雑居空間
趣味のあれこれを、やたらめったらフットスタンプ




 金山城へ行った後、近くにある足利氏館にも行ってきました。
 足利氏館は、金山城から北東へ、直線距離でおよそ6㎞。県をまたいで、栃木県足利市にあります。東武伊勢崎線で3駅の距離なのですが、金山城の登りがそれほどハードではなかったので、てくてく歩いていきました。





 足利氏館は元々、12世紀半ば頃に建てられた、足利氏の祖である源義康の館跡です。義康の子義兼が邸内に大日如来を奉納した持仏堂を建立し、その子義氏が整備して足利氏の氏寺となりました。



 そんなわけで、現在の足利市屋敷跡は、まるまる金剛山鑁阿寺の敷地となっています。
 敷地内には国宝に指定されている本堂をはじめ、重要文化財や栃木県指定の有形文化財がひしめいており、観光地としては見所が多いです。







 敷地内は完全にお寺なのですが、いくさ場としての城として見た場合、四辺を囲む土塁と水堀が鎌倉時代の武家屋敷の様子をよく伝えています。



 堀には鯉や鴨が泳いでいます。





 入って正面にあるのが国宝の本堂。義氏が建立した大堂は1129年に燃えてしまったのですが、足利尊氏のの父・貞氏が1299年に再建したものです。



 本堂で100名城スタンプを押すことができます。
 デザインはこの本堂、ではなく、正面の門にあたる山門です。山門の中にちょろっと見えるのが本堂ですかね。
 人が多かったので、山門を正面から撮った写真が無いのが残念なところ。なんで本堂じゃなくて山門にしたんだろう?



 重要文化財の鐘楼。1196年に足利義兼によって建立されました。



 天然記念物の大銀杏。足利義兼の御手植えという伝説が残っていますが、鎌倉時代の地図には載っておらず、樹齢550年くらいと鑑定されているようです。
 まあそれでも立派なものですし、多少話を膨らませるくらいは許容範囲でしょう。



 こちらは栃木県指定文化財の多宝塔。こちらも義兼の創建と伝えられていますが、現在のものは1629年に再建されたものです。再建と言っても十分歴史のあるものなんですよね。



 中御堂(不動堂)。これも義兼の創建で、1592年に再建されたものです。こんなのばっかりだなぁ。
 ここの本尊はその名の通り不動明王で、成田山新勝寺から勧請したものだそうです。



 重要文化財の一切経堂。義兼が妻の供養のために一切経会を修する道場として創建したもので、1407年に足利満兼によって再建されました。 
 赤と白のコントラストがきれいです。



 本堂の裏側に回って、蛭子堂。義兼の妻・時子を祀ったものですが、これは創建年代は不明だそうです。
 この堂にお参りすると、安産の効き目もあるのだとか。



 校倉、あるいは宝庫、大国堂とも。元々は宝物を収蔵していたのですが、のちに宝物は他へ移して、足利家伝来の大黒天を祀っています。



 室町時代に足利尊氏を祀るための御堂として建立された大酉堂。



 本殿に源氏の祖を祀り、拝殿に足利十五代の将軍像を祀っている御霊屋。



 日本100名城の一つではありますが、お城見学というよりはお寺見学という感じでしたかね。戦国期の城ではありませんし、ちょっと期待していたものとは違っていたのですが、歴史と伝統が詰まったお寺をのんびりと堪能することができました。
 今回は寄りませんでしたが、すぐ近くに日本最古の学校として知られる足利学校もあります。興味のある方はそちらもあわせてどうぞ。



 帰り際、JR両毛線の足利駅前にあった足利市のハイキングマップが目に留まりました。この両毛線沿線には適当な山登りコースが多数あるんですよね。特に、関東ふれあいの道にもなっている織姫神社から両崖山、行動山のルートとか、石尊山から仙人ヶ岳のルートあたりは、そのうち行きたいルートとしてチェックしていたので、参考にしたいと思います。

 足利市のサイトにも、同じ地図が掲載されています。

足利市ハイキングマップをご活用ください





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