
生きている実感
2024年10月19日
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”子育ての責任も終えて、両親を見送り、育児や介護生活
から自由になった今、 自分が望むことは、何なのだろう?”
と改めて、自身に問いました
そしたら・・・。
①”自分が生き生き感じられてくる”時間を過ごしたい
②”どんな状況にもかかわらず、あたたかく、見守られて
いて、安心できる境地に達したい”
③ どんな問題に面しても、不安はなく、人間関係では
どんな相手に対しても、少なくても、優しい心持を
持っていたい
④”ここでこうしていたいという気分になれるほど、
安寧の心にひたりたい”
⓹”本当の自分に、還った気がすると思える相手や
その動機を大切に自覚したい
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① の自分でいると、
心が軽い とか、 目が輝いているとか、何かに
挑戦したくなるとか、ポジティブになれます。
他者と一緒のときは、特に、相手の目が、輝いてきたり、
エネルギッシュな感じをうけるときは、お互い様で、
自分も、同様に リラックスしながら、活き活きしている
のだと思うのです。
自分だけ、輝いていたり、相手だけ、活き活きしていると
いうのは、あまり、無いようです。
②見守られている という意味は、誰に?
必ずしも、人とは限りません。
信仰対象であったり 亡くなった人であったり、
でも、・・・自分が生かされている、護られている、
自分自身では左右できないプログラムを作る、
大きな力に、”見守られている” と感じるときも
あるでしょう。
③の”問題があっても”、それに不安感を、増上
させることなく、淡々と、受けていれ、目の前の
できることから片付けていれば、問題は、いつの間にか
解決していることがあるものですね。
それが、わかっていても、私の中の、不安や、怒りや、
不満などの感情で、マイナスエネルギー色に、意識を
染め変えてしまうと、なかなか、そうはできないもの
です。
わかっているから、それをコントロールするのは、
自分しかないから、これも、”修業”ですね。
人間関係でも、相手のイラっとする行為や言葉に、反応
したり、自分が振り回されたりせずに、淡々と、
受け入れてぶれない、自分を保持していきたいと、
せつに願う、今日この頃です。
④ ③で書いた、”精神的余裕”があってこそ、”安寧”な
境地に収まるのだと思います。
⓹ 本当の自分って?
先日、友達と山道を散歩してました。
名も知らない、小さな、雑草が、黄色い、五輪の花びらを
広げ、直径1センチほどの、小さな花を開花させていました。
”ああ、誰にも、観られないこんな処で、ただ、咲いている
・・・それも、完全な均整のとれた美しさで・・
この花のように、無言で、無抵抗に、無主張で、ひっそりと
生きている喜びを体現しているのを見て、自分自身になるって
こういうことなのだろうと、なんとなく、感じたものです。
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そして、最期に・・
この5つの目標は、たぶん、自我意識が芽生えたころ
から、私の心の奥に、いつも、あったと思いました。
あっても、生活の諸事、仕事、などに、追われて
言葉に出して反芻するゆとりがなかっただけ・・・
でも、私にとって、この5つの条件が 満足に
ならない限り、人生の、本当の私の目的が、完結
しないような気がします。
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