Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

耳に心地良く

2005-07-17 | Weblog
一昔、弐昔前は懐かしい。
色鮮やかに想像できるほどに身近で、それでいて冷静に眺めることが出来るほどの距離がある。
そう、それは自分の幼い頃の思い出に似ている。
喜びも、哀しみも。
どこかセンチメンタルで、十分に甘やかだ。

今夜、そんな時を過ごした。

何って、

『落語』である。

興味はないわけではなかったが、一人で敢えて行こうと思えるほどでもなかった。
私を息吹とめぐり合わせてくれたかつての恋人は、元落研であった。
その頃の写真を見せてくれたが、まぁ、これがなんと爽やかな甘いマスクであったことか(笑)。

そんな出逢いから、興味を持ち始めていた。

この週末、銀座で落語大会が開かれている。
毎年恒例のものだそうだが、初めて知った。

落語を始めて聞く。

桂 千朝さんの「立ち切れ線香」という話にほろりと来た。
花魁に入れあげ、大枚を湯水のように使う若旦那に心を入れ替えてもらおうと親戚、番頭一同画策して、若旦那を蔵に100日ほど軟禁する。その間、馴染みの花魁は毎日、手紙を人に託して使わす。そして80日目にしてぷつりとその手紙が途絶える。動向を見守っていた番頭は、もう恋の火も冷めたろうと翌日、若旦那の幽閉を解く。若旦那は改心して、お金のありがたみも分かるようになっていた。今まで止めておいた手紙を一つも見せないというのでバツが悪い、ということで最後に女から届いた手紙を番頭は若旦那に見せる。

直ぐに会いに来てください。消え入るような文字で書かれたそれをみた若旦那は、適当な言い訳を見つけて、花魁の下に駆けつける。ところが花魁は今か今かを待ちわびて、食も細り、若旦那が以前注文してくれていた三味線が出来上がり届けられたのを大層喜びながら、しゃん、と一回鳴らしたところで息絶えてしまっていたのである。

打ちひしがれる若旦那が三味線を仏前に備え、供養している最中に、三味線が一人でに鳴りだす。
サビの部分、というところで三味線はぷつりと途絶える。あぁ、何しろ、花魁の持ち時間、一線香分の時間が終わって線香が今消えてしまいましたから。もう花魁は奏でてくれませんよ。

そんなオチで終わる噺である。

まぁ、こんな人情ものにこういうオチがいるのかどうかは別として。

あちきはすっかり泣いてしまいました。


落語ってすごい。


江戸時代頃の話が多いけれど。
そう、それは自分の子ども時代の気持ちを振り返るように、
どこか懐かしい。