TOTO

お気楽主婦のお気楽な日記

Shitao…『ICWR』あれこれ妄想

2009-06-19 14:18:50 | ドラマ・映画
「シタオって変な名前(笑)下男?もっとマシな名前にしたらいいのに」

ってな会話を映画館で聞いた。
日本人って設定だと思ってらっしゃる?
清朝きっての傑出した画家である石濤(せきとう、Shitao)からのネーミングだと思うのだけど…。
Shitaoで検索すると、この画家が出てきます。
彼の作品はかな~り高価だそうですわ。

Shitaoは中国系アメリカ人。(だと思う…華僑かな?)
Shitao Chenがフルネーム。
父親は一代で財を築いた製薬会社のトップ。
現在はLAにて隠遁生活を送る。
厭世的で病的な潔癖症のために、息子と触れ合わない。
Shitaoは東部の名門イエール大学を卒業。(ランキング世界第三位)
だからして、頭脳明晰な秀才。
その彼が突然、フィリピン・ミンダナオ島で孤児院を始めた。
何がきっかけになったのだろう?
Shitaoが叫ぶ「Father」
キリスト教の“父”と父親のダブルミーニングなのだろう。
Shitaoというキャラクターにおいて、父との関係性は大きいと思われる。

カメラを通してしか息子と会わない父親。
その父をShitaoは憎んでいたのか?
愛憎が入り混じってはいるが、切り捨ててはいないと思う。
まるで父と息子が相互依存の状態であるのかな?
それぞれが不器用で意思の疎通が上手く言っていない親子。
お互いが気になるのだけど、ストレートじゃない。

父親に送金してもらったお金で孤児院をまかなうShitao。
父親は探偵を使って調べてから送金する。
(1回目はすぐに、2回目から探偵を派遣だっけ?)
そして、3回目はなく、連絡は途切れた。
Shitaoは地元の有力者に寄付を募りに行って、
そのしつこさゆえにか、殺されたからね。
どうして突然に寄付を募りに行ったんだろ?
パパは大富豪だから、1回1万ドルなんて、
しかも慈善活動になら、もっと高額でもだしてくれたろうし、
孤児院の経営なんて負担にもならなかったろうに。
その前に3日間部屋に閉じこもりきりだったShitao。
その時に神の啓示でもあった?…んじゃないように思う。
父親に依存して救済活動をする自分が嫌になったのかしら?

勝手な妄想だけど…
Shitaoの母親は彼の幼いときに死んでいて、父親の手で育てられた。
父親が冨を得てからは使用人たちに育てられたのかもしれない。
Shitaoが15歳からカメラ越しにしか父親と対面していないのだっけ?
欧米のお金持ちは全寮制の学校に子弟を入れる。
彼もそうだったのかもしれない。
Shitaoは自分が捨てられた息子…のような感覚を持っていたのではないか?
子どもにとっては親は拠り所であり、それは聖域のようなもの。
それから切り離された子であるShitao。
自分が捨てられた子であるからこそ、
自分と同じ境遇である子ども達の世話をしたかったのか?
しかし、自分が捨てられたと感じている子はおしなべて自己評価が低い。
アイデンティティが確立できないことが多い。
自分が何かの役に立っている=存在意義があることを必死で立証しようとする。
奇跡の力を得たShitaoが激痛に耐え、
自分で枝を噛み締めて叫びを殺してでも
癒しを続けようとしたのは、
ここに理由があるのかもしれない。
父親に捨てられた自分が、多くの人々に求められている。
そこに救いを求めたのかも?

だから、暴力的に生と死をくりかえさせられることにも受身なのか?
これまでは父親の愛を請いながらも、声にだして叫ぶことはできなかった。
父親は不器用ながらも息子を心配し、愛してはいるようなのに。
そんなShitaoが十字架にかけられて叫ぶ「Father」は、
やっと声に出せた父親への思いなのかもしれない。






毎日新聞のユン監督インタビューより。

 クラインは猟奇的芸術家を殺した記憶に心を乱される。
「精神的に病んでいることが彼自身の肉体の痛みとなり、もがき苦しむ」

 ス・ドンポはシタオを痛めつけながら涙を流す。
「矛盾しているようだが、相手の痛みを感じることで、自分が解放されていく」

 シタオは現代のキリストとして描かれる。
「他人の痛みをすべて吸収してしまう。痛みの象徴だ」

監督によれば、作品で描きたかったのは「苦痛で壊されていく肉体」なのだとか。


う~ん。壊されている肉体って…?
それから連想するのはベーコン風のオブジェなんですけど。

「キリスト教の図像学や美術への関心からスタートした」んだとか…。

12年前から脚本を書き始めて、40回以上の書き直しをして仕上げたらしい。
が、ジョシュ君達によると、その脚本も現場で変わっていったらしいっすね。

痛みの象徴のShitao。
痛みはいつかは癒される…のを信じたい。


つくづく…妄想しがいのある映画ですわ♪



ハスフォード…『ICWR』あれこれ…

2009-06-19 11:44:56 | ドラマ・映画
「でも私が描くものは今の世界の恐怖にはかなわないよ。
 新聞やテレビをごらん。世界で何が起こっているか。
 それに肩を並べるものは描けない。
 僕はただそのイメージを描いた、恐怖を再現しようとしたんだ。」

上記はフランシス・ベーコンの言葉。

ハスフォードの人体オブジェはフランシスコ・ベーコン作品と重なる。
ジョシュ君も監督から画家ベーコンの絵を見せられて、
「こんな風にやってくれ」
と、言われたそうだし。

映画の冒頭から登場するハスフォード。
ただクラインのトラウマの原因だというだけでなく、
彼が『ICWR』のメインテーマに重要な関連を持っているのかもしれない。
『ICWR』を考察する上で(エラそうだ)、
ベーコンというのは鍵になるのかもしれない。
なんて書いてますが、
妄想過多の勝手な作品感想ですので



ベーコンの生涯については映画化されている。
『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像 』(1998年 / イギリス )
私は知らなかったのだけど、
なんとかの007のダニエル・クレイグがベーコンの愛人役で、
かな~り強烈なベッドシーンや全裸ショットもあるらしい。
内容も難解で、かなりの単館系映画ファンでないと受け付けられないとか…。

ベーコンの作品は激しくデフォルメされて、ゆがめられている。
大きな口を開けて叫ぶ奇怪な人間像(これが映画で一番目立っていた?)が有名で
それは人間存在の根本にある不安を描き出したものと言われている。
物語性を否定し、そこからの解釈を拒否していた。
作品から物語を受け取るのではなく、
ある意味のショック=感情を持たせたかった。

その恐怖とは?
殺戮や戦争といった暴力的なものだけではない。
血や内臓によって表されるようなものは表面的な恐怖。
その恐怖を再現することによって喚起されるはずの感情。
それの欠如こそがベーコンの本当の恐怖だったのではないかとする批評家もいる。
「人間が心を喪失してしまったかのように見えること」こそが本当の恐怖。

私達はテレビなどのを通してさまざまな悲劇を目撃するが、
経験するわけではない。
あくまで傍観者である。
その事件映像を固唾を呑んで見るが、それにある種の物語性を求める。
物語=ドラマや映画と同一視する。
悲劇や恐怖さえも消費してしまい、やがてはそれに慣れさえ感じてしまう。
ベーコンにとっては、それこそが恐怖であったのかもしれない。
それへの警鐘として、神経を刺激するような暴力的な作品を生み出したのか?

暴力とは?
肉体的なもの、精神的なもの…
生そのものが暴力性を孕むという説もある。
自分の意思なくして“暴力的に”母という他者によって産み出される生。
芥川龍之介の『河童』という小説を思い出した。
河童の世界ではお産のさいに、胎児に尋ねる。
「生まれてきたいか~?」と。
「嫌だ」といった胎児は生まれることを強要されることはない。
自分の意思で生まれないことを選べるし、また生まれることもできる。
人間は宿命的にあらゆる種の暴力と対峙することを強要させられる。
(Shitaoはいわば強制的に生き返えされた。
 何らかの意思によって(?)暴力的に再生させられたのだね。
 これもある種の暴力か…)
それに対して、慣れからか刺激を受けることなく静かに受け入れ、
心を閉ざしていく。
それこそが“恐怖”なのかもしれない。

ベーコン作品のオブジェを作ったハスフォードは“恐怖”を表現したかったのか?
「人の世の苦しみは驚くほどだ」
「苦しみこそが美しく、人の痛みこそがイエスの苦悩を完成させる」
あの猟奇的な人肉オブジェは彼の啓発を目的とした芸術作品?
あの叫び声が聞こえそうな歪められた口のオブジェ。
人々に痛みを叫んでいるのか?
この暴力を見ろ、と。
見て、感じろ、と。


ハスフォードはただの悪ではなく、狂信者。
恐怖を表現し続けることに疲れて、
クラインの手で死にたかったのかもしれない。
そして、同化していたクラインもその暗闇に引きずりこまれた。
ハスフォードを継ぐものとして…。
だからして、刻印として噛み付いたのかしら?
(あのシーンはエロティック)

『ICWR』での恐怖=悪は、暴力に不感症になっているDogpoだと思える。
Dogpoにはハスフォードのオブジェは何も伝わらないだろう。
チラッと横目で見ただけでスルーするのではないか。
彼は自分は地獄を見てきたって思っているのだから。
心を喪失してしまったかのように見える彼。
本当の恐怖にとりつかれた存在なのかもしれない。
それもShitaoとの邂逅によって、
彼から赦されたことによって、
何も感じない恐怖から開放された…と、思いたいが。
(感じ始めたことで新たな苦しみは生まれるだろうが、
 それと戦うのは自分自身。無知、無感覚よりは未来はあるはず)



恐怖といえば…一番怖いのは“大衆”なのかも…。
人間のエゴが集団になった時が一番怖いのかもしれない。
Shitaoの癒しを受けようと彼を取り囲む人々。
息子の傷を治すためにShitaoの元へ行き、
彼が血まみれで苦しもうと、声はかけるが、
我が子を抱いて逃げるように去っていく。
奇跡への恐怖も若干あるだろうが、やっぱり我が子大事。
自分が癒されるためなら、Shitaoが痛みに絶叫しようとかまわない。
彼は救世主として力を授けられている=我々を癒すのは彼の義務だ、とでも思うのか?
エゴは恐怖。
それが集団になった時…まるでゾンビが肉を求めて彷徨うようなシーンだった。
(もしかして、監督の意図?)
キリストの再来云々と金色のペンキを振りまいていた兄ちゃん。
彼が集団をアジって、Shitaoを教祖に祭り上げようとすれば?
Shitaoは生き地獄だろうな…。
痛みを引き受け続けなくてはならないからではなく、
精神的に地獄をみると思う。
要求され、搾取され、自分は癒されることはない。
一人を癒そうと、次の苦痛と向き合わなければならない。
Dogpoが主張する地獄なんて生ぬるい無間地獄。
シュシュポスの神話みたいだ。

Shitaoは悟りを開いているわけではなく、
癒しの能力があるから、癒しているだけなんだから。
自分の力にとまどっているし、生きていくことに受動的でしかいられない。
だって、自分でもわけがわからないまま生きかえってしまったんだもん。
神の啓示を受けたわけじゃないだろうし。
暴力的に救済者として生きることを強制されているShitao。

神…Father…

Shitaoはクリスチャン?


おばかちゃんの私は只今図書館で『おとなと子どものための聖書物語』(フレーベル館)を借りております。
わははっ…イラストがいっぱいでわかりやすいの。
何にでも感化されて、その関連本を読み漁る私。単純ですな。
フランシス・ベーコンの伝記とかは探してもなかった。
だからネットでの情報収集だけっす。
さすがに買うのは…お高くて手が出ない。
画家のフランシス・ベーコンは同名の哲学者の子孫にあたるそうですね。
「1へ~」です。