 「派遣村」と麻生氏の運命 (3)毎年4月1日に日本の新たな財政年度がスタートする。20%以下に落ちた支持率を前に麻生氏に退く道はない。共同通信社の言葉を借りるなら、「麻生太郎はすでに絶体絶命のピンチに立たされている」。麻生氏は新たな財政年度が始まる3月に議会を解散して再選挙を行うしかないと見る人が多い。しかし麻生氏はきっぱりと「首相のポストは放棄しない」「当面の急務は混乱の中にある経済を救うことだ」と発言。自民党の細田博之幹事長も麻生氏を支持し「経済景気対策が軌道に乗れば支持率も回復する。すでに谷底に落ちたから今後(支持率は)必ず上昇する」と話す。(編集KA)
 「人民網日本語版」2009年1月24日
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 共同通信を根拠にしていることからも分かるように、メディアが作った支持率によって麻生氏を引き下ろすための言論を弄しているのは明かである。ナチス中国の意向がそこには如実に反映している。
 現在のページには一見すると反日記事は出していないようだが、実は以前の反日特集がそのまま残っている。
 googleで「人民網日本語版」の「慰安婦」を検索すると229ヒットあり、以前の特集ページがそのまま残っている(人民網の検索では8ヒットしかなく、明らかに内部が漏れないように操作をしている)。
 慰安婦問題
 これを見ると『人民日報』が対日謀略の中心の一つであることが分かる。
 また、以下のような記事もある。
 韓国大統領 天皇はドイツ元首相を見習い謝罪すべき
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台湾、慰安婦で日本に謝罪と賠償を要求
台湾「立法院」は11日、日本政府に対し「戦時中の日本軍の性奴隷制度への歴史的責任を、明確かつ曖昧でない態度で、公式に認め、謝罪し、かつ受け入れ」、被害者に直接の謝罪と賠償を行うことで、その名誉と尊厳を早期に回復するよう求める決議案を採択した。同決議案は、今日に至るまで未解決の慰安婦問題を直視し、立法手続を済ませ、被害者に直接賠償するよう日本政府に要求すべきとしている。台湾メディアが報じた。(編集NA)
 「人民網日本語版」2008年11月12日
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 韓国人と馬英九政権がナチス中国と同調することを示すよい証拠とも言える。
 話題が逸れるが、台湾の民主化のためには、馬一派を倒す必要がある。しかし、前総統陳一族のために台湾の民主化運動は崩壊の危機に立たされている。台湾の中間市民は陳一族のおそらく1000億円を超えると見られる裏金隱匿の横暴非道を許さず、かといって独立派は明確に陳一族の非を認めないために反対勢力は結集できないのである。選挙民の過半を占める中間派は次の指導者を待望しているが、陳一族を切れない独立派も民進党も有力な後継候補を出せないでいる。今一番好いのは、日本が馬英九政権を兵糧攻めにすることである。日本への依存度が高い電子、機械などのハイテク技術の移転を法の厳格な適用で制限したり(COCOM地域と同じ扱いをするなど、あるいは台湾PCに著作権訴訟をする)、日本の台湾への観光客渡航が中国大陸への旅行と衝突するようにしむければよい(例:中国で鳥インフルエンザなどの伝染病が病気が流行した場合台湾も中国の一部として渡航を禁止する、著作権違反の摘発を台湾にも徹底して行うなど)。日本政府が進んで「馬英九政権は中華人民共和国政府の一部であり、馬政権とは今後は中国政府を通して交流する。台湾の代表機関は別にこれを認める」というそぶりを示すのもいいかもしれない。台湾と中国の利害が一致しない点は多く、国民の支持を失った馬政権の対応は捻れ急速に指導力を失うだろう。
(2)政府と国民を離間させる(范蠡は伯嚭に賄賂を送り、伍子胥の悪口を夫差に吹き込ませて離間を狙った)
 現状から見て、ナチス中国は、より一層の離間策強化を必要としている。
 野田毅あるいは民主党のような、事実上の”中国人政治家”をさらに増やす必要がある(注:民主党については本ブログの記事を参照)。
 同時に、越を疑い始めた夫差の目(日本国民の対中感情悪化)をさらにくらませる必要がある。ナチス中国の軍国主義を代表する『人民日報』は、対日工作の不成功に苛立っている。昨年の対中友好度の低下に危機感を持っている。以下のような一連の記事はその危機感を好く伝えている。
 日本教授回应国人对中国没好感:中日误解成见太深
 华报解析:66%日本人对中国无好感的深层原因
 戦力で劣るナチス中国が日本を滅ぼすには、敵を油断させて軍備を踈かにさせ、さらに、敵軍を外に連れ出し本国を空にさせるのが最上の策である。『朝日新聞』や『NHK』などの”西施”がすでに寵愛を失いつつあるとすれば、別な”西施”を愚かな日本国民に与え、政府と国民を離間させる必要がある。
 『人民日報』日本法人の隠れた意図を解放軍が使っている孫子の兵法にちなんで范蠡の故事でシナリオ化してみると、こんなところだろう。

3.いかに中国に対するべきか
 ナチス中国に日本市民が対抗するには、「柔よく剛を制す」を基本とするべきであろう。「和」の精神を第一とし、ナチス中国と直接の争いをしないことをまず考えるべきだ。争いとは、暴力の行使であり、それを避けることである。簡単なのは、ナチス中国を相手にして憤り非難するのではなく、自分の国土でできる言論と生活の闘いをするということである。たとえば、
(1)今ある国内法を厳格にすべての外国人にもナチス中国のシンパ・解放同盟や在日朝鮮人にも適用する。されていないときはまず地方自治体と議会にそれを求める。
(2)親中国派の政治家を選挙で排除し、親中派メディアを利用しない。そうした情報を多くの人に流す。
(3)中国・韓国製品をできる限り排除する。企業にそれを求める。値段で買い物をせず、必要で買う。高くても長持ちする日本製品か欧米製品を使い、業者にもそれを求める。
(4)麻生政権に必要な情報をメールで提供する。
 ナチス中国は海外侵略の準備を着々と進めている。強襲上陸に欠かせない病院船もすでに建造、就役した。
 無恥日本媒體稱︰中國造新型醫療船意在島嶼攻擊戰 (2009-02-02 00:08:36)
 危機が迫る中、日本にも范蠡がいることを私は願う。


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