ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

人間の生きざま&当たり前のtokio の謝罪会見

2018-05-02 21:19:23 | 日記
    人間の生きざま&当たり前のtokio の謝罪会見
 メンバの一人が犯した、未成年者への強制わいせつ事件を受けて他の4人が揃って謝罪の記者会見を行った。
冒頭に述べられた、4名のメンバーの謝罪の言葉を一通り聞いた。
4名ともそれぞれが自分の言葉で被害者やその家族に丁寧にお詫びし、そしてこれまで彼らを支えてくれた関係者やファンに心からの謝罪をしていた。
ごく普通の大人がごく普通の謝罪会見をしていたのだが、何とも言えぬ不思議な感覚を覚えた。
彼らのそれぞれの謝罪の言葉を聞いている時は、その不思議な感覚の正体がわからなかったが、それはまぎれもなくある種の感動であった。
 tokioとして長い時間を共にしてきた同志としての社会的な責任、更には自らが深い闇に転落してしまった仲間への無念の思いを滲ませながらも、彼らの誠意と潔さが感じられれその毅然とした態度が印象的がに残った。
大人の男の生き様と言うか、微動だにせぬ信念が彼らが身に付けた男の美学として全身から感じられた気がする。
彼らの謝罪には一点の迷いも、打算も感じられなかったからである。
現代のトップアーティストでありながら、見栄やプライドそして人やグループの損得などに拘る姿は最後まで見られなかった。
連帯責任云々とかの問題ではなくて、「一人は4名の為に、4名は一人の為に」という思いに揺れる心と、大切なメンバーの苦境と、大人としての社会的な責任の取り方に悩む彼らの気持がストレートに伝わってくる。
人気アイドルグループでありながら、終始毅然とした態度を崩さず、自らの真摯な言葉で謝罪を繰り返す大人の男の思い悩む姿が心に残る。
 当たり前のことを当たり前に通すことが、なんと素晴らしいことなのかを改めて思い知った気がする。
ウソと言い訳と隠蔽、改ざんなどが国政の場でまかり通る、昨今の安倍友内閣、自己保身と忖度しか考えぬ、その一連の政治家や官僚の存在を日常的に目の当りしていると、如何に普通のことを普通にやることの大切さと難しさが思い知らされる気がする。
 誠意や正直、社会的な公正・公平、他者との共存を社会の価値観から排除しひたすら効率と大企業の国際競争力のみを追求してきた偏差値70のエリート集団が構築した、現在の日本社会とはいったい何だったのだろうか。


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