TOTO

お気楽主婦のお気楽な日記

「おかず」

2009-07-22 10:05:38 | 木村っち
毎日新聞7月16日17日の夕刊に連続して気になる記事あり。

16日のは特集ワイドとして「名脇役の魅力とは」として
徳平こと笹野高史さんのインタビューが掲載された。

主役をご飯に、脇役をおかずに例えて、

「ご飯だけじゃ食べられない。
 おかずだけじゃおなかいっぱいにならない。
 両方なきゃいけない」

その“おかず”として、

「演じることが見えないように、
 練り上げたにおいだけを届けるようなのが理想です」

と笹野さんは答えている。

このインタビューには山田監督も言葉を寄せていて、
監督の求める演技とは、を語っている。

「ちゃんとした芝居をしてきた人は『おれがおれであること』が大切だとわかっている」

記者はこれを“自然体”ということだと捉えている。
木村っちの「道徳の授業を受けているようだった」という感想と同じく、
この記者も「脇役論を超え、人生訓をうかがっているような気がしてきた」という。
同じような感想なのが面白い。

「そこにいるだけで何もしない。
 そうやって役が演じられれば最高です」

笹野さんの脇役論も難解だ。



何もしない演技…それと通じるような言葉が翌日17日の夕刊に載っていた。
毎日新聞専門編集委員の近藤氏の「幸せのトンボ」というコラム。
「死ぬ演技」というタイトルがついていた。

俳優の演技論について書かれているのだが、
緒形拳さんの言葉を取り上げている。

「演技って演技しないってことなんですよね」

笹野さんと通じるところがある。

筆者によると、

「演技の上手な人に共通しているのは演技しているところを見せないところ。
 反対に下手な人は演じているところを見せることだろう。
 抑制に対し過剰という違いがある」

ん~?
木村っちは貶しとして「いつでもキム○ク」ってのがある。
それは演技していない、そのまんまだってこと?
どれが木村っちの“そのまんま”だって言い切れるのかと問いたくはあるが、
それって演技していないってことだよね。
だからして、アンチのワンパターン貶しは褒め言葉なんだ。
笹野さんのインタと近藤氏のコラムを読んで、
つくづく再確認してしまった。

木村っちは「『おれがおれであること』が大切だとわかっている」と思うのだ。



木村っちは、“ご飯”にも“おかず”にもなれると思うのだ。
濃い~味付けにも、上品なお出しの効いた薄味にもなれる。
食事にもひとそれぞれ好みがあるわけだから、
当然好き嫌いもあるわけで…。
でも、「はい、どうぞ。めしあがれ」と言われる前に
「そんなのは食べたくない!」って拒否したくないし、文句たれたくないのだ。
せっかく食べてくださいってだされたお膳なら、
ちゃんと「いただきます」って言いたいんだよね。

挑戦を重ねる木村っちが誇りでもありますの。

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