鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

新レイアウトの製作 その50  塔のあるレストラン その3

2023年10月26日 | レイアウト

ナローのレイアウト

塔のあるレストラン作りです。

情景を考えるのにおおよそ景色を考えて建物のキットを買いましたが、この配置や地形を決めるのに建物を置いてみて考えるので、ある時点で建物を作らないと地形を決められません。 実物では地形に合わせて建物が建つのでしょうが、模型では反対です。 建物に合わせて地形を作る。

 

こんな手洗いも作って

 

一階部分が出来たのですが、ここで照明を入れるのを忘れていたことに気がついた。

 

組み立て前なら簡単だったどうけれど、ドリルで配線穴を開けて、

 

室内用のLED、フィースマンのコードに色を塗って、黒い紙でカバーを作って

 

開けた穴にコードを通して

 

廊下の照明をつけました。 本当に組み立て前に気が付かなかったのは失敗。

他にも照明をいくつかつけて

 

2階の室内にも照明が、あちこちで点灯しています。

 

2階の屋根をつけようと思ったらどうしても上手くハマら無い。 右側が少し浮いています。

 

この手すり達の付け方を間違っていて、建物の周りの手すりを全て取り外して、接着のし直し。

取り外すときに接着剤を塗るとプラが溶けるので、一旦接着したものを外すのに接着剤を塗ると言う、おかしな方法でうまく外せました。

 

今度は屋根がうまく収まりました。 実はこれは屋根では無くて雨樋なんですけれど、この上に本当の屋根が付きます。

 

というようなことがいろいろあって、おおよその外観が出来ました

 

つづく

 

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2000年 オーストリアの旅 その7  インスブルックの模型店

2023年10月24日 | 海外旅行

ザルツブルグから特急で2時間、インスブルックに着いてホテルに到着

 

グーグルストリートでホテルを探すとありました。 ホテル ザイラーです。 安物のホテルかと思っていたら4つ星でした。 それにしても、グーグルストリートはすごい。 旅行後20年以上経ってからでも街歩きができる。

 

インスブルックの地図です。 鉄道が東西に走っていると思っていたのですが、改めて地図を見るとここでは南北に走っている。 今まで気がつかなかった。 

さて、ホテルに荷物を預けてライナー模型店に向かいます。 駅右側斜めの道を行けばあるはず。 もちろん出国前にインスブルックに2件の模型店があることは調べてあったが、こんな地図はないし、グーグルもない。  旅行書の観光地図で見当をつけて歩く。

鉄道の下の道で線路を越してしばらく歩くと綺麗な公園があった。 後ろには高い山が。

 

ここもグーグルストリートで確認。 でも季節が違うし、きっちり確認できなかったが、多分ここだろう。

実はここを通ったことで、斜めの道から外れていたのでした。 

なかなか模型店につかないので、住民らしい人に道を聞くと、追いて来いというので後をついてゆきました。 親切ですが言葉がほとんど通じないので、黙々と追いてゆくのみ。

 

ありました。 ライナー模型店。 みなさん、グーグルストリートで駅から斜め下に降る道を辿ってください。 今でもあります。すぐに見つけれれますよ。  グーグルストリートでは買えない?  それなら、rainer modellbahan で検索したらこの店のホームページに入れますので、そこから購入できますよ。

 

中に入ると、たくさんの車両が展示してある。

 

綺麗に整列しているけれど、これが引き出しになっているんです。

 

引っ張ると、たくさんの車両ケースが見える。 びっくりでしょう? 一体どれほど車両を置いてあるんだろう。

日本の鉄道模型店とは全く違いますね。完成品が普通の模型なんです。 キットやパーツなど見当たりません。 多分あると思うのですが隅の方かな? 

ここで、このオーストリアの電気機関車を購入。 多分マリアテレジアを牽引していた形がなかったからだと思う。

 

帰りは市電で街の中に。

 

ここにも模型店があるのです。 かなりおもちゃ屋ですが。

ここで、マリアテレジアに牽かれていた赤いボディーに黒い窓の客車を買おうとしたら、無い。 結構新しい塗装なので模型も少ないか?

店主が、オレンジの客車ではダメかというので、ダメ、と答える。 だって、オーストリアの車両には詳しくなくてオレンジの客車には馴染みがないので欲しくないのです。 マリアテレジアらしい編成にしたいのです。 まあ、今ならオレンジでも許せるけれど。

 

ホテルに戻ってくる時に、ホイッスルの音が聞こえた。 この市電だ。 古い市電で思わず撮影したが、この後滞在中には一度も見なかった。

運が良かったのだろう。 カンカンカンカンという鐘の音と、ピーというホイッスルの音が特徴だった。

いよいよ、次はツィラータールバーンに行きます。

そうだ、ツィラータールバーンに行った日に、イエンバッハの駅で貨物列車の通過を見たのだけれど、ものすごく速い。

120km/h以上は出ていたような気がした。 そして、貨物線はインスブルック駅では地下になっているようで、駅の手前から地下に潜って駅の下を通過して、その後地上に出る。 駅の中を通過しないのだ。 多分そう思ったのだが、定かではない。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エコーの自転車など

2023年10月23日 | 雑談

昨日のNHK 家康では、きっちり伏見城と名前が出て三成がこもっていました。 私のブログを見て伏見城と入れてくれたのでしょうか?  当時、伏見でいろいろなことが起こっていたのです。

 

さて、

エコーの自転車を買いました。

ナローのレイアウトに自転車を配置。 だんだん、生活感が出て来ました。

ちなみに我が家の自転車ですが、今朝乗ったら前輪がパンク、ペシャンコでそのまま押して自転車屋さんまて持ってゆきました。 

 

カードスタンドです。 今度の運転会の時に使用します。 百均で買いましたが、案外置いていなくて、百均や文房具屋を何軒か回りました。

 

JAFニュースです。 黒柴がとても可愛く写っています。 それにしても上手な写真だと思ったら、撮影者はやはり岩合光昭さん。 猫だけではないんだ。 犬のシャキッとした毛並みと、後ろのボケなどさすがは動物写真のプロです。

 

 

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新レイアウトの製作 その49  塔のあるレストラン その2

2023年10月22日 | レイアウト

昨日は伏見城を書いたのですが、弟のブログで同じような内容を2017年に書いていました。 

やはり兄弟、同じことを考えています。

 

そうか首都だったのか

そうか首都だったのか

私の出身地は京都としている。実は、出生地は静岡なのであるが、3才の時から京都に移り住み、物心がついた時には京都で育っているので出身地としている。(出身地とは中学を...

畑川 治の車・鉄道そして旅

 

 

 

さて、ナローレイアウトの製作、 塔のあるレストランを作っています。

建物のベースです。

 

地面にレンガのつもりで赤系を塗りました。

 

赤が乾いた後にウエザリングで土色を流し込んで乾燥を待ちます。

 

乾くとこんな感じ、プラスティックらしさが消えたと思います。

 

塔のあるレストランですが、塔の上部です。 凸凹をニッパーで食いちぎって

 

パテを塗って古さを表現。 

 

だんだん出来て来ました。

 

この建物の角の隙間からプラの白い色が見えているので、

 

烏口で黒を差しましたが、少し間違うと横に漏れるので、ほどほどにしておきました。

 

一旦建物を外して、土台に草を撒きました。

まだまだ完成までには手がかかります。

 

つづく

 

 

 

 

 

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安土桃山時代

2023年10月21日 | 雑談

NHK 「どうする家康」の前回の放送で、秀吉が亡くなりました。

テレビを見ていると、大阪城で亡くなったように思えますが、秀吉が亡くなったのは伏見城です。

伏見城の地図です。 伏見城は京都の伏見にあったのですが、初めにできた伏見城は指月城と言う名前がついていました。 そして、慶長伏見大地震で秀吉は指月城にいたのですが、天守崩壊ですが命拾いしました。

 

こんな絵を見つけました。 大地震の時に加藤清正が助けに来た絵です。

城が壊れたので、すぐに近くに城を作り直しました。 指月城と区別するために木幡山伏見城と言ったりしますが、伏見城は新旧2つあったのでした。

ここで、秀吉は政務を行なっていて、上の地図にあるように、周辺は大名屋敷や銀座、両替町などがありました。 ちなみに銀座という地名の発祥地はここです。 ですから、ここが日本の首都だったのです。 そこで、今でも安土桃山時代と言っていますが、安土大阪時代とは言いません。 実は桃山という地名は関ヶ原の戦いの後に山に桃の木を植えて山が桃で一杯になったので桃山と名がついたと聞いています。

大名邸跡は今でも町名として残っていて、

桃山毛利長門西町、桃山町松平筑前、桃山町本田上野、桃山水野左近東町、桃山筑前台町、桃山町鍋島、桃山町駿河、桃山町弾正島、豊後橋町(この橋を渡ったところに徳川家康の屋敷があった)、桃山長岡越中北町、東西奉行町、島津町、讃岐町、肥後町、御香宮門前町、

銀座町、両替町、風呂屋町、鍛冶屋町、瀬戸物町、納屋町、大手町、

などなと、町民のいた町名も残っていますが、何せ昔のことで少しずつ名前も変わっています。

そして、伏見城の後は明治天皇の御陵になって、立ち入り禁止、発掘もできません。

ですから、伏見城再建は無理ですので、すぐ横の庭があった辺りに、遊園地の目玉として建てられたのが桃山城です。

しかし、遊園地閉鎖後に解体するつもりだったらしいのですが、住民がもったいないと反対して京都市の管理下に置かれて、桃山城は残っています。

桃山城という名前ですが、伏見城と思って見ています。 でもね、耐震対策をする費用が出なくて、放置されたままで、毎年朽ちて来ています。 

これは今年の春に撮った写真で、一見綺麗ですがよく見ると色は剥がれ、いたるところボロボロになって縄張りがしてあって近づけなくなっています。 もちろん天守には入れません。

京都市が頑張って修復してくれたら天守に上がって、桃山の上からの景色を見ることができるんだけれど。 昔は何度も天守に上がったことがあります。

 

そう、秀吉は伏見城で亡くなっているのです。 大名たちも伏見に屋敷を持って日本中の大名が住んでいたのです。

そして、秀吉亡き後、徳川家康が伏見城に入って実質ここで政治をしていた。 だって、大阪城には秀頼がいるのですから。 その後石田治部が伏見城を攻めて、徳川の鳥居元忠が守ったものの灰燼に機して城は壊滅したのでした。

ということで、最近は、鳥羽・伏見の戦い、坂本龍馬、酒蔵など明治維新の頃の話ばかりなのですが、安土桃山時代は日本の首都だったのです。

テレビでも、秀吉が亡くなるシーンは伏見城だと分かるように放映してもらいたいものです。

 

指月城の名前からわかるように月が綺麗な場所です。 すぐそばの観月橋の名前からわかるように、今なお、月が綺麗に見える場所なのです。 国道24号線の観月橋を通る時には、このそば伏見城の指月城があったと思ってくださいね。

指月城跡の地図です、木幡城と書かれているのが上の地図の赤い伏見城です。 現在の地図なので観月橋も描かれています。

 

指月城の発掘現場を見に行った時の写真です。 2015年大きなニュースになりました。

 

学芸員の人が熱っぽく説明しています。 本当に指月城があったんだ!! と

 

いろいろな場所が示されています。

 

金瓦があり間違いなく秀吉です。 ここで政務を行なっていて地震の後小幡城の伏見城に移ったのでした。

今ここは埋め戻されてマンションが立っています。名前はマンション指月城。

 

以上、伏見の住民の愚痴でした。

 

 

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