自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

宋さんの養生法

2013年04月21日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

死をギリギリにして 平成25年4月21日

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癌と同様、難儀な心臓病で何度も死期を迎えそうになった、

池見博士の患者に 宗さんという人がいる。

ある病院で、心電図を量れば、その変化があまりに有りすぎて、

心電計が壊れていると医師が判断して

再度撮り直しということもあったぐらいだという。

宋さんは、何度も死線を越えて、もういよいよダメだと

 自分で見切りをつけたことがあった。

そこで、残される子供たちに、遺言として、次の言葉を残そうと

書き留めた。

それは、日常生活の心得についてだった。

 

1.  浮世離れをすること、他人のことを気にしない

2.  自然を友とし、自然に溶け込むこと

3.  医者は病人ではない、と心得て、自分に一番あった、

養生法を見つけること

4.  病人ながらにできる仕事を忘れない

5.  信仰にたよらず、神(自然の掟)に従うこと

とある。

 

1)の、浮世離れすることとは

自分の視点をもつことだろう。他人の目で価値を判断しないこと。

2)の自然に溶け込むというのは、

自分と自然の本質の同様であることを自覚し、自然に調和した生活

を心掛ける事だろう。

3)の医者は病人ではないというのは

医者の示す療法は とかく、マニュアルにはまりがちであることを知り、

自分の体が何を一番欲しているのか、直観で知ることでもあろう。


とかく、大病院では、全体的な判断が足らず、人間的ではない

扱い方に甘んじなければならないときもある。


自分の病は 自分のものなのだから自分の自然の心に聞いて、

一番良いと思われる方法を選びなさいということなのだろう。

4)の自分のできることは

病人であるということに甘んじることなく

できる範囲で、する、かつ、仕事という責任感をもって、人様に

貢献できる何かをし続けることの大事さを言っているのだろう。

5)の、信仰にたよらないというのは

弱いときの、神頼みをして、神様にすがる という気持ちから、

自分自身を忘れることがないように、という戒めだろう。

 

先の 池見博士の自説にも、宗教に潜む、陥りやすいマイナス

ポイントとしてこの点は、あげられていた。

自分を忘れた神頼みは、ある意味、宗教の奴隷 と化してしまう

ことがあるからだ。

 

この 養生訓 を書いてから、発作はあるものの、小康状態を

保っていた宗さんであった。

池見医師は、この宋さんに対して、有るとき、九大医学部の

専門課程の3年生4年生の臨床講義に出て話してもらうよう

頼んだ。


宗さんは2時間かけて、自宅から大学まで、バスにのって

やってきた。

そして、講義が終わってから、ふところから ある書類

を取り出した。

それは、九大の ’医学部長宛ての、誓約書’ で、封筒の表には

宗さんの 親戚の電話番号が記されていた。


誓約書の内容は、

この軟弱な体で九大に行き、講義をすること、

(その最中に心臓発作が起こることを想定して、)

その講義は、自分の意思でしたことと、よって、九大医学部には、

その責任は無いこと。

死んだときは、死体解剖をして、医学研究の参考にするように

という意思もしたためられていたという。


このように 常日頃、死を意識している宗さんであったから、

彼の語る、その言葉 一つ一つには非常な説得力があり、

全学生に共感と感銘を与えたと池見博士は記している。

 

同時に、現代文化が死を忘れた文化であるからこそ、

病気になってからの心の準備が整わず、苦しみを倍増する場合

があると博士は指摘する。

“現代は科学や医学が進歩し、私たちはその恩恵の浴して

生きている。

 

これはありがたいことではあるが、苦しい事、危機に対する

精神的肉体的体制はすっかりもろくなってしまった。

…略…

死を忘れた文化は単に人が死のことを忘れているということ

ではない。

人生観や価値観に深くしみこんでいる。

そういう人生観や価値観は病気をしている人を苦しめるものとなる。“

 

死 を怖い疎ましい存在として捉えるか否か?

死 を新たな出発と理解できるか?

あるいは、脳死とともに、自我意識が消えて、すべては無に帰する

と信じているか?

人 それぞれの考え方があるだろう。

 

宋さんの遺書の文言に、首をかしげる人もいるかもしれない。

唯脳論者であるという読者がおられれば、この機会に、3月中旬の

筆者の拙いブログを 気の向いたときにご覧いただければと思う。 

かちかちの、唯脳論者だったと述懐する、元福島大学教授、

飯田史彦氏の”死者との霊交信記録”が、紹介されている。


死ぬということ、死んだあとの意識の持ち方、あるいは、

この世との関連など、元福島大学飯田教授は、自著に記している。

 

ドラマチックで、信じがたい話ではあるが、氏の体験談だから、

ある意味 科学的といえるかもしれない。

 

日本全国津々浦々 あの世からの霊魂が飯田氏の心に訴えかける。

”助けてください。私は浮かばれないのです。

残してきた家族に許してもらい、受け入れられるまでは・・” 

 

その、切実なテレパシーによる訴えが 氏の心を突き動かし、

これまで日本全国、駆け巡り、無償でその訴えに こたえて

人知れず、活動されてきた。(*1)

その体験は興味深く、また、私たちに何かを訴え、未知な領域へ

目を向ける説得力を持っていると 感じている。

宋さんの養生法を間接的に、裏付けるお話しでもある。

 

 

注1) 3月7日、12日~18日 ブログに掲載

参考)池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、

日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会

を設立し、初代理事長になる。


翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された

精神身体医学研究施設

(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、

心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。


九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、

国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。

 

参考図書)

”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

 

 

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