TAKE-LOG 竹ログ

私にも現代型ホモサピエンス浜北人のゲノム遺伝子があるのか

やって来たのは浜松市浜北区の岩水寺
その岩水寺門前にある駐車場の奥にある根堅遺跡である

以前から一度は尋ねたいと思っていたが百年来の感染病の
新型コロナ感染で外出自粛中ではあるが母の介護の合間に
出かけたが、人っ子一人いない寂しい所であった。

ここは石灰岩地帯で天竜川の佐久間ダム、秋葉ダム建設や日本の高度成長と
建設工事のためのコンクリート材料として採掘された。
ここから引佐にかけては石灰岩の岩脈地帯である。

駐車場の奥に浜北人骨発見の標を見つける、ここが根堅遺跡だ。
根堅遺跡はここの石灰岩採掘現場で見つかった洞窟遺跡であるが
今はこの表示と説明看板だけで何もない。
説明看板には詳しい説明があり、その重要性を強く感じた。
旧石器時代の遺跡と人骨で1万4千年前と計算されている
本州での旧石器時代の遺跡発見は浜北人が最初でした。
当時の遺跡発掘の様子で東大の研究学問総出での検証が行われた
かなりの大きさのある洞窟だったと思われる
遺跡人骨発見場所の写真だが、トロッコ線路のあたりに
現在の標識と看板のある場所だと思われる

発見された人骨は20代の女性で身長143cmの
現代型ホモサピエンスつまり新人である

その後の縄文人に似た体型だったそうだ。
現在の天竜川右岸にいる小柄な女性をホモサピエンスだとすると
かなりの美人であったのだろう


現在は標識があるだけで石灰岩採掘で跡形もないが
もしも、その洞窟が現場保存されていたなら
高松塚に匹敵する遺跡になっていたと思われるが

建設産業が一番で学問はその下が現実は今も同じか

ここの岩水寺には私が子供の頃に探検ごっこで入った洞窟がある、
岩水寺の鍾乳洞洞窟である
水晶のような結晶の方解石を採りに入った洞窟である


今は門が設けられて入れないが
懐かしい!
根堅遺跡の浜北人の女性もここの洞窟に来ていたに違いない、
しかも浜北人が突然現れてもおかしくないシチュエーションだ。


そうだ、ここだ、蝋燭の光で奥へ奥へと入っていくと
洞窟は枝分かれしている、
洞窟の壁には方解石の結晶が光り、子供の私達には
宝石の穴だと信じていた。

洞窟の中の様子を撮りたいと望遠フラッシュを焚くと
奥へ続く様子が窺える

”この穴は諏訪湖まで続いている”
天竜の龍神を信じる私であった

私たちの祖先はこのような洞窟に住みながら
食糧を求めて移動をしていたに違いない


私の子供の頃の浜北人骨発見場所は
岩水寺の桜の名所であった。
その後の石灰岩採掘によって山容の跡形もないが
今も枇杷の木が生い茂り実を付けていた。

浜北人もこの枇杷の実を食べていたのだろうか

ここから続く天竜川右岸を遡れば私の祖先の住んでいた村落に至るが
私の身体に流れる血の中に浜北人の遺伝子があるのだろうか?
と、思いながら現地を離れた。




蒲郡市の観光の中心地竹島海岸竣成苑内にある竹島クラフトセンターの主人が投稿するブログです。

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