宇宙意識に満たされたときの身体的特徴 2.24.2015
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ヨギの最高段階の意識を サピカルパ・サマディ と呼んでいる。
瞑想の中で意識を宇宙意識の中に完全に一致させた状態だ。
この時 身体の特徴的兆候がある。
肉体は死んだように硬直している。
一方、魂は、その肉体を忘れることなく意識している。
さらに 進んだ境地を ニルピカルパ・サマディ と呼ぶ。
この域に達すると、肉体的硬直はともなわず、日常普段の生活を
しながら、宇宙意識に溶け込むことができる。
傍目に見ていては、一般の生活者と変わりないように見えるが
そのヨギの心は完全に超越意識に達しているのだ。
シュリ・ユクテスワは ヨギになる夢を持つ弟子たちに次のように
説明している。
”ヨギは 呼吸を不必要にする独特の技法によって、普段、
心臓の鼓動を、維持するために消費されている生命力を
心臓から解放し、この解放された生命力を霊的進化の促進
というより高い目的のために利用するのである。”(引用終り)
生命力の利用、余剰に蓄えたプラーナを全身にはりめぐらす
ヨギの手法がある。
いわゆる、クリアヨガ と呼ばれる。
”クリヤを行うと生命力は意思によって、内的宇宙に導かれ、
霊妙な脊髄のエネルギーを再び合流する。
こうしてヨギの肉体と脳の細胞は生命力を補給され、
この霊的不老薬によって活力を更新する。”(引用終り)
どんな偉大で巨大な富と権力を持ってしても、購入できない
ものの一つに 息 がある。
息をする、”呼吸を規則的に行う” ことで生命は維持されるが、
呼吸が薄いからといって、まとめ買いはできない。
身体が”車体”なら、ガソリンが息にあたるだろう。
車の走行には、切らすことができないガソリンに代わる
”呼吸”を死ぬまでし続けていく。
当たり前だが、どんなに偉大な人でも破ることができない法則だ。
一方、ヨギは 大自然に隷属せざる得ないこの呼吸の法則を
超えようとしている。
肉体と心の支配者になること、心を感覚器官から切り離し、
直接生命力を制御して、死をも征服できるようになるという。
心を常に、脊髄中枢の超意識レヴェルに置くことのできる
までのクリヤヨガの熟練者は、過去のカルマに操られることも
ない。
さらに、新たに因果の種をまくことがないため迷妄
(五感の妄想で創り上げられる世界)に影響されず、
永劫の生命の中に自意識を持つことができる。
肉体を持っている以上、その魂の皮袋を脱ぐときは、
死として、必ずおとずれる。
ヨギにとっては、死を待たずに、この世にいながらにして、
永劫の自意識を持つことをめざす。
それができたとき、新たな意識に生まれ変わる。
それが ヨギ達のめざす、死の征服という意味でもあるだろう。
不二一元論、ヴェーダの真髄を、現代的にわかりやすく説いた
シャンカラ哲学。
それを説いた、シャンカラ翁は ’百詩選 ’を著書として残している。
そこに、ヨガを霊的探究として深めてきた先人や聖賢の意図を
記している。
師は言う:
”叡智のみが、無知を破壊する。
その叡智は 探究によってのみ得られる。
どのような探究か?
’自分は何か?
この宇宙はいかにして創造されたか?
これを構成している物質とは、いかなるものか?’
と探究を重ねて、無知を破壊する叡智を生み出す。
人間の知能は これらの疑問には何の回答も与えられない。
ただ、心の探訪、霊的探究 によって得られる”(引用終り)
インドの古代から存続するヨガには、このような深淵な目的が
ある。
いつの時代にも、心の探訪者によって掘り下げられ
実践されてきた課題である。
ヨギは常に、道にはずれることのないよう、神に祈り、
そしてまた、宇宙意識と一体になれる方法を与えてくれる
ように神に希った。
自分の中に神を見出すことは、傲慢になることでも優越意識に
ひたることでもない。
それは、他者、そして、身の回りすべてに対し、自分の中に
流れる大生命の祝福を見出すことでもあり、エゴという
小自我がいかに小さいものかを思い知ることかもしれない。
ヨギの求めに応じて与えられた道は、神の祝福とともに
神からの、コミットメント(約束)として人類に示された
大覚を得るための一つの、手段ともいえるだろう。