みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

親鸞忌

2017年11月28日 | 俳句日記

「報恩講」「御正忌」「お七夜」とも呼
ばれる親鸞聖人の忌日法要の日である。
東本願寺は新暦、西本願寺は旧暦で営ま
れるが、聖人様はどうでもいいと思って
いらっしやることだろう。

法然上人が開かれた「専修念仏」に惹か
れて、お互いに法難に遭遇しながらも、
お二人がただひたすらに念仏仏教の布教
に努められ、衆生救済の道を歩まれた事
は、聖徳太子が目指された国体の本義を
具現なされたことに他なら無い。

しかも、お二人とも、自らが開祖となり
教団を設ける意思などもうとうお持ちで
なかったところが尊いのである。
浄土宗も真宗も、お弟子さん達が教団と
して組織し立ち上げたものだった。

最澄と空海の時代の仏教は、あらゆる学
問の府であり、政を補佐する所だった。
また小乗の教へは、仏の戒律を守り事績
の追体験から悟ものと信じられていた。

いち早く法門から下山して、衆生救済の
実践に努めたのが、行基や空海のような
学びの具象化を図る勧進聖たちである。
然し、大衆を度するには至らなかった。

世が乱れ、末世思想が蔓延する中で山を
下りたのが法然であり、親鸞であり、日
蓮である。
彼らは常に衆生と共に悩み、道を説く。

かくして仏の道は、我々日本人の血とな
り肉となった。

古い俳句にこんなのがある。

《野に山に 報恩講の あかりかな》普羅

親鸞聖人が配流された越後あたりでは、
数百年ののちも、こうした光景が見られ
たのであろう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

〈敷島の 弥陀の教えや 報恩講〉放浪子
季語・報恩講(冬)

11月28日〔火〕晴れ
書くという事は、頭の中を整理すること
であると高校時代に教わった。
漸く今、実践していることが有難い。
飯を喰う為に書くのは当たり前のことで
誰にでも出来る。
鴨長明や吉田兼好も楽しく書いていたに
違い無い。
ま、程度の差はあるが。