自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

心療内科:セルフの気づきに潜む魔境 

2013年04月16日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 日常態にしがみつくあがき   平成25年4月16日

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東洋行法に通じた、心療法を開発している

池見博士は、魔境 という言葉を国際学会で使って、

有名にした。

英語でmakyo とも言われ、この魔境の対処はいかなるものや?

~という質問が 海外からの問い合わせとして、

来ることを 著者の中に、書いている。

 

魔境 とは、禅定などで悟りを開くための瞑想中、

その悟りを阻むもろもろの 抵抗や心の状態をいうのだが、

それを、現場の、心療法の中で使っているのは

興味深い。

 

白隠禅師の故事などにも触れている。

苦行の中で、自分の内側を見つめていく間に、

狂死した大師の弟子は多かった。

それほどまでに、人が本当に自分をみつめることの

苦しさを物語る逸話として残されている。 

 

内科診療で、患者が、自分の心と向き合ううちに、

その苦しさが 死にたいという 欲求に変わり、精神分析中、

自殺をはかる患者もいるという。

それでそのような、中途で患者を襲うストレスを魔境と

博士は呼んだ。

 

精神分析的療法の一つの目的は、博士の定義する処の本来の

ナチュラルな自分、

”自分の自然な子”を、想いだして 

そこに戻る自覚を呼び起こすことにある。

 

そして、現時点にいる”世間の子”としての 本来の自分との

大幅なずれを意識させることでもある。

 

だから、そのずれが大きければ大きいほど、患者は

パニックを起こしやすく、本来の自分を、気づくことへの

恐れさえいだくことがあるという。

 

池見博士は、

“そこで、精神分析では、気づきへの抵抗をうまく処理して、

患者を致命的なパニックに陥れないようにして、本来の自己

への目覚めを助けるということが大切なポイントとなっている” 

と述べる。

 

セルフの開眼とは、ある意味で、禅定でいうところの

悟りを開くという意味合いと重なり合う。

自分がいずれは肉体死を迎え、

限界を認めなくてはならない存在であること、

しかし、宇宙的広がりを持つ自分の本質を知ることによって、

人生の創造的な面を意識し、生きる意義を達成できるのだ。

 

そのあたりを、池見博士の言葉では、

“セルフの本態と個としてのセルフを貫いて、宇宙的広がり

をもつ、隠された秩序への気づきは、性格的なゆがみへの

気づきなどよりは、一段ときびしく、それに対する抵抗は

もっとも深刻なものとなる。

 

そこでに人間たちは、日常態にしがみつくことによって、

本来態から眼をそむけようとして必死のあがきを続ける” 

(注:棒線筆者)

 

ここで言う、宇宙的広がりをもつ隠された秩序とは、

宇宙を貫く、理性であり規則であり、

円満な軌道を保たたせている、法則でもある。

その宇宙に流れている秩序と同質なものが

私たちの生命にも流れているという

事実を知ること、それが 大きな気づきである。

 

 

一日で悟れるようなら、人間、修行や苦行、

あるいは苦しみや悲しみに心が焦がれることは、ないだろう。

引用した上記の言葉の中にある、

”眼をそむけよう”とするのは、面倒くさい、内なる眼でたどる、

長い道のりの展望 に蓋をして、とりあえず、身近なところで

気分転換をはかり、時間の流れにまかせ、気分を快活に

保とうとする試みを さしている。

 

博士の言葉でいうのなら、

“日常態にしがみつくことによって、本来態から眼を

そむけようとして、必死なあがきを続ける。 

たとえば、確固とした社会的名声、安定した財産、

信頼できる人生の伴侶、友好的な社交クラブなど、一見、

本来態がもつ、厳しさに耐えうるようで、実は幻の砦に

すぎないものを築き上げることに専念したりする。

 

しかし、人生行路での多くのつまずき、最愛の肉親の死

などの試練が重なって、本来態のきびしい横顔をチラチラと

垣間見るようになると、もっと安易な方法として、現代文明

が提供する、さまざまな享楽、さらには、アルコール、

心をしびれさせる薬品などによって、現実からの逃避を

企てたりする。“

と述べている。

 

 

さらに、一見、魔境の境地とは 裏腹な現象の中に、

魔境の存在を警告している。

こうした、厳しい道を受け入れた人に見られる現象だ。

自分は、本来のセルフに向かっていこうと

目覚めたと思う人たちが陥り安い境地だ

 

“今まで、意識しなかった自己の正体に少しでも気がつくと、

それを喜び、やがて、得意になり、そこに安住して、

それから奥へ進もうとしなくなるといった反応が良く起こる。”

 

慢心である。

霊的プライドにも通じる。 

自分は悟ったと、あるいは、悟りに近づいているから、

まだ 享楽にうつつをぬかしている人たちを目線を

下げてみてしまう。


悟りとは、何か?という問題にもなる。

悟っていると思っている間は少なくても悟っていない

ということだ。 

 

闇が濃いとき、一本の細い蝋燭の灯だけでも、明るくみえるものだ。 

背後の闇を明るく輝くすのには、

何本のろうそくが必要なのか? 

慢心に充ちている人は、あたかも、

一本のろうそくの光の輝きに酔いしれて、

その背後の大きな闇に気がつかないようなものである。 


だから、一本ついたら、まだ、自分の足りなさを見ようとする。

また、一本ついたら、心の隅にある、塵あくたを取ればいい。

こうしながら、謙虚に少しづつ、

自分の心の部屋が明るくなってくるだろう。

 

そして、明るくなればなるほど、ちょっとの、ごみすらも目に

入るから、すっかり綺麗になるまでは、“わたしは悟った”と

言えることは不可能になるだろう。

 

 

池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。


昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、

帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)

日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。

翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された

精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、

内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法

を体系化、実用化に尽力した。

九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、

国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。

 

参考)

”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

 

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