河村龍一の「月の癒し」~銀河鉄道の夜

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「死後の世界」~死んだら人の心はどうなるのか? その・2

2014-09-19 22:57:35 | 日記
(ペガサス座流星群)
今宵、銀河鉄道の夜に訪問していただき、ありがとうございます。
現実の世界に疲弊した皆さまを、夢とロマンの時空にご招待します!

前回は「人の死後の心」や「臨死体験」について、NHKの報道スペシャル番組で放映された、最先端の脳科学者たちによる検証結果をご紹介しました。

しかし、納得できるような解答は得られなかったと思います。
だいいち、死んだら「心が消える」なんて結末は、あまりにも「普通な解答」であり、落胆した方も多かったのではないでしょうか。
このテーマを語るには、夢やロマンがありませんよね。
(これだから、唯物論的科学者たちは、センスがないっ! チューの)

そこで今回、皆さまが安心して『あの世』に行けるお話を述べてみます。
少々、科学的なお話になりますが、分かりやすく記載しますので、どうか途中で眠らず最後まで閲覧してください。
人類にとって、大変重要なことですから(笑)

「死」を語る上においてまず、「生」から入っていくべきですね。
生命現象とは、私たちが住んでいる銀河宇宙において、実に不思議な現象なんですよ。

地球上の生命誕生について簡単に掲載しますが、【】内の記事は、トバしても結構ですから、結論だけ先に読んでみてください。
そこで興味がわきましたら、参考までに【】内の記事も読んでみてください。

*生命~分子生物学
【地球上の生命は不思議な現象である。
分子生物学は、生命とは分子を部品とする機械と見なしている。
地球生物の部品の中でも特に重要な化合物は核酸とタンパク質であり、これらは、さらに小さな化合物が集まってできた巨大分子である。

核酸は塩基とよぶ4種の化合物、リボースまたはデオキシリボースとよぶ糖の1種、それにリン酸がいくつも連らなった化合物である。
タンパク質は20種のアミノ酸がさまざまに連らなった化合物である。
太古の地球上では、メタンとか二酸化炭素、水蒸気に放電とか宇宙線のエネルギーがあたって、自然に反応がおこり、その結果、アミノ酸、糖、塩基といった化合物ができた。

これらの化合物は当時の海にとけ、海はまるで栄養豊かなスープのようだったと考えられている。
海の中ではアミノ酸同士が互いに連結する反応がおこり、タンパク質に似た化合物ができた。

同じように塩基や糖は、すでに海の中にとけていたリン酸と反応して、核酸に似た化合物へと成長していった。
やがてアミノ酸に似た化合物と核酸に似た化合物がうまく組み合って、子孫を残す能力、外界から物質を栄養としてとり込み、そこからエネルギーを引き出す能力を持った最初の生命が生まれてきた。

その時から、生物進化が始まり、何十億年かののちに、ヒトが出現したということである】

以上ですが、生物学者たちの説明によりますと、原始的単細胞が集合して下等生物が誕生するということは、ゴミ捨て場に置いてある金属片の屑が竜巻などで上空に巻き上げられて偶然、ジャンボジェット機になって空を飛んだことに匹敵するそうです。

さらに、地球上で唯一文明社会を築いた知的生命体である「人類」の発生確率などは、数千兆分の1以下だと言われています。

よく考えれば分かりますが、死の間際「臨死体験」できるほどの脳機能を持った生物である人類の誕生は、まさに奇跡的な一大イベントであり、とても偶然に発生できるはずがないのです。

近年、人類誕生についての新たな理論として、「インテリジェント・デザイン論」という理論が科学界で注目を浴びるようになりました。

人類は「超知性」によりデザインされて創造されたという理論です。
生命や人類の誕生については、「超知性」による定められたプログラムだったのではないだろうか、というものです。

インテリジェント・デザイン論は「聖書」を根拠としたキリスト教徒などの「創造論」とは全く違い、「進化論」に疑念を抱いた科学者たちによる新たな理論です。

生命は単なる有機化合物がうまく組み合って偶然により発生したのではなく、人知を超えた神的な『超知性』による創造という、超的なシンクロ二シティ現象だというのです。

*消え去った進化論(『超知性』の存在)
【ダ―ウィンの進化論によると、すべての事象は方向性を全くもたない自然由来の原因が偶然に、そしてときとして必然性が起こり、自然界のすべてを形成してきたと考えられている。

しかし、現代科学ではもはや、ダ―ヴィンの進化論でいうところの、突然変異や自然淘汰という『偶然』の積み重ねだけでは森羅万象のすべてを解き明かせないのだ。
また、ダ―ヴィンの進化論だけでは生命の複雑な構造についても説明できないのである。

生物の進化はあまりにも複雑でデリケートであり、進化論という唯一の『仮説』だけで説明しきれるものではないと考える科学者の数が多くなってきている。

生物の由来については何らかの知的意図が存在するのではないか、それは太古の時代から何世紀ものあいだ存在し続けて、地球上の生物の創造及び進化に影響を与えてきたのではないだろうか】

次に、長くなりますが、物質と宇宙、生命と霊魂などについて、天文学及び理論物理学に深層心理学を融合させて検証してみました。
眠くなるので、【】内の記事はとばしてください(笑)
最後の結論が重要ですから!!!

*理論物理学及び天文学で証明 この世はミステリー現象
【我々が住んでいる宇宙において、物質や生命は実に不思議な現象である。
物質は原子で構成され、原子は原子核と電子に分類される。
原子核は陽子と中性子で結合されている。
さらに陽子や電子などは素粒子である。

その素粒子であるが、ビッグバンと呼ばれる宇宙創世初期に、最近話題になった『ヒックス粒子』なども含め十五種類の素粒子が誕生した。

また、光速度が秒速30万キロでないと、我々の住む宇宙が存在できなかったのだ。
このことは、アインシュタインが一般相対性理論において、アインシュタイン方程式の中で説いており、重力定数の難解な方程式の中に光速度が組み込まれていることからも証明されている。

先般、『光速度を超えたニュートリノ素粒子』が発見された旨、各メディアで報道された当初から私(河村)はその報道内容に懐疑的であった。

もし、その発見が事実ならば、我々の住む宇宙や物質そのものが成立できなくなってしまうからだ。
だが、逆にいえば重力定数の数値が示すとおり、光速度が秒速30万キロメートル(真空中の速度)だからこそ、我々の体などの物質や宇宙全体が現在の状態でいられるのである。

このような偶然がはたしてあり得るのだろうか。
本来、光速度が秒速20万キロや50万キロだったとしても不思議ではないはず。

しかし、そのような光速度ならば重力定数が極端に変わるため、物質を始めとする宇宙が存在しないか、若しくはフニャフニャな状態の形を成さない物質(?)宇宙になり、我々のような生物など存在できない世界になってしまうのだ。

日頃より、我々の住んでいる宇宙など当たり前に存在していると思われがちであるが、実はアインシュタインの重力定数が示すとおり、光速度が30万キロという絶妙の数値でこの世は成り立っているのであり、我々の住む物質宇宙の存在自体が奇跡的な現象であると認識を改めなくてはならない。

現代物理学を支える二大理論は相対性理論と量子論である。
量子論はその革新性と有用性において、相対性理論を凌ぐといわれている。
量子論は『ミクロの世界の不思議なルールを解明した理論』である。
実用性に富んだ理論であり、パソコンや携帯電話を始めとするハイテク機器の心臓部であるLSIなどの半導体部品の原理は量子論の上に成り立っている。

また、近年話題になっているナノテクノロジーは、量子論を応用したミクロの世界の最新技術のことである。

ドイツの物理学者ハイゼンブルクは、ミクロの世界の物理学である量子論の考えかたを『不確定性原理』と表現した。

それによると、
「ある物質の位置と速度を測定する時、両者を同時に測定することはできず、避けられない曖昧さが残る」
「自然現象に絶対はなく、その本質は曖昧でいい加減なもの。自然をあるがままの状態で観察することはできない」と断じている。

量子論が示す物質観、自然観の特徴を、デンマークの物理学者ボーアは『相補性』という言葉で説明した。
相反する二つの事物が互いに補い合って一つの事物や世界を形成しているという考え方である。

たとえば、物質は粒と波という、まったく異なる性質をあわせ持っている。これが相補性である。前述した不確定性原理も相補性だ。

また、不確定生原理によると、ミクロの世界では、『ゆらぎ』があるという。ゆらぎがあるということは、エネルギーを一定にすることはできないということだ。

つまり、すべての物質を取りのぞいた空間も、そこに存在するエネルギーの量はゼロという一定値とはならないということである。
真空のエネルギーとは、いわば、そこに空間があるだけで必ず存在するものである。

これは近年、その存在が確認された未知のエネルギーのダークエネルギーの性質ともよく一致する。

現在の宇宙は、ダークエネルギーが73パーセント、ダークマターが23パーセント、物質が4パーセントの比率で存在しているという。
このように我々の住む物質宇宙の実態とは実にミステリーである】

*物質宇宙と重なり合う別の世界の存在が、最先端科学により照明された
【相対性理論は、我々の住む縦、横、高さの3つの方向を持つ3次元空間を前提にして作られている。
しかし空間には、第4の方向、第5の方向……というように、もっと多くの方向(次元)があるかも知れないと物理学の世界では考えられている。

素粒子物理学や宇宙論においては3次元よりも高次の空間を考えないと説明できない現象があるからだという。

現在、空間には9ないしは10の方向があるとする仮説が提唱されている。そうした高次元空間の中で薄っぺらい『膜』のような状態で存在しているのが我々の3次元宇宙らしい。

これを『ブレーン宇宙論』という。
仮にこのような高次元空間が存在するのであれば、3次元空間しか想定していない相対性理論の方程式に高次元空間の性質を加えるような修正が必要である。

つまり、我々が住んでいる物質世界の従来の概念も根本的に変えねばならないのだ。
量子力学の父といわれるボーアは、『この世』が唯一の世界だという私たちの考えそのものが間違っているのでは? と示唆し、我われが体験している『この世』は多くの異空間が混じり合って、互いに干渉し合っているのだと主張している。

私たちが一つの世界しか認識できないのは、別の世界が介在しているという可能性を、私たちが意識を介入させることによって消し去っているからであると、ボーアは言う。

量子力学の実験によって、私たちが生きている空間の中には、ボーアの言うように漠然と重なり合っている二つの以上の世界が存在するという可能性を信じなければならなくなってきた。
これはスウェデンボルグが言う「霊界ではあらゆるものが意識を有しており、とくに人の意識が強く干渉し合っており、『この世』も一種の霊界で、すべての霊界が染み込んでいる」との主張に一致する。

つまり『この世』のミクロ界には『霊界』(あの世)が染み出ているということになる】

「結論です」
銀河系内・外宇宙において、我われの想像を遥かに超えて存在している『超知性』により、各銀河宇宙内の主系列星系の公転軌道上を周回する地球型惑星に、人類などの炭素系生命体が何らかの目的のために創造されたようです。

『超知性』は、物質世界(宇宙)を創造し、そこに未知のエネルギーを注入するなどして多種多様な生物を発生させ、各生物が環境に応じて進化してきました。

生物の死後、霊魂と呼ばれる未知の生命エネルギーは、最終的に各生物種の集合的魂に同化されるでしょう。
人間は死ねば肉体的に『無』に帰すが、自我・意識を持った霊魂が、未知の生命形態に転化し、『ブレーン宇宙論』でいう我々の宇宙と重なって存在する高次元時空に移行するのではないでしょうか。 

そこは量子論でいうところの真空エネルギーが存在する未知の空間である不可視領域であり、『あの世』と呼ばれている人類の集合的魂の存在する世界ではないかと思われます。
個人の霊魂は、そこで人類の集合的魂に同化されるようです。

ただし、次に述べることは大変重要なことです。
私が直接見聞した親族・友人たちの「臨死体験」について、今回非常に参考になることがありましたので、皆さまにご紹介します。

私の親族が数年前、脳梗塞で死にかけました(3日間、心肺停止状態で殆ど死亡)が、奇跡的に生還しました。
仮にその人物をAと呼びますが、Aは次のように言っていました。
「あの世なんかない。俺は一度死んだそうだが何にもわからなかった、真っ暗闇としか言いようがない……」と、臨死体験を否定し、死後の世界などなかったと言いきりました。

一方、自衛隊で同期だった私の友人が入隊中、私の目の前で高台から転倒し、彼はコンクリートの床に後頭部を打ちつけて意識不明となりました。
その後友人は救急搬送されましたが、耳から出血している友人を診察した医師は、もうだめだろうと諦めていたようです。

友人は1週間近くも「あの世」に行ってきましたが、奇跡的に生還し、次のように語っていました。

「大きな川があったんだ。川の向こうには京都のお寺のような建物が建っていたよ。そこは、すごい綺麗な風景で大勢の人が川を渡っていた。
俺はすぐに三途の川だと思った。もう死んだと思い俺も川を渡ろうとした時、誰かが俺を呼んだから振り返った。
そしたら、俺は目覚めて、ベッドで寝ていたと気づいたのさ。あれは間違いなくあの世だったぞ」と。

どうでしょうか。
二人の「臨死体験」の違いについて、その理由を私は聖書から見つけました。そして、「臨死体験」と「死後の心」についてあるヒントが浮かんだのです。

聖書では、一般的に死後の世界はないと述べています。
しかし、イエス・キリストは、死後の世界がない絶望的な人間に、聖書の中である救いの言葉を述べていました。
「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の孔を通るよりむずかしい」と。

死後、天国つまり「あの世」はあるが、金持ちは行けないと。
これは、貧乏人だったイエスのひがみではありません。

このことは、人間が金持ちになればなるほど「物質浴」にとらわれてしまい、霊魂が欲望に覆われて重く(汚染され)なり、人間本来の「神聖な魂」から変貌し、結果、物質世界にとらわれてしまった人間の霊魂は高次元に転化できなくなることを意味していると。

Aは、まさに「物質浴」の塊のような人物でした。
一方、自衛隊の同期だった私の友人は、誰にでも好かれる温和な性格で、無欲な人物でした。

「臨死体験」そして「死後の心=意識」について今回、私は気づきました。
あの世などない、神仏もない、この世だけの人生だと思っている「物質浴」にとらわれている人間には、そのとおり、死後の世界はないのです。
霊的な心をまとっていない単なる物質と化した肉体がなくなれば、心も永遠に消えてしまうでしょう。

逆に、クリスチャンのような生き方をしている人間や、私の自衛隊の友人のような、「魂の浄化された状態」の人間は、死後別の生命形態に転化しあの世も存在すると。

余談ですが、『あの世』の各生物種の集合的魂が、『超知性』を介してそれぞれの生物の進化を司っていると解釈すれば、地球上に生息する生物の進化に説明がつきます。
このことは銀河系内・外宇宙の各主系列星系についても同様な現象でしょうか。

地球や人類の誕生については依然、現代科学では説明が不可能ですね。
しかし、霊魂の存在や、我々の住んでいる宇宙誕生の謎も、いずれ、全て解明される日がくるでしょう。

私の仮説を補足する意味において、スウェデンボルグの著書『霊魂と肉体の関係』の中から一部をご紹介します。

「霊魂という力がまず第一段階の流入、あるいは自己顕現として次の段階の『心』になり、ついでそれが次の段階で肉体になり、ここでそれは『自然的』、つまり『物理的』法則に従うものとなる。

霊魂は自分自身で『衣服をまとうように』自分に有機的な肉体をまとうけ
れども、その肉体は、それ自身としては死んだものであり、ただ神からの力の流入を霊魂を通じて受け容れることで、動いているものに過ぎない。

すべての生命の源泉は、『神性』と呼ぶべきものからのみやって来る。
霊界で目にしたその『神性』は、ちょうどこの世の『太陽』のように、大きく輝いて見える。
そして、この太陽は愛、知恵、生命、霊魂を放射している至高の存在なのだ。

人間は肉体を持っている時も失った後でも、愛によって生命を吹き込まれない限り、ただの死んだ形骸なのだ。
利己主義から発するものが活力になっている時にも、人間は生きているように見えはする。
しかし、それは霊的には死んだも同然な状態なのだ。

人間の心の中には不思議なことが起こっている。それはあまりにも不思議で驚くべきことであるため、筆舌を持って表現することは不可能である。それはまた、見えるもの、見えざるものを含めた人体の中、三次元の自然の世界の中、全てを含めた世界の中に起こっていることに比べ、数においても無限に多い。

そして科学はその中のほんの一部を明らかにしてきたにすぎず、それは大海に流れ入るいくつかの小川でしかない。

『この世』は、霊界という広大無辺な空間のなかにポッカリ浮かんでいる一つのゴムの球のようなもので、『この世』の周囲すべては霊界で取り囲まれている。
また『この世』も一種の霊界であり、他の霊界すべてが『この世』に染み込んでいる。

『この世』だけは例外的に物質界と霊界の二つの世界が同じ空間に共存しており、同じ空間に二つの物質が共存できる。単に空間の性質が異なるだけである……このようなことが理解されにくいのは、『この世』の物質的な慣習に従って考えているためにすぎない」


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2 コメント

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感銘しました。 (友希)
2015-09-20 08:05:26

先般、最愛の人を亡くしました。
その時に初めて真剣に、生き物は死んだらどうなるんだろうって考えました。
そして今、貴殿のブログを拝見しました。
僕なりに解釈の糸口になりました。
生き物(どんな生き物でも)は死んだら宇宙の中に溶け込むのかなと思います。しかも、辺りの森羅万象の現象の中に溶け込んで、次の縁にふれるまで森羅万象の現象として生きているように思うのです。
どうなんでしょうか?
宗教によって生死観もかなり違いますが、死んだら全く終わりとは思えないのです。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (河村龍一)
2015-09-20 18:51:25
真摯なるコメントをありがとうございます。
また、あなたの最愛なる方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

現代社会において人間は普通の生活を過ごしている場合、「死」についてなど全く考えないでしょう。

しかし、「死」は人類にとって永遠のテーマであり、人類が絶対避けられない人生の終着点です。

私は、拙著「闇サイト殺人事件の遺言」を執筆するまでは「唯物科学論者」の死生観を支持してきました。
霊魂の存在について懐疑的でしたので、人間は単なる肉魂(物質)であり死んだら何もない、生きているうちに愉しむだけ愉しめばよい、と。

そのような唯物論的考え方が、ある日を境に180度逆転してしまったのです。
詳細については拙著に記載してありますが、私がこれまで学んできた理論物理学などでは到底説明できない、「シンクロニシティ現象」という不可思議な事象について、同事件被害者遺族の磯谷富美子様から直接教えていただいたことが、その理由でした。
さらに、同作品の執筆中、私の周辺にも不可思議な事象が発生したのです。
きっと、被害者は残されたお母さんを心配して見守っているんだな、と確信しました。

現在でも、私は仏教やキリスト教など既存の宗教を信じていません。
と、いうよりか、『超知性=神?』は絶対存在しているが、人類がそう簡単に感知できるような存在ではないと思っています。

神仏のお告げと称してまことしやかに語っている新興宗教の教義や偶像崇拝などは、狐や狸の憑依現象(笑)の一環だと捉えています。

あくまでも、この世の事象は科学的視点で捉えることが重要ですので、先ず正確な科学知識を学ぶべきです。
その後、「深層心理学」などの分野に進み、既存の宗教に傾倒せず心に一点の翳りのない状態で、霊的な生物として『超知性』にアクセスしてみてください。
おそらく、「死後」についても、あなたは何らかのヒントが掴めるでしょう。

今日はお彼岸です。
そこで、彼岸にまつわる私のエピソードをご紹介しましょう。
私の甥っ子は、3・11で津波にまきこまれて被災死しました。
享年36歳でした。

それから2年後、私は次のような不思議な夢をみました。
「甥っ子=私?」が津波に巻きこまれながら真っ黒い海中に沈んでいくリアルな状況でしたが、なぜか体が非常に温かく感じたのです。

ヘドロや流された家と車などでゴチャゴチャになっている真っ黒な海の様子でしたが、その時、何とも言えぬもの悲しい女性の歌声が聞こえてきました。

すると、突然、暗闇の空から「マリア様のような白く輝いている聖き存在」が現れて、「聖歌」のようなメロディが流れる中、甥っ子は「マリア様」が差し伸べた手により天に引き上げられていったのです。

そこで私は夢から目覚めました。
ちょうど、その日は3・11から2年後のお彼岸でした。
きっと、甥っ子からのメッセージだったのでしょう。

私の妻からこの夢の話を訊いた甥っ子の母親は、甥っ子が天国に召されたと思い、その場で涙を流して喜び安心したと、その胸中を語ったそうです。

この世(物質宇宙)は、現代科学では解明できません。
ただ、『超知性=聖なる存在』については否定できないようです。
そして、私に言えることは、きっと、最愛なる方があなたを常に見守っている、ということです。
悲しみを乗り越えて、頑張ってください!
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