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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

母の壮絶な気合と脳梗塞

2015年02月21日 | 介護と自然治癒力

インドに行ってまいります

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介護などという言葉は畏れ多い。

 

母の自力の生命力、それが阻止されないよう

少しでも

横から介添えしてきたという言葉の方が正しい。


それを見せつけられたのが、今回の母の回復ぶり

の速さだった。

2月初旬土曜日、午前11時、アートマサロンを開ける前に

母に昼食を届けにいったときのこと。


母は倒れていた。 

大便が床に転がり、汚れた下着をつけて

唸っている。


肋骨をおっているらしく、体の位置を替えられない。

しかも、上半身を起こそうとしたとき、少量だが

茶色の液体を吐いた。

頭を打ってはいたとすれば、要注意だ。

すぐ救急車を呼ぶ。

 

ほどなくして救急隊が到着した。

係り員が母に聞く

おばあちゃん、意識あるの?大丈夫?”

母は明瞭な声で”痛い、痛い、”

と応える。


意識があるので、ほっとしたのか、10分ほど

かけてあちこちの病院に

電話をして受け入れ先を探す。

まず、整形外科に運ばれた。 

レントゲンの結果、肋骨の先端が2本折れていた。

 

整形外科医師に、”倒れて吐いたのですが・・

というと、

”もう数時間たっていますが、これから

まだ吐くようだったら、脳外科に行ってください

と言われ、

特に何もなければ数週間で自然に骨も

つきますから~”と言われた。

 

母はぐったりはしていて、徒歩も想うようにならず、

自宅の階段を登れるかと考えあぐねていたが、

入院するほどではないと言われ、帰宅しようと、

車いすで駐車場まで来た。


その時だった。

母は”気持ち悪い”と、言うや否や、思い切り 再び

吐き気に襲われてた。

 

すぐさま、再び、救急車が出動。

市内の総合病院の脳外科へアポがとられた。

 

MRIをとり、その結果を聞く。

”別に、脳に支障はないようですね。”

”脳梗塞だとしたら、こんなに元気なはずない

ですよ”

という医師に

”4年前、国立S病院でMRIを取ったとき、

動脈瘤があり、

いつでも くもまっか になってもおかしく

ない状態”診断されたというと、

”?そうですか? 何もないですよ”

と医師。

 

その動脈瘤が今回、破裂したかもしれないと

いう可能性は全く考えていないみたいだ。

 

母は、頭が割れそうに痛いとつぶやき、のどが

渇いた,水が欲しいと訴える。

水は飲ませれば誤飲につながり肺炎を起こし

かねないから上げる必要はないという医師に、

あえて、点滴をお願いした。


自然治癒力一筋できた母の体は、人(医者)

の脳智以上に、何が必要で、いつ必要かも分かって、

要求してくれるものなのだ。

 

吐き気ももうないし、脳梗塞だったら、こんな元気な

はずはないから吐き気は胃腸にヴィールス疾患が

あったのかもしれない~という判断が

下され、点滴をつけたまま紹介していただいた 

総合病院へ救急車で搬送された。

 

そこで血液検査など2回にわたって、精密検査の結果、


”異常ないですよ。 

数値はどれも皆正常。 白血球が多いのはヴィールス性の

何かではいた原因によるものでしょう。”と。


脚はふらつき、たっているのがやっとの母に、

一日だけでもペッドを提供してほしいと思いながら、

それを乞うと、

”歩けないのなら、どこか近場のホテルで泊まったら

どうですか?”

という医師に、少々、この時ばかりは、薄情さを

感じて、母を連れて、私の家に連れて戻った。

 

夜は30分ごとの頻尿。

そのたびに、起こされる。


喉が渇いたとカルピスをコップに何杯か飲む。

そうこうして、3日目、いざってトイレまで行った

母が相変わらず私を呼ぶが、こちらもさすがに

睡眠不足と、施術をして疲れ、休息が必要だった

せいで、半分、体が動かず、じっと 母の様子を

見ることにした。


すると、”なんとしても、便器に立ち上がる!”

と 大きな母の声。

腰が立たない母、しかも肋骨が折れている痛みで

まず、無理と寝ながら考えた。


つかさず、分娩室の妊婦のような声でうなって、

何度も力む声がした。


”う~ううんん” ”wuuuuuunnnn!痛い痛い!

よいしょもう一度 うううううんん"

母は強し。


こうして、子供を産み、育ていくのかと夢うつつに

まどろみながら考える。

 

数分後 トイレから物音がしない。

こちらも心配で眠気が覚めて、トイレのそばで

様子をうかがう。

心配で覗き込むと、当たり前のように便座に

腰かけている母。

それを見て、さらに、驚かされた次第だった。

トイレまでたどりつき、腰を自力で便座まで
持ち上げたことへの、驚きだった。

 

こうして 絶対良くなる という本人の意思の

おかげで、

3日目でデーケアにも行けるようになった。


車いすであまり、元気にいつものように大きな声で

はきはきと活動していなかったけれど・・・と

職員さんのその日の感想だった。

 

職員さんが 迎えに行った私に、不思議そう

に聞く。

”お母さん、脳梗塞じゃないですか。

今日はよだれが出ていました。

右側の唇も モノを噛むとき噛みにくそうで

と所見を述べられたが、この症状は

すでに 家に戻って数時間後から、出ていたのだ。


セラピーをしながら、顏の数か所を軽く爪で叩いて

痛いかどうか聞くと、何も感じないという箇所が

あった。

それは、唇の周り、目の周辺にみられたからだ。

 

肋骨のせいで前かがみ、足もあがらないのかと

思いきや、

どうやら、軽い脳梗塞で不自由になったらしい。

 

毎晩、添い寝しながら、セラピーをしていくうちに、

少しずつその症状も和らいできた。


インドへの航空切符を、すでにひと月前に購入

していたが、それも半ばキャンセルしようと

あきらめていたが、主人がバンコクから 

母が倒れて1週間後に、帰国した。


”今しかインドへ、行けないかもしれないから、

お義母さんの、回復も早いし、

自分が協力するから行ってらっしゃい”

と言ってくれる。


母が毎日デーケア―に行くのを見届け、夕方も

母が帰って来る前に迎える体制をとってくれる

という。


”後から後悔したくないし、この体験は自分にも

必要だとわかっているから。

次のステージに上るために”

と 夫は、有り難い覚悟を決めてくれた。

 

現在、2週間たって、母は、すでに食欲も出て

きて、よちよち歩いて台所へいって、洗い物

ぐらいはできるようなった。


着替えも 服を種分けしておいておけば、スカート、

セーター、上着と気に入ったものを自分で

きれるまでになった。


認知症のスイッチが時々はいるので、混乱する

ことはあっても、接する主人の優しい気性には 

母も素直になるらしい。


日ごろ、自然治癒力 を念頭に自分をはじめ、

家族に推奨してきたが、このバに及んで、母の

自然治癒力~ 治りたい、絶対治る、頑張れる~

という、そのバロメーターの信念も

衰えていないようだ。

 

インドへ予定通り出国することにした。

ケアマネさん、施設の職員の皆様、他、友人や

家族に支えられ感謝の一語に尽きる。