「私の作品です」
といって袋から取り出した作品
新人生徒さんのFukuokaさんが織った作品
リジェット織機で織った平織りです
「こんなになってしまった」
と、恥ずかしそうに見せた。
「おー、良いね」
「本当ですか」
「良いよ!良い、織物の存在感満点でわたしは好きだが自分では織れない」
「それじゃ私のはダメですよね」
「そうじゃない、私たちは流通社会の中での物作りをやって来た
大量生産と大量消費の中で0.1ミリ単位の許される社会で生きて来ると
整然とした整ったものが美しい物と洗脳されて来るういちに
変な常識が生まれて織物ってこうなければならないという、
非常識がまかり通った社会の中にいるんだ」
「スラブの糸を使って織りました」
「おー、良いねスラブ糸の番手変化が予期せぬ紋様を作ってる」
「私はジャガード織りの専門家だから寸分違わぬ紋様意匠を大量に
作って来た。それが大量生産の基本だったが、手作りの基本は作品ごとに
出来が違うことなのだ。だからこういうの良いね、自由がいい」
「なぜ、ここにもじり織りをつけたの?」
「ただの平織りだけじゃ つまらないと思って織りました」
[なるほどね、物足りないからと感じることは大切で
失敗を恐れずやってみることはもっと大切なことだ」
「そう 見てくれると嬉しい」
師弟の織物談義は延々と続く、
「チェック柄に習いたてのもじりを入れてみました」
「これもいい感じだね」
「素直にチェックを織るかと思えばもじり織りを入れてしまいました」
ここでまでと決めずに自分の思いのまま次の技法を入れて
完成させてしまうのがFukuokaさんなのだ。