TCC・竹島クラフトセンター TAKE-LOG 竹ログ

愛知県の観光名所[竹島]の俊成苑に構える手織り工房
[竹島クラフトセンター]の主人が送る大きなひとりごと。

三河地綿物語 1

2024年03月28日 | 私の棉と織物
綿の花が咲き始めました。
と同時に台風が北上、
迷走台風というか酔っ払い台風と言うか
長年台風を見続けてきた私もこんな台風は初めてだ。
気象庁の台風進路予報も
まさか!、と言う進路を正確に伝えている。
豊後水道を北上か、と思ったら九州縦断となりそうだ。
 
ひと安心なのだが、今日の竹島は東風が強い、
綿の木を揺るがす風の強さに怯えているのは
花が咲き、実を生らし始めた綿に早々の台風の来襲だ。
 
 
三河地綿と言う綿を知っている人は少ない、
三河地綿の繊維は太く短く縮れが激しい綿である。
その特性ゆえに糸紡ぎをする人や業者には評判が悪い
私も手紡ぎやガラ紡機での紡ぎをしていて実感しているが
私にとって三河地綿特別なわたである。
 
この綿がなければ現在の三河木綿の事業はなかった。
私の地綿の種は25年前に天竹神社鈴木稔さん(当時)から頂いた種であると同時に
天竹神社直伝の栽培方法を教わった事が、
繊維業車の”穂の会”と蒲郡市の三河木綿事業の始まりである。
 
蒲郡市三谷町砥神山山麓の畑(繊維業の山正タオル社長の畑)に
昭和の初めに三河木綿が途絶えて以来、初めての綿の花であった。
 
 
今年も三河地綿の綿が実った。ひっそりと下の方から身を付けるので
うっかり見落とすところであった。
人知れず密かに実を成らす、それゆえに三河地綿が愛いのである。
 
(写真は、全国的に栽培されている和棉.伯州綿の綿の花)
 
和綿の花は中心が赤い色である、
その”赤色は日本女性の秘めたる情熱”と喩えた研究家もいた。
 
三河地綿と和棉の伯州綿は交配しないので異質の種類と思っている。
 
(写真)夕方になると花びらは落ちる、左が三河地綿 右が和棉(伯州綿)
落ちても色が変わらない”三河女の心”というところである
(於大様と神の郷城の鵜殿の姫の心の真の強さが三河木綿であろう)
 
紡いでみると和綿の方がはるかに紡ぎやすく細糸が引けて
織物も薄く密度も込めるので和綿を好むのであるが、
 
三河木綿と名乗れば三河地綿の存在は否定できないのである。
 
時代を遡っての三河木綿、特に1503年に興福寺の記録にある
[三川の綿]は現在の三河木綿と思われる。
では、興福寺の綿は崑崙人が持ってきた地綿ではないのか?
 
この繊維が太く、短く、縮れが激しい三河地綿が
崑崙人の持って来た綿では無いのか?、
そして、何のために三河地綿が天竹神社の神事として栽培され続けて来たのか?
その疑問も残る。
(つづく)
 


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