その日は、住込みでバイトしていた医院
の夜勤明けで、昼過ぎまで寝ていた。
ドアをノックした事務局の女性に「大変
よ!」と起こされて事情を聞いた。
事務所では、皆テレビを凝視している。
三島先生が防衛庁のバルコニーで、何か
を叫んでいた。
趣旨は自衛官らの怒号で聞き取れない。
だが、予てから「盾の会」の決起につい
ての噂を聞いていた私は、その出で立ち
から其れと察した。
仲間と連絡を取った後、部屋を出た。
昭和四十五年十一月二十五日の午後四時
頃であったと思う。
机の上に両親に宛てた遺書を置き、事務
長に休暇届けを出した。
仲間と落ち合うと、盾の会の決起に合流
すべく、我々は大阪を立った。
だが東京では、何事も起こらなかった。
翌年大学を中退した私は九州へ帰った。
あれから四十七年、私とは違う他の誰か
が演技をする映画を観ているように、不
思議な感覚で思い出されるから面白い。
歴史的事件に遭遇すると皆そうなる。
兎に角、学習院中等部時代に古事記から
近代文学まで、ソクラテスからニーチェ
まで読破し、十六歳で「花ざかりの森」
を書いた天才。
学習院高等部を首席で卒業し、東大法学
部から大蔵省を経て文壇デビュー。
ノーベル賞候補にもなった作家が、国を
憂いて引き起こした事件である。
この方の生きかたの全てが、作品の全て
が「豊饒の海」であり、私なんぞはその
渚で、波と戯れていたにすぎない。
今になってその事が良く分かる。
今の日本もまた、豊饒の海に羅針盤を失
って漂う小舟なのかもしれない。
奇しくも2020年は、新元号のもとでの
御即位、五輪、大嘗祭、そして五十年の
節目の憂国祭の年である。
日本が、世界の平和を牽引する国として
大きく転生する年になって欲しい。
〈豊饒の 海に溢れよ 憂国忌〉放浪子
季語・憂国忌(冬)
11月25日〔土〕曇り
久々に青春時代に戻って、あれこれ書を
摘み読みした。
あらためて、文章の世界の広大無辺さに
圧倒されて疲れてしまった。
現在午後十一時、漸くブログを書いた。
酒でも飲んで頭をほぐそう。
私は渚で戯れるぐらいが丁度良い。