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みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

百道浜のステキなドラマ

2019年04月21日 | 俳句日記

昨日ご紹介した海の家風カフェテラス

4月21日〔日〕快晴

AM7:30、いつものように朝日が眩しくお目覚めのキッスをくれます。
「ヤッター!」てなもんです。
それからの段取りの早い事、10時にはバス停。

昨日は午後からの取材でしたが、今日は日曜ですので早めに出かけます。
どんなハプニングが待っているか分かりません。
きっと大勢の子雀たちが来ているでしょう。

タイトルの画像がテラスの左側面、西側です。



こちら側が正面の入り口、浜に向かって開いています。
すぐ脇では焼き物がいい匂いを放っていました。
すでにお客さんが四組談笑しています。

四人組のお嬢さん達と、ババ米国、ママ撫子、そしてキッズが兄妹の家族、妹さんの綺麗なこと‼︎
さらにフランス人の三人家族、お子さんは子雀。
奥には韓国のカップルがいらっしゃいました。

私は入り口から外向きの写真を撮るだけで、テーブルに着くのは止めにしました。



だって、首から双眼鏡をぶら下げて、手にスマホを持ったボサボサ頭の老人が突然入って来たらどうします?恐らく会話は‥‥。

今日は風も穏やかで渚は賑わっています。
ウインドサーファーの講習のようです。





博多湾では波が無いのでサーフィンは無理です。
もっと西の糸島には芥屋と云う適所があります。
ところがJALのマークのような湾ですから、ヨット、ボート、ウインドサーフインなどには打って付け、もうトレーニングが始まったのでしょう。

そこが、半世紀前までとは違いますね。
私達団塊の世代がティーンエイジャーだった頃、
九州ではマリーンスポーツなどぜんぜんでした。
雑誌で紹介される湘南ボーイが羨ましかった。

それでも西南や修猷館にはヨット部が有りましたから、白い帆のディンギーは少年達の憧れの的。



百道の海はハイカラなイメージがありましたよ。
だから学校での訓示は海の事故への注意ばかり。
拉致を警戒していた訳ではありませんが、常に巡視艇が沖に停泊して見守ってくれてました。
子供心にも頼もしかったものです。

一人取り残された子雀がいました。



ちょっと離れたところにいたパパの了解を得て、
ゲットしました。
なんでもおやつが気に入らなかったようです。
それでも黙々と食べている姿が可愛いでしょ💕


貝殻を拾い集める子雀。

なんとも長閑な浜の光景です。
シューマンの気持がよく分かります。
ドビッシーならばどんな曲にしたでしょう。
兎に角、私は子雀を観ると幸せになります。

これまで浜の東側ばかりを紹介してきましたが、今回は西側を紹介しておきましょう。
画像の正面に見える島が能古島、お花畑の島。



こちらはどうやらスポーツエリヤのようです。
ビーチバレー、ビーチテニス、ビーチサッカーなどが行われていました。
聞いてみると、どれもが任意の同好会でした。

当たり前ですよね、この浜は公共の施設です。
特定のチームに貸し出す訳にはいきません。
でもやはり当事者の届け出は必要でしょうね。
ここにもはぐれ子雀が居ました。



でも大丈夫ですよ。
はた目では寂しく見えていても子雀は心豊かですから意外と愉しんでいるんですよ。
それを導き出すのが海の包容力なのですね。

船の汽笛が聞こえましたので海上を覗きました。
沖から 定期船が近づいて来ます。
船の奥の島が金印で有名な志賀島、画像の左端にちょこっと写っているのが先程の能古島の尻尾。


左へ転舵しました。


船溜りを囲む防波堤へ近づいて行きます。


船溜りに入って、


静かに船着場へと滑っていきました。


到着したようです。

それからややあって、ボートハウスのチャペルの
鐘が湾内に響き渡るように鳴り始めました。
えっ、さっきの船で新郎が到着したってこと⁈
ではチャペルに待つのは新婦さんですね?

「谷間に3つの鐘が鳴る」という曲が有りますが
ここの鐘は出来ればお一人におひとつの限定にして頂きたいものです。
お目出度い事ですから何度でも‥、気持は理解致しますが‥。

すると鐘の音に合わせて、チャペル前の広場から幾つもの風船が上がり始めました。



中庭には大勢の人が集まっています。
お二人の離陸を祝う仲間たちでしょう。
門出、船出、そして離陸。
共に雄々しい覚悟を伴います。

だからこそ、何かにつけて楽しく演出して事なきを祈りたいのが人情でしょう。
私は離別と死別で二度失敗しました。
だけどほんとに人間って二人で一人ですね。


舞い上がる風船をずっと見上げている子雀がいました。



全ての善と悪、幸と不幸を不安げに見つめているように見えてなりませんが、人生捨てたもんじゃないよって言ってあげたくなります。
誰か彼女のホワイトホースになって下さい!
今日登場した子雀たちの未来が、すべて幸せであることを祈って止みません。

〈春ひとり 夏はふたりの 強さ哉〉放浪子
季語・春一人(春)






穀雨の日の百道浜

2019年04月20日 | 俳句日記

子雀が一杯のビーチ

4月20日〔土〕快晴

吾は海の子、百道の子。
あれ以来、百道浜にはまっています。
眩い朝日と青い空を見れば、浜の情景がすぐに頭に浮かび直ぐにや砂浜に触れたくなるのです。


ちようどこの子のように。

母と約束していた作業を午前中で済ませたら、あの頃の私がランドセルを家に放り込んで、
「海で遊んでくる!」
と浜に駆けて行った姿そのままに、バスに乗り込みました。

シートに腰掛けると、
「これはひょっとしたら近いかも?」
何がって?当然お迎えですよ!お迎え!
人は死期が近くなると先祖帰りをするって言うじゃないですか⁈
アレですよ、アレ。

無価値な時を過ごしているうちに、海を見たいという衝動から、偶然が重なりあったように百道浜
に導かれ、これまでの時が一周ぐるっと回って、あの時の感情と同じ昂りで今向かっています。

これってある種の先祖がえりではないですか?
その内思い出せもしない母の乳首の感触が突然蘇って来たらその時こそ振り出しに戻るのですね。
その時こそ人生のゲームオバーですよ。

様々なオーバーを経験して来ました。
ラヴ・イズ・オーヴァーの経験も一応させて頂い
たことに深く感謝申し上げます。
イヤミではなく一度は最も近くに居てくれた人。

なんて考えていたら到着しまた。


今まで数千回は観たであろう渚の情景、人類の原点を見る思いがします。


新たな出発の光景も見る事が出来ました。

さて、一休みしましょう。
一見「海の家」風のカフェテラス。
今回は写真を撮り忘れたのでまた今度。
コーヒー350円、メニューは色々、たこ焼きも。

私が入って来たのでBGMのチャンネルを変えた訳でも無いでしょうが、いきなりオールドファッション、ニールセダカから始まってプレスリー、コニーフランシス、ポールアンカet 。

これはもう完全なタイムスリップです。
チャンネルコールをなした訳ではありません。
偶然ならば、もはや階段への誘い以外にない。
音楽は全てを消し去ってしまう最高の芸術です。

そこへ子雀が飛んで来て足元で遊んでいました。



何もかにもが私の好みのシチュエーション。
こうしてみると私の人生は捨てたものでは無かったと気付かされます。
平和に助けられた最高の人生だったのです。

〈平成と 春を惜しめる 渚かな〉放浪子
季語・春惜しむ(春)








芝桜の咲く自転車屋さん

2019年04月19日 | 俳句日記

店頭の芝桜の一群

4月19日〔金〕午前中は晴れ 午後から曇り

昨日は、思いっきり読者の皆さんへ夏への期待を
お伝えしたのに、気温は17度までしか上がらず、
夕刻からは上物を羽織る程に冷えて来ました。
今夜の満月も拝めそうにはありません。

気を取り直して夕餉を求めに出ました。
イオンへの道の途中にこの町の古い自転車屋さんがあります。
店先に芝桜の叢が一杯に咲いていました。


もう一画の一群

芝桜は今時の季語です。
品種が多いので、このように見た目が違います。
元々は園芸用のグランドカバーとして活用されていましたが、今ではアート素材となっています。


富士のテーマパーク


埼玉のフラワーパーク

こうなると当に創造芸術の素材ですね。
アメリカが原産と言われていますが、繁殖力が強く横へ広がって行く芝や藪蘭、ツルニチニチ草等のグランドカバーとは一つ違う特徴を持ちます。

花が主体で、しかも多彩な色を持つことです。
故にアートの世界で一方の主役となりました。
芝桜の自由で多彩な花の花言葉を辿ると、面白いストーリーが描けますよ。

一輪でいるときは‥「臆病な心」
纏まるときは‥「合意」「一致」そして「忍耐」
花開くときは‥ただ「一筋」に「燃える心」
そしてついに‥「華やかな姿」になるのです。

なんだか人の一生と社会や国の成り立ちの軌跡を
辿るような言葉集ですね。
してみると我々はアートを構成する一輪の芝桜。
世界に誇るアートを完成させたいものです。

〈それぞれの 想いを胸に 芝桜〉放浪子
季語・芝桜(春)







一足先の夏

2019年04月18日 | 俳句日記

博多湾の夏の雲

4月18日〔木〕快晴

今週の月曜日以来の快晴です。
と書くと久々の様に聞こえますが、つい先おとといのことです。
この日のタイトルは「鳥雲に入る」としました。



大濠公園に宿りをしていた冬鳥が皆帰っていたからです。
句は〈引鳥の 入る雲も無き 日和かな〉と詠んでいます。

でもなんとなく、これで当日のブログのお茶を濁すのは気が引けてなりません。
それで9日に紹介した百道浜の人工海浜「マリゾン」へ足を運んでみました。

ところが現地はまるで東南アジアの何処かのリゾート地の様そのもの。
次々に観光バスが到着し、ツアー客が海浜と待機バスの間を行ったり来たり。





半ば興醒めです。
渡り鳥の記事を書いた後にこの光景をくっつけたら読者の周波数を乱してしまい兼ねません。
そこで今日、再度取材に行って来ました。



ちょっと早いが鯉のぼりが初夏の浜辺に興を添えています。
その下ではママ友と子雀たちが定番の砂遊び。





若者たちは自分で海開きの鍵をこじ開けました。



CAFE「ザ・ビーチMarizon」も夏衣の若者たちで盛況です。
博多湾は一足先に夏模様が一杯でした。


ボートハウスからのマリンスポーツも程なく解禁でしょう。


茜ちゃんの同僚ヒロカちゃんをゲットしました。

〈今日からは 夏めく季語ぞ 博多湾〉放浪子
季語・夏めく(夏)

世界遺産炎上

2019年04月17日 | 俳句日記
炎上するノートルダム大聖堂(2019.4.18)

4月19日〔水〕薄曇り 夕刻より晴れ

パリをこよなく愛し、パリをフランスの象徴として守り発展させてきた国民にとっては、衝撃以外の何物でもない光景だったでしょう。
賛美歌の合唱が立ち所に起ったのも当然です。


パリの中心地ノートルダム

パリは12世紀以来この大聖堂を中心に世紀ごとに拡大してきました。
実はパリという地名は紀元前からあったらしいのですが、その頃はフランス国はまだありません。

10世紀後半にユーグ・カペーがカペー朝を樹立してからパリを首都としたフランス国が出来ます。
しかしまだ西フランク王国の一公国でした。
日本の歴史からすると豪族のようなものです。

それが12世紀に入り、ノートルダム寺院が宗教上の中心となり、セーヌ川対岸が学問の集積地となるに従って大国となって行きます。
イタリアのボローニャを凌ぐ程になるのです。


大聖堂のガーゴイル(魔除け)

紀元前からセーヌ川による物流センターとして、
ノートルダム寺院による宗教的な求心力、そして
学問の集積による文化・文明の発信源としてパリは徐々に世界デビューを果たしていきました。

やはり宗教的な信念と学問の集積、それが国の発展の礎だとパリの歴史的苦難とノートルダムへの信仰に依って骨の髄まで教えられているフランス人は、良い意味でしたたかな強い国民です。


大聖堂の夜景と建物のオーラ

必ずこの痛みを乗り越えて新しい大聖堂と新しいフランス魂を形造って行かれることでしょう。
我々はパリに憧れパリを目標に歴史の一員として世界史を紡いで来たつもりです。

開国間もない日本がパリ万博で受けた温かい貴国の応接は、ノートルダム以来の苦難の歴史が醸す
貴国のエスプリの賜物でした。
日本は持ち前の「和の心」で理解しています。

〈麦青む 世界遺産の 絆かな〉放浪子
季語・麦青む(春)