みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

世界遺産炎上

2019年04月17日 | 俳句日記
炎上するノートルダム大聖堂(2019.4.18)

4月19日〔水〕薄曇り 夕刻より晴れ

パリをこよなく愛し、パリをフランスの象徴として守り発展させてきた国民にとっては、衝撃以外の何物でもない光景だったでしょう。
賛美歌の合唱が立ち所に起ったのも当然です。


パリの中心地ノートルダム

パリは12世紀以来この大聖堂を中心に世紀ごとに拡大してきました。
実はパリという地名は紀元前からあったらしいのですが、その頃はフランス国はまだありません。

10世紀後半にユーグ・カペーがカペー朝を樹立してからパリを首都としたフランス国が出来ます。
しかしまだ西フランク王国の一公国でした。
日本の歴史からすると豪族のようなものです。

それが12世紀に入り、ノートルダム寺院が宗教上の中心となり、セーヌ川対岸が学問の集積地となるに従って大国となって行きます。
イタリアのボローニャを凌ぐ程になるのです。


大聖堂のガーゴイル(魔除け)

紀元前からセーヌ川による物流センターとして、
ノートルダム寺院による宗教的な求心力、そして
学問の集積による文化・文明の発信源としてパリは徐々に世界デビューを果たしていきました。

やはり宗教的な信念と学問の集積、それが国の発展の礎だとパリの歴史的苦難とノートルダムへの信仰に依って骨の髄まで教えられているフランス人は、良い意味でしたたかな強い国民です。


大聖堂の夜景と建物のオーラ

必ずこの痛みを乗り越えて新しい大聖堂と新しいフランス魂を形造って行かれることでしょう。
我々はパリに憧れパリを目標に歴史の一員として世界史を紡いで来たつもりです。

開国間もない日本がパリ万博で受けた温かい貴国の応接は、ノートルダム以来の苦難の歴史が醸す
貴国のエスプリの賜物でした。
日本は持ち前の「和の心」で理解しています。

〈麦青む 世界遺産の 絆かな〉放浪子
季語・麦青む(春)

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