みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

冬至に想うみんなの幸せ

2018年12月22日 | 俳句日記

今年のミス子雀

12月22日〔土〕薄曇り

皆さんはもうカボチャを食べましたか?
筆者は食べながらブログを書いています。
小豆と一緒に甘辛く煮たものです。
健康運と金運が上がるそうです。
昨日書くべきでしたね、すいません。
今日の末尾には取って置きの話をお伝えします。

さて今日のテーマは、宇宙の摂理の中で時間を概念として認識出来る人類にとって、最も大切な周期の話です。
周期を測れば予測がつきますよね。

こないだから黒点と小氷期、干支と歴史の循環、
8月には自分なりに歴史の12年周期説を立てて見ました。
それぞれに類似点を探るのです。

昨日は来年の干支“己亥”を60年前までに遡って世界史を辿って見ました。
今日は日本史とも比べながらダイジェストで見て見ましょう。

日本史の1959年(己亥)はお目出度い御成婚の年、
世界史的には戦後初めての米ソ首脳会談。
それが束の間であったことは書いた通りです。
日本も翌年から60年安保闘争が激化しました。

しかし岸→池田→佐藤それぞれの内閣が安保改正
→オリンピック→沖縄返還と歴史的な課題を果たしながら戦後復興をあの内憂外患の中でよく成し遂げたものだと思います。

その中核としてモーレツに働いた人達は大東亜戦争を前線で戦った大正生まれの若者達でした。
筆者の父親の世代です、頭が下がります。
遅蒔きながら団塊の世代も最後の務めを果たしましよう。

そこで、1959年以前の己亥を調べました。
一つ前が1899年、日本は日清戦争に勝利して維新以来の念願だった諸外国との「治外法権」を解消して列強の仲間入りを果たします。

だが次の年(庚子)には義和団事件が北京で起こり出兵しなければなりませんでした。
5月28日のブログに詳しく書いています。
1904年(甲辰)には日露戦争です。

もう一つ前の己亥は1831年、渡辺崋山と高野長英が幕府から弾圧された年です。翌年の1840年にはアヘン戦争が起こり、1844年(甲辰)には幕府が海防令を出すほど異国船が周りに出没します。

その事が国論を二分して尊皇佐幕、攘夷開国の動乱に突き進んでいくのでした。

どうも“己亥”は吉の年ですが翌年の“庚子”は凶事が起こり、五年後の甲辰からは更なる動乱の時代に入っていくパターンのようです。
気になる方はご自分で調べて下さい。

そこで当たるも八卦、外れるも八卦とばかりに未来予測をして見ました。

来年の己亥には、日本では御譲位、米中は習近平がトランプに屈服して矛を納めるでしょう。
来年の2月がターニングポイントになる筈です。
北鮮は鳴りを潜めたままでしょう。

ところが翌庚子は何が起こるかわからない、オリンピックも出来るのか?
更に五年後の甲辰は現在のプレイヤーに変化がありますからまるで予測不能です。

結局分からない事だらけですが、確かなことは小氷期が目に見える形で訪れるということです。
人類が助け合う精神に目覚めれば最悪の事態は避けられるのかも知れません。

ダライ・ラマ14世がお友達である筑波大学の村上和雄名誉教授の御著書に次のような推薦文をよこされたそうです。

「21世紀の人類が直面する課題は、科学だけでも
宗教だけでも解決しない。
宗教がもたらす人間性の深い理解と、現代科学の知見を融合して苦難を克服しなければならない」

村上教授は「祈りは免疫遺伝子を活性化させる」
と言われています。
宗教家の祈りの習慣は体内の免疫細胞を活性化するI型インターフェロンを増加させるそうです。

明日は天皇誕生日と満月が重なる目出度い日。
お赤飯を炊いて神仏に献げ、佳い年を迎えられるように祈りましょう。
子雀たちの平和な未来のために。

〈明日よりは 遠く未来へ 冬至の日〉放浪子
季語・冬至(冬)





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