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日露戦争に於いて対露工作で勇名を馳せ
た明石元二郎大将は、大正7年(1918年)
に第7代台湾総督の任にあった。
鉄道の建設や学制の整備に尽力された。
しかし、赴任後わずか一年四ヶ月後に病
を経て亡くなられている。
ご遺体は遺言に従って台湾に葬られた。
台湾の人々はその地に明石神社を建立し
て、ご威徳を偲んで下さった。
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今では、台北市の墓地であったその地一
帯が林森都市公園として整備されている
が、当時の鳥居は明石総督の顕彰碑と共
に残されて台北市民に親しまれている。
明石大将は筆者の古里、福岡藩の士族の
お生まれであった。
福岡の愛郷党「玄洋社」にも名を連ねる
福岡市民の誇りのお一人でもある。
もう45年も前になるが、筆者は大将の
お孫さんと一緒に、ある代議士の選挙を
戦ったことがある。
台湾が大変な時に、この地に立ったこと
に奇しき縁を感じざるを得ない。
〈林森の 鳥居に鳴きて 四十雀〉放浪子
季語・四十雀(夏)
7月30日〔月〕照ったり曇ったり
台風の余波の風が心地よい。
取り敢えず被害が少なかったのは幸いで
あった。
なんだか極東情勢を象徴するように想定
不能な台風であったが、どの国の子雀達
にも害が及ばぬように終息して欲しい。