Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

年末年始も、休む暇なし

2015-12-29 | Weblog

最近、父の譫妄(せんもう)がひどい。
あまりにも妄想がひどいので認知症かと思ってテストを往診の医師に頼んだが、結果は割と大丈夫。
年齢なりの多少の劣化は見られるものの、明らかな認知症というほどのものではない。

認知症というものは一日中、常時、記憶や言動におかしいところがある場合を言う。
一方、譫妄というのは薬物の副作用やら、なんらかのきっかけとなる出来事があって一時期的に意識障害を起こして言動や行動に異常がみられるものを言うらしい。

どうやら、父は「せん妄」のようである。

12月に入ったくらいから日々、おかしな言動が増えてきた。
しかも、不思議なことにこれは外部の人が来ている時には「決して」現れない。
アテクシといる時だけに出てくるのである。

夜間せん妄というものはあるそうだが、父の場合、昼夜問わずである。
医師に「せん妄のきっかけとなるものを観察しておいてください」と言われるが、別段ないのよ。
日々寝ているだけだし。

ただ、外部の「音」はきっかけになるようだ。
なんらかの音が外部ですると、それが自分になにがしかの不利益をもたらすものとして、強盗やら配管工事やらと色々と妄想するらしい。

あと、脱水症状を起こしている時や膀胱に小水が溜まったなどの場合でも起こるそうである。
なにやら、理屈が分からんな。

しかも、中途半端に動けるものだから、30分おきくらいに私の部屋に来て、意味不明のことをつぶやくのである。
アテクシは疲れているから、寝ていたいのである。
あるいは夕方ひと段落した後、疲労のために軽い昼寝をしている。
そうしないと日がな一日働いているから、身体がもたないのである。

その貴重な睡眠の最中、わざわざ呼びに来て、妄想の相手をさせられる。
もう、ほんとに「うんざり」である。
「死んでくれ」としか、思えない

自分が物理的に何事もできなくなっているのに、悪いことは「すべて他人のせい」という素晴らしいご都合主義。
衣食住、すべて世話になっておきながら、よくそれだけの憎まれ口が叩けるものだと感心する。


本日は、訪問入浴の年内最終日であった。
お互い「良いお年を」と言って別れる。

良いお年を、というのはいい言葉であるな。

アテクシにとって「良い年」というのは、父のことに「片がつく」ことである。
正直、待ち遠しいと言わざるを得ない。


皆さま、どうぞ良いお年を!

来年はせめて少し、楽になりたい…ョ。