
それでも竹島にはちらほら人がいましたが、
東屋の中まで降り込む雨に早々に帰って行きました。
観光客も可哀想で、竹島も寂しそうでした。

今日はTCC・竹島クラフトセンターはお休みでした。
主人は、蒲郡市役所の玄関ロビーで開かれた
蒲郡市・手織教室初級者コース、作品展の準備で
出かけています。
今朝の中日新聞の三河版に出ましたから近くの人は
読んでくださいね。
この記事は明日詳しく書いて投稿します。
今日の竹ログの記事はTCCの藤井さんの作品を
紹介しよう、(写真)
藤井さんは今年7?才です。

蒲郡市の手織教室の一期卒業生で、後にTCCのスタッフに
参加して色々な作品にトライして来ました。
ある日、藤井さんは自分でデザインしたイメージ画を持ち込み
「これを三河木綿の三河縞で織りたい」
と言ってきました。

頭の中で今までイメージしてきた三河縞とはまるで違う
小幅縞木綿のデザイン画を見て少したじろいた。
これが三河縞?

確かに三河で織れば三河木綿である事は間違い無いのだから
三河で織れた縞木綿は三河縞だろう、
江戸時代から明治にかけて全国何処にもあった自家用に
生産された織物が販売された。
○○縞と名がついたのは明治から大正にかけて
生産地として残ったところが今の○○木綿とか
○○縞とかブランド名をつけて販売を拡大をして
いたが生活の近代化による波に勝てず消え去った。
江戸時代から明治時代始めは藍染めの紺地に草木染め
の縞を使った。
藍は木綿に染まりが良いので多用されそのイメージが
定着しているのだと思う。
そこで考えを変えて、現在の染色で染めるのであれば
他の多くの色を使いファッションとして楽しめば
良いのであって、三河で作った縞木綿は紛れも無く
三河縞である。

彼女の発想を大切にして緑地の三河縞を彼女自身の手で
見事に織り上げたのです。
