Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

8月31日(金)~9月10日(月) イオニア海からアドリア海へ

2012-09-10 | 旅行

91日(土)イオニア海を横断してイタリアへ

昨日午前940分、ギリシャのKERKIRA島を出航、アルバニアとの間の狭い水道を北に抜けてギリシャ領最北端にある小さな島ERIKOUSSAに午後3時過ぎ到着した。当初はここで1泊する予定だったが、島の南側にある唯一の小さな漁港は狭くアンカーの効きも悪い。仕方なく防波堤の外に錨を降ろすが完全に南にオープンのためここに停泊するのは不安だ。天気予報では南寄りの風が吹くようなので、予定を変更してオーバーナイトでイタリア半島の踵部分にあるBRINDISIまで90マイルを一気に走ることにした。午後8時抜錨、イオニア海を北西に横断しイタリアのBRINDISI Marina91日午前11時(ギリシャ時間午前10時)に到着することができた。

アッピア街道の終点であるBRINDISIは天然の良港として古代ローマ時代から栄え、中世にはイスラムと戦う十字軍を海に送り出す拠点として重要な役割を果たした町だ。現在もこの港からギリシャ・アルバニア・クロアチアなど様々な国へ渡るフェリーが頻繁に運行している。

 

 

我々がギリシャ西岸をそのまま北上せずに敢えてイオニア海を横断してイタリアまで行き、再びクロアチアに戻るルートを取ったのには2つ理由がある。

ギリシャ西岸をそのまま北上するとモンテネグロとの間にあるアルバニアを通らなければならない。アルバニアは第2次大戦以降中国やロシア以外の国との国交を一切閉ざした閉鎖的な社会主義国家としての立場を維持してきた特殊な国。最近になってようやく民主主義を標榜する政党が政権を握りEUへの参加を目指して急速に西欧に接近し始めたが、欧州最貧国のひとつで治安が非常に悪いようなので、アルバニアに立ち寄るのを避けたかった。

もう一つの理由は、この冬に船を置くマリーナの有力候補がイタリアのBRINDISIだったので是非下見をしておきたかったのだ。ここは空港が近く日本との往復が極めて便利だ。マリーナも船の整備をする施設も複数あり、それらは港の奥にあるため、波風も当たらず安心して船を置いておけそうだ。

 

92日(日) Brindisiの夏祭りを楽しむ

この週末はBRINDISIの守護神・SAINT PATRONIを祝う夏祭りだった。昨日は海上パレードに引き続き花火大会があり、今日は町でイベントが開かれると聞いて出かけた。様々な屋台が軒を連らねるメインストリートは光のアーケード(Perrotta Luminarie)で飾られ、広場では歌や踊り・ファッションショーなどのイベントが開催されており、通りは人で溢れていた。屋台で売られている商品や提供されている食事は全く違うが基本的なコンセプトは日本の夏祭りと同じだ。昔懐かしい射的の屋台がいくつか出ていたのが面白かった。町を挙げて守護神を祝うイベントだけにその規模と盛り上がりはかなりのもので、人の往来は深夜まで続いていた。

 

地中海も秋の気配

夏の地中海の良いところは天気をまったく気にする必要が無いことだ。51日トルコのDidim出航以来雨が降ったのは最初の頃数日だけ。それも数時間。朝のうち曇っていた日も何日かあったが後は毎日雲一つない快晴の日ばかり。空気が乾燥しているので雲が全くできないのだ。しかし9月の声を聞いてから地中海もようやく秋の気配が漂い始めた。ここのところ湿度も日本並みに上昇し、雨がぱらついたり、かなり雲もかかるようになってきた。夜の気温も段々と涼しくなり、タオルケットだけでは明け方は寒いくらいだ。これからアドリア海を北に向かうので気温はもっと下がってくるに違いない。

94日の夕方5時にイタリア半島の踵にあるBrindisiを出航、再びイオニア海を横断して106マイル走りモンテネグロのBUDVA5日午前11時に到着した。今回も南寄りの穏やかな風で快適な航海だった。

 

96日(木) モンテネグロ入国で思わぬトラブル発生

モンテネグロは2006年に国民投票によってセルビアから独立した新しい国。人口は65万人、国土は福島県程度という小さな国だ。小さな国でも独立国なのでイタリアから来た我々は入国手続きを行わなければならない。

BUDVAはちいさな町だがモンテネグロでも屈指の人気リゾート地でシーズン中は入国管理官が常駐している。検疫埠頭に船を係留し、指示されたオフィスに行く。ここでvignetteと呼ばれるクルージング許可証を購入する必要がある。いつもの通り船籍証明書、保険、クルーリスト、パスポートなどを提示したが、更に船長の船舶免許を見せろと言われた。欧米ではプレジャーボートの場合免許証は不要と聞いていたので迂闊にも持ってきていなかった。日本に置いてきたと言うと、それがなければvignetteは発行できない。従ってモンテネグロの航海はできないと言う。困った顔をしているとコピーで良いから取り寄せろと言われたので、家の鍵を預けている友人に連絡をして船舶免許のコピーをメールで送ってもらうことにした。幸い友人はすぐつかまり、免許証もすぐに見つかって手配をしてくれたため、数時間後にはコピーを入手することができホッと一安心。信頼できる友人とインターネットの有難さを痛感した。

 

モンテネグロで、一番不味いパスタに出会う

BUDVAのマリーナは城壁に囲まれた旧市街のすぐ外側にある。3つの教会がある旧市街は石畳の狭い路地が縦横に走りお洒落なショップやレストランが並ぶとても雰囲気のある街。9月に入っているのに旧市街は観光客で溢れていた。

 

この町も様々な他民族に支配された歴史があるが、地理的にも近いイタリアの影響が町並みにも食文化にも色濃く残っているように見えた。我々は数日間のイタリアBRINDISI滞在中久しぶりに美味しいパスタを食べたが、その味が忘れられずここなら大丈夫だろうと思いランチでパスタを注文した。ところが出てきたパスタは味付けも茹で加減も最悪。半分も食べられなかった。食事の美味しさでは定評のあるスペインで食べたパスタが茹ですぎでひどいものだったが、それを上回る不味さだった。 我々が訪問した地中海沿岸の国は何処に行ってもピザ・パスタの看板を掲げた店が多く、ピザは美味しいものに沢山出会ったがパスタだけはいただけない。「こしのある麺」にこだわるのはどうやらイタリア人と日本人だけのようだ。地中海の国々は長い歴史の間に様々な民族に支配されたため、随所に異文化の面影が残っている町が沢山あるが、食文化という人間の根幹部分は意外にコンサバなのかもしれない。それに比べると様々な国の食を取り込んでローカライズし、ラーメンや照り焼きビーフのように世界中で親しまれる新ジャンルの食べ物を作り上げてしまう日本人の食に対する感性はすごいものだと思う。

 

アドリア海は魚が豊富?

我々は走っているときできる限り引き釣りの仕掛けを流しているが、今年はエーゲ海でかつおが1本掛かっただけ。それも取り込もうとしてばらしてしまった。ところがアドリア海に入り立て続けにカツオを釣り上げた。今日はカツオ2本とヒラマサに似た魚がかかる大漁日。久しぶりに美味しい刺身にありつくことができた。

 

98日 広大なKOTOR湾に入る

 

昨日BUDVAを出航しモンテネグロを北上、クロアチアとの国境近くにある巨大な内海KOTOR湾に入った。

湾口に近いTIVATという町のマリーナに1泊し、今日は湾の最奥にある世界遺産の街KOTORにやってきた。風も波も立たない穏やかな内海を2時間ほど走り、KOTOR旧市街の城壁の目の前にあるビジター用ポンツーンに昼前に舫いを取った。

 

周囲を高い山に囲まれ緑の多い広大なKOTOR湾の中は、まるで湖を走っているような錯覚に陥ってしまう、まったく別世界の風景だ。

 

丸ごと世界遺産に指定されたKotor旧市街は三角形の城壁に囲まれた小さな街だ。さすがにモンテネグロ随一の観光地だけあって世界中から観光客がやってくる。我々が居る間にも地中海クルーズの豪華客船が入れ替わり舫いを取っていたし、ツーリストインフォメーションには日本語のタウンマップまで用意されていた。

99日、旧市街の裏手にある海抜260mの山頂まで続く城塞に朝一番で登ってみた。そこから眺める景色は素晴らしかった。3角形の城壁に囲まれた旧市街が一望でき、広大なKotor湾のどう見ても海とは思えないスイスの湖のような風景が広がっていた。

 

910日(月) HERCEG NOVIにて

今朝KOTORを出航し13マイル走って11時過ぎ、KOTOR湾入口近くにあるHERCEG NOVIに舫いを取った。

朝靄にけむるKOTOR湾は幻想的で、絵を見るような美しい光景だった。

 

丘に囲まれたHERCEG NOVIは旧市街の城壁の残る素敵な街だ。広大なKOTOR湾の中にはこのような小さな町が点在し、鏡のようにフラットな内海を走る我々の目を楽しませてくれた素敵なクルージングスポットだった。

今日ここに1泊し、明日はいよいよクロアチアに入る。

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