町を歩く
人のいない町を歩く
人と密に接しないよう
注意勧告が発表されたが
町は無人街のよう
誰にも会うことはなかった
高齢者はどうしているんだろう心配だ
大都会と田舎町が同じ緊急事態の法律で縛られるが
我慢の時が続くのだ。
レンガ作りの御蔵である
戦争前からあるので100年は経っている
少年の頃から見ていたレンガ塀だが
改めてこうして眺めると
100年の時代を表す
古い街並みをぶらぶらあるき
と、御宿 陣屋の看板を見つけた
子供の頃からあった物だ
子供の頃からあった三階建の陣屋である
またぶらぶら歩く
すれ違う人もいない
静かな町だ
私が子供の頃からあったガソリン給油機
私にとって有って当たり前の街角風景だが
日本中でも貴重な街角のオブジェだ。
(昭和時代の初めの物だろうか)
アッ、人がいた!
ここは二俣医院
二俣医院の建築デザインは大正時代の代表的建築物である、
母がここに通院しているので内部の撮影をさせていただきたいと思っている。
玄関の車椅子スロープ以外は、全て昔のままに現在も使われている
(以前は二俣病院で入院施設もあった。太平洋戦争当時
浜松が空襲と艦砲射撃の攻撃を受けて市街地の大半を焼かれた時
この病院を目指して沢山の戦傷者の列が続いたのです。
母の記述によれば病院の床は血に塗れていたそうである)
この町も高齢者率が高く商店も営業していない家が多い
ショウウインドーもその当時のままにあって飾る展示物を
見て回るのも楽しい。
これは天竜特産の緑茶のお店の玄関に置かれたオブジェ
天竜だけに龍の彫り物である
続く