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みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

ハナミズキ

2019年04月16日 | 俳句日記

ハナミズキ(別名、アメリカヤマボウシ)


4月16日〔火〕薄曇り

全天に薄い雲が広がる一日でした。
だからといって大気が冷える程ではありません。
返って雲のベールに包まれて湿度が上がり、ややむし暑さを覚えるようでした。

この街には救急救命搬送車の基地があります。
だから日に何度もピーポーピーポーを聴かされて
いますが、今日は一度も聴きませんでした。
市民の皆様には慶賀の至りです。

雑誌の占い欄に、する事がなければ不用品の整理と掃除をしろと書いてありました。
それで運が向くとか向かないとかの答えは書いてありません。

する事もないし従ってみましたが、やり始めたら一日中掛かってしまいました。
日頃のズボラの仕打ちです。
入日を観ながら風呂に入り、今日を想いました。

上がって本日の締めくくり、夕飯を買いに行きま
したが、「春宵一刻価千金」湯上りにサヤと涼しさを思い出させてくれる春の夕風、嗚呼!これが今日のご褒美か⁈と気付きました。

買い物袋をぶら下げての帰り道、路地裏のお宅の玄関先にハナミズキの花が咲いていました。
正確に言えば花弁に見えますが総苞片という雄しべや雌しべ、そして子房を包む皮が開いた様なものです。
この花が開くといよいよ春が終わるのです。

1912年に当時の東京市長尾崎行雄がワシントンD.C.にサクラを贈った返礼に先様から贈られて来たのがハナミズキでした。
今では全国に普及しています。

オフィス街などではベニバナハナミズキが多く見られますが、住宅街では白が圧倒的に多のです。
解らぬ訳でもありません。
ピンクの花を見て中洲に帰られては困るのです。

楚々とした白い花は、亭主の帰りをつましく待つ
家族の物言わぬ象徴なんです。
アメリカさんも良い花を贈って下さいました。

因みにハナミズキの西洋での花言葉は、

○永続性、耐久性
○逆境にも耐える愛
○私が貴方に関心がないとでも?

当時の政治家の何人がこのメッセージを正面から受け止めたのでしようか?
外交は裏の裏とも言われますから一概には言えませんが、日米開戦は避けられたかも。

それはさておき、我々庶民のつつましい所帯には打って付けの植木のようですね。
この御宅の4軒先が救急消防署です。
まだ燈がともり、元気な声が聞こえていました。

我々のつましい暮らしを見守ってくれています。
同じく若い人達が、海でも、空でも、離島でも。
有難いことです。

〈お帰りと 無言の声や ハナミズキ〉放浪子
季語・ハナミズキ(春)









鳥雲に入る(帰る)

2019年04月15日 | 俳句日記

もぬけの殻の大濠

4月15日〔月〕快晴

昨日は、終日無風に感じていましたが、今朝は
「おや?」と思いました。
「風向きが変わっている!、ひょっとしたら?」
と思って大濠公園に出向きます。

案の定、渡り鳥の集団がもぬけの殻です。
東風(こち)や南風(まじ)が吹くと渡り鳥が引く、あるいは鳥雲に入る(帰る)と言います。


左アカハジロ、右ホシハジロ。

いつもの年のようにアカハジロとホシハジロの大群が去年から宿っていたのですが、どうやらお帰りになったようです。



ただオオバンの群れと一緒に冬鳥のキンクロハジロが十数羽名残に浮かんでいました。
彼らもいずれサヨナラするでしょう。



オオバンは湖水のオペラ座の怪人の渾名を持つ留鳥でカイツブリなどといつも居ます。


カモメと遊ぶオオバン。

という事で今日の観察は終了。
帰り際に出会ったアオサギは寂しそうでした。



〈引き鳥の 入る雲なき 日和かな〉放浪子
季語・引き鳥(春) *引き鳥=北へ帰る渡り鳥



折節の雨

2019年04月14日 | 俳句日記

山も鳥も静かな雨の日


4月14日〔日〕雨

ひっそりに重ねるように静かな雨が降ってます。
今朝から子雀たちの声は聴かれません。
さきほど聴こえた声はお兄ちゃん雀でした。



この子達の声も静かな雨に遠慮してか、しっとりと落ち着いていました。
こんな日は黙して好きな本でも読みましょう。



《折節の移り変はるこそ、物ごとにあはれなれ》

「徒然草」第十九段の冒頭の言葉ですが、今日のような日にこそしみじみと身に沁みます。
本文はもっとダイナミックに「春夏秋冬」の折節を鷲掴みにして論じますが、要はこの一文です。

5日前に小雨の降る日がありました。
まだ風を伴う冷たい雨でした。
今日は肌を潤す雨がシトシトと降るばかりで、また一つ八十八夜に近づいた事を教えてくれます。

年をとると温度の変化に敏感になって来ますね。
発電機が傷んで来てますから当然なんでしょう。
折節の雨が日一日と温かくなって来るのは嬉しいことです。



また老境の身には、時計の針を見つめながら、越し方を想い出させる“折節の雨”とも言えます。

〈折節の 雨と八十八夜哉〉放浪子
季語・八十八夜(春)



筑前一ノ宮、住吉神社

2019年04月13日 | 俳句日記

住吉神社拝殿前のお庭

4月13日〔土〕曇り

“ふとした思い付き”ということはよくある事。
おこなった後で後悔する事もあれば、予期せぬ好結果をもたらすこともあります。
ただ、神仏に関することは概ね良い方向へのお導きの方が多いようですよ。

こんな時「○○様に呼ばれた」と言いますよね。
いや実際なにかを祈願するでもなく足が向いて、
その場の思いつきで願ったことが叶うという話はよく聞きますし、私にも経験があります。

で無くとも、有益なインスピレーションを与えて貰うことはままあります。
何か八方塞がりの状況にある時、ふとしたキッカケでお参りをしたところで糸口が見つかるとか。

神社はよい神様や信者の御霊が集まるところですから境内は気が澄んでいます。



お寺の御堂もまた毎日の読経で浄められていますので同じように空気が澄んでいるのです。

八方塞がりの状態とは、自らの心の葛藤がそうさせている訳ですから、清浄な霊気に触れると自然に心が浄化されて不要なものが除去されます。
すると物事の解決への道が見つかるのです。



人様が何事かを念じる姿を見るだけでもトラブった気持ちが落ち着いて来るのが判ります。
そうなると魔の差す余地が無くなります。
だから自然体で針路を定める事が出来るのです。

私は今日、思いもかけず住吉さまにお参りをさせて頂きました。
仲間と会った後、何気なく「博多駅の方に送ってくれる?」の一言で来てしまったのです。



今は清々しい気持ちでいます。
明日からが楽しみです。



今日の子雀にも会えましたから。

〈神さぶる 春の鳥居の 朱の力〉放浪子
季語・春




しべ桜とつつじ

2019年04月12日 | 俳句日記

“葉桜”になる前の“しべ桜”

4月12日〔金〕快晴

こないだまで尖っていた風の穂先が、随分と丸くなりました。
天を覆っていた桜もすっかり散って“しべ桜”となっています。

雄しべと雌しべが萼に残り、やや花の名残を保っていますが、やがて雄しべが落ちて雌しべがサクランボを宿し始めます。
その境にあるのが“しべ桜”と“ツツジ”なのです。

佐保姫様は人を思いやるお優しい神さまです。
春の初めは雪割草、蕗の薹等で人の目線を地上に落とし、次にタンポポ、菜の花と広く遠くへ目を慣らしていきます。

やがて徐々に梅、桃、桜と少しずつ高さを上げて、人の目を頭上に誘います。
ところによっては林檎だったり梨だったり。
この間は首が痛くなるほど人は上を見上げます。

優しいと言ったのはそれからの展開なのです。
小さな視点から広くて遠い所へ目を慣らし、遂には天を覆う桜の世界へ人を誘いました。
さてこれからソフトランディングへと移ります。

佐保姫様はいきなり人を見放したりはしません。
見上げた目と上がった顎を静かに降ろします。
ちょうど首が疲れた頃、花しべが降りしきる下ではツツジが開花の準備をしているのです。


白のミヤマキリシマ

ツツジは人が自然に歩む目線の先に花を咲かせ、
しかも野に自生させれば、地表を覆うほどに咲き乱れますから、眺め愛でる為にそのまま首を右や左に振ればコリもほぐれて行く道理なのです。


久留米ツツジ


ミヤマキリシマ

この花は園芸品種が豊富にありますので、ちょっと勉強すれば充分深く楽しめる花なのです。
もう少しすれば、上を見上げりゃ藤、見下ろすなら牡丹と、楽しめる花が次々に咲いて来ますよ。

ツツジでコリをほぐして、天然の奥深い美を存分に楽しみましよう。
平和に楽しむことで神への感謝を伝えましょう。
ツツジはその中継ぎの要の花なのです。

〈ふるきより 神の使徒なる ツツジ哉〉放浪子
季語・ツツジ(春)