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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

難治喘息の克服=ある種の悟り

2015年02月09日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

 病は気から~不幸も自分の想念次第~それが本当なら苦労はない?       2015・2・9

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Sさんの最後の原稿部分です。

そして、光は境界線がないからすべてがこのアートマで繋がっているということも実感します。

本当の自分を知る、そういっても、すぐに体が楽になるわけではなかったのです。


浄化作用が現れて、時にはその辛さに負けそうになったり、不安が戻ってきたりすることも たびたび、ありました。

でもそんな不安定な自分は 本当の姿ではない。


どんな時も完全な自分こそ、本来の自分だと信じ抜く、そして前進していく、そうすれば必ず、どんなこともより良くなっていくほかないと確信します。


苦しみの深い苦しみの中を 幼いときから彷徨い不安の中を歩いてきた私に、一筋の光を投げかけて導いてくれたのは アートマエネルギーの存在でした。


このエネルギーは誰にでも流れている。

つなぎ合って、大きな和にしていきたい~と願います。


私の体験はささやかですが、喘息で苦しんでいる人や家庭不和で悩んでいる人達にとって、少しでも、参考になることができれば 嬉しく思います。”

 

 投稿文はここで終わっている。

死を宣告された難治喘息者だった彼女が何故こんなに元気になっていったのか?


振り返れば、セラピー後さまざまな反応に Sさんは、時には、怯(ひる)み、立ちくらみながら、”自分の本質は何か?”を 命がけで 問い続けていた。

 

 

そしてその答えは、頭ではなく魂で直覚で納得し、どんなに身体的に不完全と見えていても、必ず、本質の自分とつながるという希望を忘れなかったからこそ、これまでの長い道のりをほぼ安全に乗り越えてこられたのだろう。

 

実は先回のブログを投稿した後、Sさんから訂正か所を指摘していただいた。

それは、セラピー開始後 半年過ぎた頃 取っていた薬の摂取量と自己判断による、その減らし方だった。


物質的存在ではないと自分に確信がもてるようになるほど、ステロイドの錠剤服用が 不必要に思われてきた。

 

そこで、半年かけて8錠の錠剤を医師の許可を得ず、自分でジョジョに減らして3錠にまで落とした。

そして、前々回のブログの手記にあるように、突然”頭の血管が切れたかと思う様な半身まひ状況で起きれなくなる”状況に至る。


それから1か月の間に、わずか、ひと月で 再び 自分だけの決断で完全に 服用をゼロにしていたという。

そして大発作が起きて大学病院に運ばれる。

この間の薬の摂取量がきちんとブログ上に説明されていなかったようだ。

 

しかし、この大発作を契機として、それまで ほぼ毎日、通っていた喘息専門医から大学病院へ拠点をうつし、さらに、新薬を飲むという条件でステロイドの服用はかなり軽減された。


そして、新薬に対しても、ステロイドに対しても、今まで感じたことのない愛念と感謝を持ったのも、新しい体験だった。

 

 

 

先覚者の言葉がある。

”During physical curing process, the attention should be

not on the disease, but on the infinite powers of the mind."


身体的癒しを求めるとき、病気に注意を向けるのではなく、心の持つ無限の力に焦点を合わせよ。

 

無限の心の能力とは、潜在意識は心の動きをもさしている。

潜在意識は、無意識に 心と行動を動かす源泉ともいわれ、90%の情動が潜在意思から、10%が顕在意識から出ているといわれる。


自分の心といっても、今、意識している心の働きは氷山の一角に過ぎない。

潜在意識の 汚点(これが弱い、ここが悪い、生まれつき~病になりやすい)といった意識をとりのぞくためには、信念 と 意思 の力が大きいだろう。


心が変われば、手記にあるように、周りの人達、家族や親せきを含め、軋轢がなくなり、調和の世界が広がっていったということで 体験談は結ばれている。

Sさんは、今現在、新薬も打ち切り、ステロイドは半錠の服用まで減らすことができている。

 

 

 

ある人は聞くだろう。

そんなこと言っても、不幸や悲しみはいくらでもある。

想念や念力で幸せになれるのなら、苦労はしない”と。

 

あなたの目の前に何があるだろう?

テーブル? 椅子? 本? テレビ? 確かに、信念・想念や念力を強くして それらのものを目の前から消そうとしても消えないだろう。

同様、自分の病や境遇も消すことはできないと、考える。

 

テーブルも椅子も本もペンも、どうしてそこに存在しているのだろう?

それは他者の念が加わって、そこに存在しているからだ。他者の念とは、たとえば、それを設計した人、商品として開発した人、必要とする人(あなた)、の念があるだろう。


それぞれ、”良い製品をお役にたてるものを” と心に置いて、その物品と面してきた人達の心が一つになって、それは完成された。

そして、最期にそれが”欲しい”と手に取ったあなたの心が加わって、そのものは

今ここに、存在している。

 

 

 

皆の想念といえば、国民意識や、社会常識というものも同様だ。

たとえば高熱を出した子供を氷に体ごとつけるのが良いとあるフランス人はいう。 


一方では、梅ぼしとほうじ茶を飲ませて、温かくして発汗させればよいという人もいる。

子どもがハクションとくしゃみをしたらすぐ、医者に連れて行く母親もいるし、良く寝ていれば治ると平然としている祖母もいる。


こうした時の、決断も 自分の決断といえども、案外、無意識に、一般的・大衆的電波の大きな波動のエネルギーに知らずに同調してそれにしたがっている場合が多いのではないだろうか。

 

想念で 不幸やSさんのように難治喘息が改良されル原動力も、先ほどの、目の前のペンや本が存在する原動力も同じ、念、想念の力だ。


何が違うかと言えば、前者は、自分の想念、後者は多くの人達の念がかかわっていることだろう。

 

自分自身の心身に関する個人的問題を解決するのに、回りのいかなるエネルギーをむしろ押し返すだけの強さが持てるかどうかは、その人自身の信念次第だ。

それはその人の心の力による。


自分の本質は生命だ。

生命というのは生かそう生かそうとするエネルギーの流れだ。滞ったり、腐ったりするのは、そこにそのエネルギーが流れなくなったときに起こる。

それは愛の裏返しだ。


愛は決して周囲を傷つけない。 反対に、生かそうとする力だ。

生きとし生けるものを生かそう生かそうとする太陽のエネルギーと同質だ

 

覚者はだから私たちに問う。

汝は自分のイメージをどうとらえているか?”と・・・。

Sさんが3年かけて到達した今のステージも、この問いを常に自分に投げかけてきたからに他ならないだろう。

 

念という字は、分解すると、縦に上から下に、今の心 と書く。


今の心、今、どういう信念で自分をとらえているか、その連続が念力という念の

力になるのだろう。

 

 

 

 

 

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