暇に飽かさたな。

はまやわらかいブログ。

甲子園も終わり

2006-08-22 15:43:14 | Weblog
 世間はものすごい騒ぎになっているようです。個人的には逆判官びいきが発生して田中君を少し応援してしまったがまぁそれはそれで。どちらもよく頑張りました。


 まとまり無く思ったことを書いておく。

 数学をやる立場というのは、二つしかないと思う。ブルバキ的かそうでないか。論理的には明らかだ。しかし、この区分はモダンかポストモダンかという風にも読み替えることができると思うので、さほど意味の無い主張とも思えない。
 ということはおそらくずいぶん昔から言われている(のだろう)。それと比べて物理の立場を考えてみた。するとわかったことがある。物理はモダンでありえないのだ。

 まず始めに実験があった。とりあえずやってみて起こったことを記述する。ある意味で一番原始的な物理学の研究の仕方。
 次に論理が生まれた。様々な法則の間の関係性を記述する。それは常にイデアの世界で行われる。
 しばらくして、ドグマが生まれる。「物理学、かくあれよかし」と規定され、それが研究にある種の方向性を与える。


 と、歴史的にはここで近代に突入する。しかし物理はそうではない。ある種の第一原理は常に「自然」が持っている。それを過不足なく記述できたとすれば、それは物理学というプロセスが終わったことを意味するから、ブルバキ的公理化はあまり肌に合わない。


 そして、モダンを飛び越して現代に到着。公理化はいらない。論理ではない、形式の世界ですべてが行われる。それでもある意味で「モダン」な我々の心を満たす程度には、その営みは成功する。なぜなら、あくまで自然界との一致という「公理」があるから。


 どの態度によっても、おそらくは、物理はなされるのであろう。どれか一つに偏ることは、きっとよくないことだと思う。